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旦那のことが無理だけど旦那にやさしくしたい【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2020.1.13
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“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお悩みの中からひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えしていきます。

「ちーさん47歳」のお悩み

人生に軽く絶望してる人はセフレになりやすいという記事を拝見し、何度も読み返してしまいました。夜の生活を主人から拒否され、それこそ軽く絶望し、ネットで知り合った方とそろそろ2年の付き合いになります。

彼との付き合いが深まるほど主人への愛がどんどん無くなっていく感覚があります。始めは割り切っていたんですが、感覚的に主人と一緒にいる時間が苦痛になってきてしまいました。かと言って子どもも小さいので離婚しようとは思いません。

彼が愛してくれるのはセックスありきとは分かっています。私も彼なしではいられない体になってしまいました。元に戻るのは無理と分かっているんですが、せめて主人に対して優しくしたいです。自分勝手な悩みとは分かっているのですが、何かアドバイスを頂けると助かります。

〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜

今このタイミングで相談してくださって、本当によかったと思います。

今のタイミングを逃してしまって、旦那さんのことが100%無理だと思ってしまえば、もうそれは本当に文字通り100%無理ということであって、「もし」もなければ「でも」もなく、「もう無理だから寄ってこないで」とかと言ってしまう。これが女性の一般的なあり方だとぼくは思っています。

そうなってしまえば、もう旦那さんにやさしくなどできないでしょうから、今のタイミングでよかったと思うのです。

「変化」から見れば、ごく当然のことかもしれません

さて、人って変化しますよね。たとえば5年前と今とで、ちーさんの考え方や肉体は変化していますよね。

ちーさんの変化に伴って、ちーさんと旦那さんとの関係も変化していますよね。

ちーさんに限らず、誰だって、時の流れとともに自分の考え方や身体つきが変化し、それに伴って、伴侶をはじめとする周囲の人との関係が変化しますよね?

その変化の一環として、旦那さんとの性生活に限界を感じるというのは、ごく当たり前であるようにぼくは思います。

自分という存在が絶えず変化しているのだから、伴侶とエッチしたい気持ちが「ある」から「ない」へと変化しても、ちっともおかしくはないはずです。そうじゃないですか?

変化に対する世間の見方

でも、その変化を認めてしまえば、話がややこしくなるので、たとえば日本の法律は、一度結婚したら離婚届を提出するまで、そのような人の気持ちの素直なあり方(変化)を認めないですよね? 離婚するまで、夫婦の夜の営みは適度になされるべきだというのが、一般的な法解釈だとぼくは理解しています。

でもそれは、日本の国や世間が「便宜的にそう決めただけ」であって、誰がなにを決めようと決めまいと、人の考え方や肉体は日々変化し続けているのですよ。だから、ちーさんが旦那さんとの性生活を諦めて、新しい男性と性行為をすることは、おかしなことでもなんでもないとぼくは思います。

妻に「女」を感じなくなったということではなく、疲れているのです

さて、どうすれば旦那さんにやさしくできるのか? というご質問について。

不倫相手とエッチして帰ったら奥さんにやさしくできる……こういうことを言う男もいます。男って、不倫相手と満足したら大きくやさしい気持ちになるんですね。なぜか不思議と。サザンオールスターズの歌詞にあるように。

女性であるちーさんは、どうすれば旦那さんにやさしくできるのでしょうか?

ぼくは女性のことがよくわからないので、旦那さんの視点から答えたいと思います。

相談メールから推測するに、旦那さんは疲れています。妻との夜の営みを断る夫というのは、なにも妻に「女」を感じなくなったということではなく、疲れているのです。

会社で精神を細かくすり減らしすぎているのです。

疲れている旦那さんとは、五感が死んでいる旦那さんです。頭であれこれ考えすぎて、生活のなかで「感じること」がないのです。だから疲れるのです。

解決策

ちーさんにとっては少々精神的にきついかもしれませんが、旦那さんにやさしくしたいのであれば、お休みの日に夫婦ふたりでそこそこ大きな公園にでも行って自然を感じてみてはいかがでしょうか。

そしたら、旦那さんがちーさんに何を望んでいるのかが、漠然とではあっても見えてくると思います。

あるいは、子どもをおいて夫婦ふたりで少々高いレストランで食事をしても、旦那さんがちーさんに何を望んでいるのかが見えてくるはずです。

その見えてきたことを、旦那さんにやってあげる――これが旦那さんにやさしくするということの意味だとぼくは思います。相手が欲しがっているものを提供してあげるのです。

とりあえずは、それでいいんじゃないでしょうか?

具体的にやれば罪悪感をあまり感じずに済むと思うのです

あれもこれも旦那さんに与えつつ表向きをとりつくろって仮面夫婦のように生きるなどということをしなくても、最低限、旦那さんが欲しがっているものだけを旦那さんに与えることで、十分、旦那さんにやさしくすることになるのではないでしょうか?

たとえば、旦那さんが、家族としての愛を感じたいと言うのであれば、夕飯から寝るまでの間、「家族する」だけでいいのではないでしょうか?

これはこれで、ちーさんにとっては立派な「二重生活」になり、苦痛を伴うかもしれませんが、相手が欲しがっているものを具体的に提供する二重生活と、漠然と仮面夫婦しなくてはならない二重生活とでは、苦痛の度合いがちがうはずなんですよね。

言うまでもなく後者のほうが精神的にきついです。前者は、やるべきことがわかっているので、そうおおきな罪悪感もないでしょうし、それこそやさしい気持ちでいられるように思います。(ひとみしょう/作家・コラムニスト)

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