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次のステージへ!義足モデルGIMICOが、言葉での表現を始めた理由

  • 2020.1.24
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日本で初めての義足モデルとして、著名フォトグラファーの被写体やさまざまなミュージックビデオ、有名企業のCMなどに出演し、2016年リオパラリンピック閉会式ではパフォーマンスを披露したGIMICOさん。前回は、モデル業やサロン経営についてお聞きしましたが、今回は最近始めたというトークショーについても語ってもらいました。

これまで、あえてビジュアルだけの表現にとどめていたのには理由がありますか?

モデルを始めたときは、言葉で表現することはやめようと思っていました。それは私が言わなくても勝手にイメージづけられてしまう部分が多いし、私が何かを言うことで、その言葉が強すぎて、“GIMICO”とはこうと決めつけられたり、言葉が一人歩きしてしまったりすることが嫌だったんですね。あと私の場合、やはりビジュアルの衝撃というのが、何よりもウリだと思っていたので、あえて言葉で伝えることはやめておこうと思ったんです。

実際にトークショーに出て、話しをしてみていかがですか?

地方の自治体主催の障がい者支援イベントや地方のリハビリテーションの学校の学園祭など、いわゆる福祉関係のトークショーに出演させて頂きました。それは今まであえてやってこなかったことなんです。そういう場では、義足の説明に始まり、「切断したときはどういう気持ちでしたか」「義足で大変なことは何ですか」みたいな今までの経緯などの説明を、求められることが多いです。

そういうことは何度かインタビューでは答えていますが、昔のことすぎて忘れている部分があったり、義足についても人それぞれ違うしなぁと答えを迷ってしまうことがあります。だから早く自己紹介的な講演を終えて、次の段階に進みたいなと思いますね。ゆるキャラコンテストの審査員とか(笑)。

経緯を説明することに抵抗があるということですか?

私の話を聞くときに「もし自分が足を切断することになったら…」から、考える人が結構多いんです。でも私はそれに少し戸惑ってしまって、というのは、当時の気持ちを自分でも明白に思い出せないから。今や当人にもわからないのに、意外とそれが主軸になってしまう。いきさつを説明する上で、不可欠なことだとは思うのですが、普段私が生活している上でそれが話題になることはないし、わざわざそんなことを話すのは、いささかヤボなことだと思っていました。

でも今は逆にそのヤボなことをやっている。なぜやろうと思ったのか、その答えを行く先々で探しているんですけど、まだ行き着いていないですね。モデルとして場数を踏んできた自信でやっているのか、自分でもわからないですが、言葉で説明するというヤボなことを、あえてやり始めた自分に興味があります。

そもそもそれを”ヤボなこと“と思うのはなぜですか?

まず、人それぞれ違うし、答えも正解もなくていいことをわざわざ話すことがヤボだと思っていますが、昔から全部ドラマみたいだなと思っていたんですよ。

例えば中学生の女の子がガンになりました、そうするとクラスから千羽鶴が送られてくる、学年代表の先生がこういう理由で彼女は足を切断しましたと全校集会で説明する、担任の女性の先生が泣きながら、「頑張っていこうね」と言うみたいな。「ちょっとそれ、みんなお涙ちょうだい系ドラマをなぞりすぎじゃない?」と。この障害をこうして乗り越えました、という説明が必ずほしいんですよね。

私は健常者の頃も、障がい者になってからも、そういうのを見てきて、そんな人ばかりじゃないだろうとずっと思っていたし、すごくオリジナリティがないなと思っていたんです。やはりタブーな世界でもあり、口に出しにくいことでもあると思うから、障がい者とはこういうものだよねという筋書き通りにやっているのかもしれないですけど、少なくとも私はそうじゃないし、それだと面白くないと思ったから、しゃべり始めたのかもしれない。

言葉で表現してみて、ご自分の気持ちや聞き手のリアクションはいかがですか?

そこで何かを変えたいとか、そうじゃないと伝えたいとか、そういうことではなくて、私の場合はこうですと話すだけ。体験談といっても、あまり覚えていないですけど、私は障がい者になる以前から、障がい者のことをかわいそうだと言う人たちに違和感を持っていたと思うし、“幸せか幸せじゃないかは人が決めるものではない”そんな思いから、自分を飛び道具として投入したのかなと。面白かったというリアクションを頂きますが、まだまだだと思います。

ただラジオに出させていただいたときもおもしろかったですし、サロンワークもカウンセリング的なところがありますし、しゃべるのは嫌いではないから、話してみることで自分の中の可能性を自分で探っていて、何が向いているのか、何が人に喜んでもらえるのかというのを探している状態だと思います。

モデルとしての撮影と福祉関係の講演だとずいぶん場が違いますよね?

福祉や障がい者などの分野の講演に行くと、私は障がい者の要素多めで迎えられるので、事前の質問や確認事項も特殊です。

例えば「登壇していただく際の階段は何センチくらいで、それが何段ありますが昇降は問題ないでしょうか」とか、「トイレは障がい者用ではないですが大丈夫ですか」とか。

一方で次の日に撮影があるとするじゃないですか。それは別に事前確認はないけど、行ってみたら撮影場所が階段で地下3階だったり、崖だったり(笑)ということもあるんですよ。それもある意味特殊です。

どっちがどっちということではないですけど、すごく差があって、“モデル”として迎えられる現場と“障がい者(要素多めの)”として迎えられる場がある。そういう日々のコントラストは他の人にはないことだろうから、面白いですよね。それを面白いと思えるセンスが自分の中にあると思っていたことも、GIMICOを始めた理由のひとつなのかもしれないです。

障がい者として迎えられることに違和感はありますか?

ないですね。だって障がい者ですし。確認事項は面倒なときもありますけど、仕方がないとも思いますし、私はどちらかというと障がい者に慣れていない自分がいるので、障がい者でありながら障がい者の方は、どういう風に扱われるのがいいんだろうと考えちゃうんですよ。風邪の症状がひとりひとり違うように、同じ義足の人でもどれくらい歩けるかだとか、ちょっとずつ違うと思うんですよね。

義足の人のことでも、他の人のことはわからないわけだから、例えば目が見えない人はどうなんだろうとか。自分が招く側だったら、事前に何も聞かずに当日焦って変更が出るより、前もって聞いておいたほうがいいのかなとも思うけど、こんなに聞いてしまったら失礼かもしれない、障がい者扱いしすぎていて不快にさせてないかとも心配になります。障がい者・健常者問わず、そういうことをスマートにこなしている人を見ると、本当に尊敬します。

実際に不快に思われたこともあるのでしょうか?

だから私は自分がいかに快適に生きられるかを考えてきたと思いますね。職業を義足モデルと名乗ることもそのひとつ。

普段ちょっと会ったくらいでは義足であることはわからないし、この先深く関わるかもわからない人には、言わないじゃないですか。だけど後でわかるとちょっとモヤっとしますよね。「え? そうだったんだ、ごめん!」と言われて、少し気まずい空気が流れる…みたいな。生きていく上で必ずしもわざわざ障がい者だとか、義足だとか自分から言わなくてもいいと思っていますが、後出しは誤解を生むことが多いから、初対面のときに話しておくほうが、もしかしたらとてもやりやすいのかなと。

私の場合はその微妙な部分がすごく面倒だと思ったから、最初から義足だとわかるように職業をそうしたんですよね。そうするとそのことについて質問されるのも答えるのも、自然な流れになるというか。

日本初の義足モデルとして道を開かれたと思いますが、ご自分で意義みたいなものを感じることはありますか?

ネット上で不特定多数の人に褒められても、あまり実感がないんですけど、パラリンピックからしばらく経って、夜中に飲んで帰ってるときだったかな。急に自転車が止まって、知らない青年から「GIMICOさんですよね? こないだの見ました。すごくかっこよかったです。ありがとうございました!」って言われて、そのときすごくうれしかったんですよ。

私はどちらかというと、人に勇気を与えたいとか、感動を与えたいとか、という表現者は苦手で、どうしたらその域にいけるんだろうと思っていたくらいですが、スターでもなければ、有名でもない私にわざわざ自転車を止めて、声をかけてくれたことにものすごく感動したんですね。もし今後そういうダイレクトな機会が増えたら、私のこの凍った心も溶かされて、エモーショナルな人間になれるのかもしれません(笑)。

今後のキャリアについては、どう考えていらっしゃいますか?

何年か前は一生を捧げるような仕事を見つけたいとか言っていましたが、この1、2年で色々変わって、一生その仕事だけをやっていくのもナンセンスになってきたこの世の中、気が向くままでいいのかなと思ったりもします。これまでまだ自分の想像を超えるような出来事がないんですよ。もちろんパラリンピック閉会式に出るとか、具体的な予想はしていなかったですけど、夢にも思わなかったみたいなことはないですね。たぶんバンドを組んだ高校生が「いつかは武道館!」と思うように、表現をする人なら誰もが大きなキャパで夢見ると思うんです。

アンダーグラウンドな世界でやるだろうと思っていた私でも、やはりそういうイメージはするわけで、周りの人に「夢にも思わなかった」と言われても、「いや、わかっていたし」と言いたくなるくらい、勝ち戦しかしていない自信があります。

それくらいの可能性があると思わないとリスクを持って挑戦しないですよね。今までやってきたことは全部よかったですが、これがものすごくよかったみたいな高まりはないかもしれない。それを求めながら、生きていくのがいいのかもしれないですね。

キャリアだけでなく、これからどんな人生にしていきたいですか?

いつかは人のために生きてみたいなとも思いますし、具体的に何かはわからないですけど、キャリアも人生全般においても、まだ自分の中に可能性があると信じているんですよね。サロンを始めたときは、私は自分の城的な自分で完結できる環境がほしかったと思うんです。でもこれから年をとっていく上で、人と関わっていくことも必要だろうなと。刺激というのは他者との関わりで生まれると思うので。なんだか涙が溢れてくるみたいな、そういう経験をしたいなと思いますね。

私はどちらかというと冷蔵庫の残りもので生きてきたタイプ。自分はこういう性格で、こういうカラダで、こういうことを面白いと思う人間で、というのを俯瞰で見て料理してきた人生だけど、これ以上の世界がきっとあるじゃないですか。見ず知らずの青年に言われただけでぶわっとくるということは。自分で自分を把握していたい人間だから、そこを知ることに自分の中でブレーキをかけているのかもしれないし。今まで本当に一人でやってきちゃったよねという感じで、人生に自分しか登場人物がいないので、もうちょっと増やしていったらいいのかなとか思っています。そうしていくうちに新しい可能性とか、自分も知らなかった感情や意外な一面に出会えるのかな。

常に“GIMICO”という存在を客観的に見ながら、嘘もきれいごともないリアルボイスで表現の幅を広げている真っ最中のGIMICOさん。面白いことを探し続けていくことで、みずから道を切り開き、これからますます面白いことをしてくれそうな彼女から目が離せません!

OFFICIAL WEBSITE

GIMICO SALON

Instagram/@gimico_gimico

text:江口 暁子

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