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パリ装飾美術館で、モード誌三大伝説の仕事を再発見する。

  • 2020.5.12
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2月28日にパリ装飾美術館で幕を開けた『ハーパーズ バザー』展。現在、閉館中の美術館は、展覧会の会期終了を7月14日から9月に延長すると発表した。外出制限が5月11日に解けると、小さな美術館は再開できることになったが、パリ装飾美術館はいつになるか……。その日を待ちながら、モード昔話を少し。

美術館のギャルリー・ドゥ・ラ・モードのリノベーション終了を記念して企画されたこの展覧会では、1867年に世界のファッション誌の第一号として生まれた雑誌の、創刊からいまにいたる1世紀半とモードの変遷を見ることができる。雑誌に掲載されたドレスなど60点近いモードアイテムも展示されているが、興味深いポイントは、1930年代にモダンなファッションとグラフィックデザインを取りこみ、雑誌の成功に貢献した3名に展覧会がフォーカスを置いていることだ。1934年に編集長となったカーメル・スノウ、アーティスティックディレクターのアレクセイ・ブロドヴィッチ、そしてバーで踊っているところがスノウの目にとまり、後に編集に加わるダイアナ・ヴリーランドの3名である。

リチャード・アヴェドンが撮影した1959年12月号のカバーが、展覧会のポスターを飾る。モデルはドヴィマ。

19世紀後半、雑誌創刊当時のモード。会場には19世紀から現在にいたるまで雑誌に掲載された60点近くの服が展示されている。photo : Luc Boegly

Carmel Snow(カーメル・スノウ/1887~1961)

クリスチャン・ディオールが1947年に発表し、戦後の暗い時代に一大センセーションを巻き起こした「ニュールック」。ショーの直後に、カーメル・スノウが“ニュールック”という表現を用いてクチュリエを褒め称えたことから、その命名者として彼女の名前はいまも語り継がれている。クリスチャン・ディオールがイラストレーターとして毎週木曜の「フィガロ」誌のモード記事でクロッキーを担当していたので、彼がクチュリエデビューをする以前からの知り合いだったとか。

展示光景。photo : Luc Bogey 

左はクリスチャン・ディオール1947年春夏のドレス「Chérie」の型をもとに1959年に作られたコットンドレス。©MAD Paris右は1947年4月号に掲載されたイラストレーション。©SAM

「ヴォーグ」誌で仕事をしていた彼女が「ハーバーズ バザー」誌にファッションエディターとして雇われるのは1932年。すぐさま誌面に彼女がもたらした画期的なことは、ロケ撮影のモード写真だ。1933年に雑誌のために撮影された、水着にケープを纏った女性がロングアイランドの海岸を駆ける写真には、躍動的で喜びがあふれていた。スタジオでモデルがかっちりとした彫刻的なポーズをとる写真が主流の時代。彼女はこの撮影をかつての仕事仲間である写真家エドワード・スタイケンの勧めで、ハンガリー人の若いカメラマン、マーティン・ムンカッチに依頼した。ルポルタージュを専門にしてきた彼にとって、これは初のファッション撮影だったのだが、この写真の成功で雑誌と専属写真家契約を結ぶことに。

スノウが編集長に就任した時代のモードを会場に展示。photo : Luc Boegly

1934年の編集長就任後も、彼女はロケ撮影のスナップショットのような写真を掲載し続け、快活で自由な女性のイメージ、モダニティを雑誌にもたらすのだ。また彼女はフランス語を自由に駆使し、さらに パリ社交界に入り込んでいた富豪夫人のデイジー・フェローズにパリのオフィスを任せたこともあり、オートクチュールの世界に留まらず、パリを舞台に活躍するジャン・コクトー、クリスチャン・ベラール、ピカソなど著名文化人たちを巻き込んでの雑誌づくりができた。

彼女は1957年まで編集長を務めたのだが、ある時からパリコレに出席の際、若い新人カメラマンが同伴するようになった。1944年に雑誌と契約したリチャード・アヴェドンである。50年代には、シーズンごとにスノウのパリコレレポートとともにパリのロマンティックでクラシックな背景でモデルを撮影したアヴェドンの写真が何見開きも……彼のポートフォリオができてしまうほどだった。その後の写真家としての彼の成功はここで語るまでもないだろう。彼は「バザーは僕の第二の家」と呼び、後にこう語っている。「カーメル・スノウがすべてを僕に教えてくれた」と。

アヴェドンが1955〜59年に「バザー」誌のために撮影したオートクチュールの写真は、『Made in France』という一冊にまとめられている。

Alexey Brodovitch(アレクセイ・ブロドヴィッチ/1898~1971)

パリ経由でアメリカにやってきたロシア出身のアレクセイ・ブロドヴィッチ。パリ時代はバレエ・リュスの舞台装飾を手がけたり、グラフィックデザイナーとして活躍し、前衛芸術家たちとも交友があった。アメリカではデザイン学校で教鞭をとっていて、スノウは編集長に就任した1934年、デザイン展覧会でブロドヴィッチの仕事を知り、彼にすぐさまアーティスティックディレクターのポストを提案したのだ。

スノウもブロドヴィッチも、単に服を見せるカタログ的な写真ではなく、美しさ、アート性もファッション写真に求めていた。ブロドヴィッチの就任とほぼ同時に、雑誌が契約した写真家はマン・レイ。彼が当時取り組んでいたレイヨグラフの写真も、1934年に早速掲載されている。マン・レイは1939年に芸術活動に専念するためにモード誌の撮影はしないことを決心し、契約を終了するが、この間に彼が撮った写真は『Man Ray: Bazaar Years』という一冊にまとめられるほどのクオリティとボリュームである。

会場ではブロドヴィッチがアーティスティックディレクターを務めていた時代(1934~58年)の号が多数展示されている。デザインファンにとっては、雑誌の見開きごとがまるで宝物だろう。photo : Luc Boegly

ブロドヴィッチはアドルフ・ド・メイヤー、ジョージ・ホイニンゲン=ヒューンといった著名写真家たちと仕事をし、また若いカメラマンを発掘、育成し、ファッション写真というジャンルを発展させた。またカッサンドルのイラストを表紙に用いるといった画期的試みも。写真家アヴェドンが唯一師匠と崇めた人物がカッサンドルである。50年代にファッションフォトグラファーとして「バザー」誌で活躍したリリアン・バスマンは、ブロドヴィッチのアシスタントから「ジュニア バザー」のアーティスティックディレクターを経て、写真家に転身した女性だ。

1958年まで「バザー」誌のアーティスティックディレクターを務めたブロドヴィッチ。余白使いが巧みな彼の大胆で斬新、そしてエレガンスが漂うハイセンスな仕事はファッション誌のレイアウトに革命を起こした。彼を見いだしたスノウのお手柄でもある。

パリのオートクチュールを紹介する1954年10月号より。撮影はアヴェドン。40~50年代、アヴェドンは雑誌のためにモードに限らず、ポートレートも撮れば、読み物の挿しカットも撮影していた。©2015, Pro Quest LLC All rights reserved

Diana Vreeland(ダイアナ・ヴリーランド/1903~1989)

エキセントリックな装いと数々の名(迷?)言で知られるダイアナ・ヴリーランドがスノウとブロドヴィッチのパワフルな雑誌づくりに参加するのは、1937年。常軌を逸した提案が人気のコラム「Why Don’t You ?」を連載し、1939年にファッションエディターとなってからは、スノウとブロドヴィッチのふたりが越えない枠も平気で飛び越えた誌面作りをして才覚を発揮した。

バレンシアガの1955年春夏オートクチュールコレクションより。フーシャピンクはヴリーランドのお気に入りの色で、「フーシャピンクでまるごと一冊を作りましょう」と編集長スノウに提案したことも。©MAD Paris

当時、雑誌のメインはもちろんパリのオートクチュールだったが、読者にとってよりリアルなアメリカンルックをヴリーランドはいち早く誌面で紹介。たとえば、ジョージア・オキーフも着ていたクレア・マッカーデルなどの仕事だ。それらの撮影にヴリーランドは1936年に雑誌と契約したカメラマンのルイーズ・ダール=ウォルフと組み、海外も含め、多くのロケ撮影によるカラー写真で雑誌に夢をもたらし続けた。戸外で撮影された生き生きとしたモデルたち……ダール=ウォルフのカジュアルシックな写真。当時のアメリカ女性たちのライフスタイルが必要としたアメリカンルックが、誕生し成長してゆく時代をヴリーランドは見事に彩ったのだ。

彼女の個性的な装いと立ち居振る舞いから発せられる強烈なオーラは、オードリー・ヘプバーン主演の『パリの恋人』(1957年)に登場する「クオリティ・マガジン」誌編集長のモデルとなったことでも明らかである。ちなみにフレッド・アステア演じるカメラマンのモデルはリチャード・アヴェドン。ヴリーランドが1962年に競合の「ヴォーグ」誌編集長に就任した、彼も「ハーパーズ バザー」を去り「ヴォーグ」誌へと。ヴリーランドの“超”スタイルと“超”語録は、彼女の名前のイニシャルをつけた香水シリーズ「DV」を発表した孫娘によるインスタグラム(@dvdianavreeland)にていまも楽しめる。

展示光景。photo : Luc Boegly

150年間のひとつの雑誌の変遷を会場で辿る中で、モードの歴史、ファッション写真の歴史、レイアウトの歴史に発見があり、再発見があり……。なかでも、個々に展覧会のテーマの対象となりえる功績を残した上記3名が同時にいた雑誌の黄金時代の、モダンで美しい写真、大胆で斬新な誌面に目を奪われるだろう。

モード、デザイン、写真……さほど大規模ではない展覧会だが見どころ満載。photo : Luc Boegly

『Harper’s Bazaar, premier magazine de mode』展開催中(現在休館中)~9月Musée des Arts Décoratifs de Paris107, rue de Rovoli75001 Paris開)11時~18時(火、水、金、土、日)11時~21時(木)休)月料)14ユーロhttps://madparis.fr

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