1. トップ
  2. 恋愛
  3. 失恋して心がつらい・・・どうすれば次に踏み出せるのでしょうか?【ひとみしょうのお悩み解決】

失恋して心がつらい・・・どうすれば次に踏み出せるのでしょうか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.5.16

“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「あららさん42歳」のお悩み

相談というか心の叫びを書きます。
アラフォーですけど、失恋しました。
正確に言えばもう無理と諦めました。
子供じゃあるまいし、、と思ってもズキズキが止みません。
こんな歳でも恋に落ちるのだと、ガラリと人生観変わりました。
人は何歳になってもきっと恋はするのだろうと思える経験でした。
おばあちゃんになっても、既婚者だろうと、人は恋に落ちるときは落ちる。
芸能人の不倫のニュース観てもそういうことあるよね、って心から思います。
でも心は辛い。
次に踏み出す勇気を私にください。

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

失恋の痛みとはなにか?

失恋の痛みって、やっぱり彼はわたしとは別の人間だったんだ、という事実を、何者かに突きつけられるところから来ているように思います。
失恋の少し前の、彼とダメになりそうな時の心の不安定さとは、見たくない結果をいつか見ることのなるのだろうけど、そのいつかっていつだろうと不安に思う気持ちだろうと思います。いつか試験の結果が出て答案用紙が返されるのだけど、そのXデーを先送りしたい、でもわたしの力でそれはできない、みたいな葛藤――。

わたしたちは、誰かとつながりたくて誰かに恋します。
「つながれなさ」を、わたしたちはよく知っているから、誰かとつながりたいと心から願って、誰かに恋します。その恋が成就したら、つまり誰かと心身ともにつながりあえた感覚を共有できたとき、わたしたちは喜悦します。たとえば、朝まで恋人とLINEでおしゃべりしたり、あるいは朝までホテルで物理的にひとつになったり。

そうやって、つながりあえた感覚に安堵するのもつかの間、やがて別れのときがきますね。
そのとき、わたしたちは、「誰ともつながりあうことのできない自分」を発見します。つながれなさを前に茫然とします。
そして「やっぱり彼はわたしとは『別の人間』だったんだ」という認めたくない事実を認めるしかない状況に追い込まれるのです。

「ちがい」を突き付けてくる別れ

彼のしぐさを見て、自分と似ていると喜んだり、彼の過去の話を聞きながら、自分とおなじ痛みを抱えてきた人がここにもいたという事実に狂喜乱舞したりなどを通して、きっと、あららさんは「彼は自分とおなじ人間だ」と思ったことでしょう。「でも、この『おなじ』って、本当に『おなじ』なのだろうか?」という、一抹の不安を抱えつつも、狂喜乱舞したと思います。

そして別れのとき。やっぱり、彼はわたしとはちがう人間なのね――別れはこの、とても端的な事実をあららさんに見せたはずです。
あららさんと彼はちがう人間だというのは、いわば当たり前のことです。あららさんは女で、彼は男。これだけでも「ちがう」わけだし、生まれた場所も育ちも、ましてや親もちがう……その、誰に言われなくてもわかっている当たり前のことを、突きつけてくる別れ――。
「ちがう」人間ではないとまだ思いたいのに、「ちがい」を突き付けてくる別れ――。
つらいですよね……。

失恋の痛みから前に踏み出すために

彼と付き合った年月の1/3が過ぎれば、やがて失恋の痛みも遠ざかってゆく――一般的にはこう言われています。
彼と3年付き合ったら、1/3、つまり、彼と別れて1年が過ぎる頃、失恋の痛みが徐々に遠ざかるということです。1年付き合ったのなら4ヵ月ですね。
そうやって「時を待つ」のが、きっと本当は一番いいのだろうと思います。なぜなら、恋愛って、偶然なぜか相手と出会って落ちるものだから。つまり、なぜかわからないけど始まった恋は、なぜかわからないけど時が過ぎるとなぜか失恋の痛みが薄れていたという、「なぜか」に還元してあげるのが、きっと自然なこと(理に適ったこと)だろうと思うから。

でも、待つだけではつらすぎますよね。
であれば、なにか新しいことを始めてみることをおすすめします。
料理教室に通う、でもいいし、誰かほかの男性と遊ぶでもいいし、なんらかの資格取得のための勉強をするでもいいんですが、なにか新しいことを始めてみては?
知らなかったことを知ったり、できなかったことができるようになった時、わたしたちは端的に驚きますよね?できるようになった自分に、つまり自分が変化したという事実に驚きますね。

この驚くというのが、わたしたちの新しい世界の扉を開けてくれるのです。だから、時が経つのを待つだけでは苦しいのなら、なにか新しいことをやってみるといいのです。
驚きが開いてくれた新しい世界で、また誰かのことを好きになるかもしれない。でもそれも結局のところ、「やっぱりちがう人だった」という結論にしかたどり着かないかもしれない。

でも、そんな先のことはどうだっていいじゃないですか。
ひとところに留まって哀しくつらく絶望するくらいなら、なんらかに対する驚きによって、新しい世界を開こうではないですか。
お互い、できることから少しずつ、ゆっくりやっていきましょう。(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

元記事で読む
の記事をもっとみる