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【齋藤薫の美容自身】人のせいにする女、自分のせいにする女

  • 2020.3.11

“世界で最も美しい顔100人”は、なぜいつもモヤモヤ疑問が残るのか?

毎年ネットで発表され話題となるのが“世界で最も美しい顔100人”。注目度の高さに反し、一映画評論サイトの主催者が独断でランキングするとの噂。投票も何もない。だからその結果には毎年疑問の声が湧き上がるといった具合。

ちなみに、2018年版は日本から小松菜奈、石原さとみ、湊崎紗夏(サナ)、丹羽仁希、篠崎愛の5人がランキングされ、2019年版では新たにAKB系のメンバーから岡田奈々、女優の山本舞香が加わった。韓国からは毎年ゾロゾロ名前が挙がり、最近は中国、台湾、タイなどアジア各国からも幅広く選出されるようになったものの、だからといって、フェアに選ばれた100人なのかは不明だ。

いやそれ以上に疑問なのは、そもそも1位と100位にはどういう差があるのか、50位よりも49位のほうがどう美しいのか、そこにまったく説得力がないこと。個人の気分とこだわりで100人を順位づけしていることは明らかだ。

でもこれは今に始まったことではない。過去における美人コンテストのことごとくが、何を基準に1位を選んできたのか、そこに明確な基準も確固たる答えもない。ズバリ、美しさに順位などつけられないからである。

オリンピックを前に、あらゆる競技で出場選手の選定が始まっているが、先頃、卓球の全日本選手権で優勝した早田ひなはオリンピックに出られない。出場選手を決める試合には勝てなかったから。一発勝負はすっきりするとはいえ、やはり残酷。非情だけれど、もうそこに不満や異論を唱える余地はない。

つまり、数字や記録がすべてのスポーツ界ですら、いろんな理不尽が発生する。ましてや一般社会では営業成績以外、人間の順位が数字で決められるわけもなく、社員の査定も、やっぱり主観。何が基準かわからない中で、私たちも評価されているのだ。だから嫉妬も生まれるし、挫折も生まれる。ラッキーなこともあるけれど、アンラッキーなこと、不公平感も山ほどある。それが多くの人にとっての実感なのではないだろうか。

とりわけ有能さや才能に順位をつけるのは非常に難しい。たとえばピアノやバイオリンの世界的なコンクールなどでも、その結果は毎回物議を醸す。いかに世界的権威があっても、いかにすごい審査員を集めても、必ず異論が出るのが“才能の順位”。

仕事の有能さも同じで、本意ではない部署に異動させられたり、自分より劣っているはずの人間が責任ある立場になったり、よほどの力の差がない限り、モヤモヤが残るのだ。世の中にはそうした理不尽な采配が山ほどある。明らかに間違った采配が山ほどある。いや、そう考えておいたほうが無難。

これに比べれば、学校の成績はフェアだった。結果が悪ければ自分の責任、基本的に誰のせいにもできなかった。でも常にうつろな社会の評価に翻弄される私たち大人は、どうやって平常心で生きていけるというのか。

メーガン元妃は、なぜたった2年しか我慢できなかったのか?

そこで考えた。理不尽な評価をされたとき、どうするか? ただ、ここにある答えもまた理不尽に感じるかもしれない。たった一つの方法は「自分自身にも非があると思うこと」、だからである。

理不尽な評価だけじゃない、言い争いになったり、許せないことが起きたときも、実は出会い頭の事故のように非はお互いにあり、と思うこと。100%自分に非がないと思ったところに悲劇が始まる。全部、相手のせいにしてしまうと、それっきり。何の解決も、何の納得もなし、世の理不尽に泣くだけだ。そうではなくて、半分は自分のせいと考えて、理由を探すこと。必ず理由が見つかるはずだから。

それも不思議なもので、自分のせいにすると実はすごく楽になる。人のせいにしっぱなしだと苦しいばかり、人を恨むほど、実は人間苦しみもだえることになるのだ。いや一見“人のせい”にしてしまったほうが楽に見えるのだろう。でも実際には逆。恨んでも恨んでも、解決にはならないからだ。ましてや仕返しを考えれば、自分が痛むだけ。その点、自分のせいにすると、自分のどこがいけなかったのか、どうすれば正せるのかをちゃんと考えるから、必ず着地点があり、必ず気持ちがすっきり落ち着くはずなのだ。どんな理不尽な評価を下されても。

つまり、自分のために自分のせいにする。自分を救うために自分に原因があると思う。それが身についてくると、本当に生きるのが楽になる。それ以上に、自分がみるみる成長するのを感じるだろう。人間、何をすれば成長するのか、とても不確定だが、そうやって何事かが起きたとき、ちゃんと自分のせいにすると、人は間違いなく成長する。面白いくらいに。

でも、何でも人のせいにして終わりの人は、1ミリも成長がないどころか、むしろ後退していく。誰かのせいと、人の落ち度を探し、逆に自分を正当化するから、必然的に心が歪んでいく。実は、人生で最もやってはいけないことなのだ。

どうしても何かのせいにしたいときは、なるべく大きなもののせいにする。社会とか、政治とか、世の中の仕組みとか。まさに罪を憎んで人を憎まず。その人が罪を犯すまでには事情もあったはず……そう考えることが自分を救うことになると、聖書にも書いてあるし、孔子もそういっている。つまり人間の揺るがない掟なのだ。

シンデレラは継母や義姉たちにいじめられ、自分だけ舞踏会に行けなくても、人を憎むことがなかったから魔法使いに助けられ、幸せになる(『本当は恐ろしいグリム童話』では、シンデレラが彼女たちに復讐する結末になっているが)。

今や、窮屈な英王室から解放されて一見幸せそうに見える現代のシンデレラ、メーガン“元妃”だが、離脱に至ったプロセスの中で、自分の身に起きた不都合を、おそらくすべて他者のせいにしていたはずだ。自分が英王室になじめないのは英王室の理不尽なルールのせい、そして人種差別のせい、多くのバッシングはもちろん意地悪なマスコミと世論のせい。とりわけ、公務ができなくなったこと、プリンセスの称号を使えなくなったことは100%エリザベス女王のせい……。

もちろん実際そういう側面もあったのだろう。でも、そのうち何割かでも自分のわがままや浪費のせいと思うことができたら、こんなにも早く英国と英王室を逃げ出すことにはならなかったはず。鳴り物入りで嫁いだ国でたったの2年しか我慢できないのは、堪え性がなさすぎる。だいたいが、どんな結婚より“相手の家の事情”がよくわかっていたはず。わかっていて我慢できなかった自分が悪いという意識はゼロのよう。王室から独立すること自体が悪いのじゃない。そっくり人のせいだから批判を受けるのではないだろうか。

従って、彼女たちを追いかけるカメラとバッシングの数は減らないのだろう。むしろ以前より品性にかけるエゲツない言葉で容赦なく叩かれるのかもしれない。そのときまたそれは自分のせいではなく100%世の中のせいだと考えるとしたら、この人に未来はない気がする。歴史に名を残すことにはなるのかもしれないが。だから、今回のことを多少とも自分のせいと考えるのは、それこそ自分を救い、ヘンリーを救うため、そのくらい切実な問題であることを、心に刻みつけてほしい。そうでないと英国に黒歴史を刻みかねない。ブラックシンデレラにならないために、ぜひ。

世の中は理不尽なことだらけ。でもそれを心静かに受け止めて、ちゃんと自分の問題として解決する、そうしないと幸せが訪れないことを、改めて肝に銘じておきたいのだ。いや現実には、ちゃんと自分のせいにできる人なんて1割2割いるかどうか。だからあえていうのだ。自分のせいにできる人の勝ち!

齋藤薫の美容自身/格言
齋藤薫の美容自身/格言

撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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