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コロナによる「彼氏や夫のDV」を回避する方法とは?【ひとみしょうの希望の見つけ方】

  • 2020.4.18
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コロナの影響によって、DVが急増しているそうですね。
DVは表面化しているものがすべてではなく、公にされないものが多数あるので、実態としては急増どころか激増かもしれません。
なぜ表面化しないものが多数あるのか?

この『Grapps』のなかで西山繭子さんが言うように、<暴力を受けても、それでも一緒にいる女性はみな口を揃えて「普段は優しい」と言います。そして「ごめん、もう二度としないから」という男の言葉を信じてしま>うからです。よね?

さて、コロナによる彼氏や夫のDVを回避するにはどうすればいいのでしょうか?
以下に一緒に見ていきましょう。

「自分に」絶望しているというのがポイント

たとえば、コロナの影響で仕事を失った、収入が激減した、という外的な状況に心くじけている人もいると思います。
仕事や収入は大きく変化していないけれど、毎日緊張感を強いられるし、閉塞感を感じるしで、なんとなくストレスを感じている人もいると思います。
あるいは、在宅勤務になって、毎日家族と長時間過ごさざるを得ないことに息苦しさを感じている人もいると思います。

それらはすべて、絶望という端的な言葉で言い表すことができます。
仕事や収入が減ったことに絶望している。ストレスが絶望を招いている。息苦しさを解消できない、そのできなさが絶望を生んでいる、と――。

この絶望とは、究極的には、自分に絶望しているということなんですね。仕事やお金がないといった外的状況に絶望しているのではなく、仕事やお金に恵まれなくなった自分自身に絶望しているということです。未来を見通せない自分に絶望しているのです。
自分に絶望すると、とくに男は、怒りっぽくなります(だからDVなのです)。これを、キルケゴールという哲学者は「男性的な絶望」と名付けました。

人はなぜ自分に絶望するのか?

ところで、人が絶望する理由は、心理学や脳科学が発達する以前に、キルケゴールという哲学者が端的に述べています。
キルケゴールはたとえば、自分自身に反抗するところから絶望が生まれると言いました。

たとえば、コロナの影響で収入が激減した男は、自分は本来収入を稼ぐべきだとわかっています。そうわかっている自分と、実体としてコロナの影響で稼げなくなった自分とが、心のなかで葛藤します。葛藤したところで、彼はすぐに本来の稼ぎに戻す術を得られないのだから、さらに葛藤が深まります。やがて、「稼げない現実の自分」に対して、自分自身が反抗するようになります。

簡単にいうと「そうすべきだとわかっているけど、どうしてもそうできない自分」に対して、彼は反抗します。それが自分自身に絶望するということなのです。
そしてその絶望(=反抗)は、やがて彼の心のなかで爆発し、外部に向かいます。つまり、奥さんや子ども、彼女に暴力という形で放出されます。これがDVです。
女性のなかにも、ストレスフルになり、自分を見失って、ものを投げたり旦那に八つ当たりする人がいますね? そういう人は、キルケゴールがいうところの「男性的な絶望」を抱えている人なのです。

希望の見つけ方

ところで、絶望に陥らずに済む方法はとても簡単で、希望を自家発電できればいいのです。そうですよね?
では、希望ってどうやって自家発電すればいいのでしょうか?
キルケゴールは、過去に縛られている心を解き放ち、「今」を生きなさいと言います。今を生きるというのは、なにも短絡的に刹那的に、「パーティー、イエ~イ!」みたいに生きることではないですよ。

コロナ以前においてはカネを稼げていた、それはすでに過去のことであると、まず認識することです。今は稼げていないのだから、まずは、過去は過去、今は今と思うこと。これが希望を自家発電する出発点です。
だから、奥さんや彼女は、旦那に(彼氏に)「コロナで減った収入、どうするつもり? あなた稼いできてよ」と言ってはいけないのです。ましてや「稼ぎが減った? サイテー! 離婚の準備するわ」と言ってはいけないのです。そんなことを言うからDVなのです。

そういう「今」を、夫婦で「作る」ことができるか否か

さて、そのうえで、いま身の回りに起きている変化を知ること。過去は過去、今は今と思えたなら、今に気持ちを向けることです。
今、まさに空が茜色に染まり、夕陽が沈もうとしています。それを美しいと思えるか否か。
いま、家族でおいしいものを食べています。そのとき「おいしいね」と言えるか否か。
そういう「今」を、夫婦で「作る」ことができるか否か。

夫婦でつくろうたって、夫がむすっとしていて今にも暴力をふるいそう……ですか……。
であれば、「済んだことはもういいよ、忘れよう。無一文になってもいい。「今」ここから一緒に新たにはじめよう」と旦那さんに言ってあげてください。
過去に心を縛られて、「今」変化している事物に気持ちが向かないところからしか絶望は生まれないのだから。(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

※ここにご紹介したキルケゴール哲学の解釈は、日本のアカデミックな世界においては超マイナーな解釈を、2000文字ていどのコラム用にさらに薄めたものです。
メジャーな解釈は、キルケゴールはキリスト教を熱心に信仰したから絶望から救われたというものです(これは明確な論拠をもつ、学問の世界にふさわしい説です)。
がしかし、絶望から這い上がるために幾多の労苦を乗り越えてきたキルケゴールの生き様に、ぼくはキルケゴールが言いたかったであろうことを見出し、それをもとにコラムを書きました。(なので、アカデミックな世界の住人の反感を買うコラムになっているはずです)。
より正確なことをお知りになりたい方は、下記に挙げた文献などを参考になさってみてください。

※参考 キルケゴール・S(鈴木祐丞訳)『死に至る病』講談社

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