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【日本の恋愛の歴史】明治以前に「恋愛」はなかった、ってほんと?

  • 2020.4.1
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突然ですが、「恋愛」っていつ頃できたかご存知ですか?
今の時代、恋愛はみんながして普通だという認識になっていますよね。ですが、かつては日本には恋愛はなかったのです。
今回は、日本における恋愛の歴史について紹介していきます。

日本に「恋愛」ができたのは明治時代から

日本に「恋愛」という言葉ができたのは明治時代のこと。英語のLOVEの翻訳として日本に入ってきた言葉です。

では、それまでは男女関係の諸々はどのように表現されていたかというと、「色」とか「恋」と表現されていたと言います。

「色」や「恋」が現在の「恋愛」とイコールの概念だったかというとそうではありません。「色」や「恋」は、玄人の女性(芸者など)と男性の間に芽生える感情や関係性だったのです。

なぜそれまで現在の「恋愛」が存在しなかったかといえば、自由に異性を好きになってはいけないし、結婚相手を自分で選ぶこともできなかったから、というのが大きな要因でしょう。(恋愛で結婚相手を選ぶことができなかった時代には、恋愛っぽいものは必然的に玄人の女性とするもの、と決まっていたわけです。)

「恋愛」という概念が日本に入ってきたのと同時期に、初めて「夫婦愛」という概念も出てきたと言われています。これまでは親が決めた生活共同体に過ぎなかった夫婦関係に恋愛が持ち込まれるようになったのです。

好きになった相手と恋愛し、結婚し、子どもを産むのが理想的だとされたのも明治初期のことです。恋愛・結婚・出産が三位一体となるような形のことをロマンチック・ラブ・イデオロギーと言います。

「好きな相手と恋愛し、結婚し、同じ相手と子どもを設けること」は、現在では普通のことに思われていますが、明治以前には考えられない価値観だったのです。

女性に「純潔・貞淑」が求められる理由は?

今では「普通」とされていることが、実は途中からできたもの、作られたものであるケースは多々あります。

女性にだけ貞淑さが過剰に求められる(女性の不倫は男性よりたたかれる。セックス好きな女性はヤリマンとよばれるなど)ことにも歴史があります。

1940年代、日本では男女共学がスタートしました。それまでは男女は別の学び舎で学んでいたため、年頃の男女が出会う方法があまりありませんでしたが、同じ学校となれば事情は違ってきます。そこで、男女共学による風紀の乱れを心配した日本政府が、純潔教育委員会を立ち上げ、純潔教育の実施をスタートさせたのです。

純潔教育とは、男女一対一の交際を禁じ、結婚前の性向を否定するものでした。そして、この純潔教育では、女性側に純潔を守ることを強く要求されたのです。

そういった流れもあり、1940年〜50年代の日本では、結婚前に性向することはふしだらである、性向してしまった女性は傷物になる、と考える男女が多かったのです。

今から振り返ってみると、「なんでセックスしただけで傷物に?」「結婚までセックスしない人って少数派」と、過去がおかしかったように感じますが、当時は、それが普通の価値観だったのです。

さいごに。地域限定・時代限定の「普通・当たり前」に縛られすぎる必要はない

今回は、日本の恋愛や性愛の価値観の移り変わりについて、かいつまんでご紹介しました。

「今、普通だと考えられている男女のあり方は、今の時代特有のもので、変わる可能性が多いにある」ということを覚えておけば、今現在の「普通」に無理をして自分を合わせることの愚かさにも気がつくことができるでしょう。

参考文献:
『セクシャリティの戦後史(変容する親密圏・公共圏)』(京都大学学術出版会)
『男たち女たちの恋愛 近代日本の自己とジェンダー』(勁草書房)

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