1. トップ
  2. 恋愛
  3. 自慢話ばかりする男のホンネとは?【ひとみしょうのお悩み解決】

自慢話ばかりする男のホンネとは?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.5.4
  • 1081 views

“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「みつきさん37歳」のお悩み

ひとみさん、はじめまして。
男友達(38歳)のことで相談です。
その男友達は、武勇伝や昔モテた話をいつもしてきます。
年に2,3回会う程度なので、毎回「またその話〜?」みたいな感じで突っ込みながらも聞いています。時には聞き流していますが、あまりにもしつこいときには、昔の栄光を語るのはかっこ悪いからやめなと言ったこともあります。
ここ5年くらい彼女がいなく、出会いもないそうです。
そんな武勇伝ばかり話しているから、女性に好かれないのでは……と思ってしまいますが、本人はそこらへんを分かっていないのか、もしくは見ないようにしているように感じます。
「武勇伝ばかり語る男の心情」と、「それがデメリットになっていることについてなぜ考えないのか」を知りたいです。
私とその男性は友達以外の何者でもないのですが、全く理解できない心情をひとみさんに教えてほしいです。

〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜

武勇伝ばかり語る男とは、過去に生きている男であり、その心情は「淋しい」です。
また、武勇伝を語ることのデメリットを彼が考えられない(考えていないように見受けられる)のは、今という時が絶えず変化していることを彼が感じとっていないからです。
というようなことを、以下に具体的に見ていきましょう。

武勇伝ばかり語る男とは、過去に生きている男

過去のことを自慢する男って、「今」を今として生きていないんですね。
今を過去として生きています。
過去に起こった、自慢するに足る出来事って、当たり前のことだけど、過去のことでしょう?
この当たり前のことがわからないのが武勇伝を語る男なのです。

自慢話をする男は、自慢的なじぶんの過去が、今ふたたび起こらないとわかっています。がしかし、同時に、もしかすれば過去の栄光的な出来事がふたたび起こるかもしれない、いや、そういうラッキーが起こってほしいと願っているのです。
ようするに、「今」という時は、過去とはまったく独立に存在している時だということに気づいていないんですね。

それはなぜか?
彼が自分の人生に絶望しているからです。
それは、自分の人生に絶望することなく、今を今として大いに楽しんでいる人を見るとわかると思います。
そういう人は、まず過去の自慢話をしませんよね?
今、目の前にいる人と、どうすればもっと楽しむことができるのかに気持ちが集中しているので、今を今として楽しむ工夫をします。つまり、自分の人生に希望を持っています。

対して、武勇伝を語る男というのは、今を今として楽しむ工夫のできない人です。彼は今を今として生きるのが怖いんですね。
だから、その不安定な心を(淋しさたっぷりの心を)つなぎとめておく杭のようなものが必要で、その杭が、彼にとっては過去の自慢的経験なのです。
「おれ、入社して半年で営業成績1位になって表彰されたんだぜ」「おれ、偏差値65あったんだぜ」
って、それ、いつの話さ?となるのです。

生きるうえでの男の前提条件・女子の前提条件

見ていたら、女子って、今を今として生きるのが、なぜかとてもうまいように思います。
今という時って、絶えず変化しているでしょ?

今、「イマ」と発語すれば、それはただちに過去になるでしょ?
ということは、変化しつづけているのが今という時でしょ?
女子はこの変化になぜか敏感ですね。
つねに、変化する今にうまく寄り添って生きているように見えるのですがどうですか?

対して男は、変化というものにそもそも気づいていないか、気づいていたとしても見てみぬふりをします。
ここに、生きるうえにおける男女の前提条件のちがいがあるとぼくは見ています。
変化に沿ってすなおに生きる女子と、かたくなに過去にしがみつこうとする男。
誰も自分にとっての「前提条件」のことなど口にしないからわからないですか?

たしかに「オレの生きる前提条件ってさあ」などという会話って、ふつうはしないですよね。
そういうのは、たとえば哲学という学問が洞察し、語るのみ、ということでしょうか。
でも、誰もが口にしないその前提条件こそが、男女のちがいを生んでいるのです(と、ぼくは思います)。

その違いはどこから生まれたのか?

そのような男女の違いはどこから生まれたのか?と不思議に思う人のために、思うところを書きたいと思います。

その昔、たとえば縄文時代において、女性は、村の女性や子どもたちと共に家を守っていました。狩りに出た男たちに代わって子どもを育て、女どうして「あの木の実は煮て食べたらおいしい」とか「あの草を食べたら死ぬで」などと会話をしつつ、旦那の帰りを待っていました(たぶん)。
そこでは会話がなされますね。会話って「音」、つまり、「今」聞こえて、ただちに去ってゆくでしょう?
だから女性や子どもは、「今」に敏感なのです。

対して男は……茂みに隠れて動物がやってくるのを待っていたのです。待っている最中、音を立てることはできないので、男たちは黙って頭の中で、言葉を使ってなにかを考えるしかなかったのです。
言葉とは(説明を割愛しますが)過去です。
つまり、男たちには「今」を、言葉で、すなわち過去として生きるクセが染みついてしまったのです。

おわりに

武勇伝を語る、女子から見たらダサい男とは、今の「今性」に気づくことなく、今を過去として生きている男です。
気づかないのだから、当然、武勇伝を語るデメリットにも気づいていません。

過去の栄光に、誰か女子がなびいてこないかな、オレのことを「かっこいいね」と褒めてくれて、オレの目の前でパンツを脱いでくれる女子っていないかな?
武勇伝を語る男のホンネって、こんな感じです。
パンツを脱いでもらいたければ、「今」彼女をめいっぱい楽しませる、つまり、今の「今性」をすなおに感じればいいのに、男は理屈の世界(言葉に世界)に埋没してしまっているのです。

※参考 キルケゴール・S『死に至る病』(2017)講談社
(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

元記事で読む
の記事をもっとみる