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いつもミスチルを聴いていた。

  • 2020.1.10
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「ダーリン ダーリン いろんな角度から君を見てきた」。Mr.Childrenの「しるし」の歌詞のように、いろんな角度から誰かを好きになったり、想われたい。だけど、そうやって恋をした相手に、気安く思いを伝えるなんてできるわけがない。エッセイスト 中前結花さんがJ-POPになぞらえて書く連載エッセイ、最終回。

慌ただしい12月の終電間際。
飲み会帰りなのか愉しげな人混みがごった返す「明大前駅」のホームのベンチに座っていた。
右手には、先輩に自販機で奢ってもらったペットボトルのホットコーヒー。
思いの外、口当たりがよくて、冷えた両手を交互に温めるのにもちょうど良かった。

「それで?」
先輩は話を続けるよう促してくれる。
忘年会の帰り道、そもそもこの人は本来、ひと駅前で降りるはずの人だった。
それなのに、わたしが唐突にわけのわからないことを言い出したものだから、降りるのをよして、「終電までな」と明大前駅まで来てくれたのだ。

7つくらい歳上で、「先輩」というより「兄(あん)ちゃん」みたいな気易さの、信頼できるひとだった。だからわたしはつい話してしまったのだ。

「好きな人がいるかもしれない」

「それで……。別に続きはないんだけど。なんというかもう、術がなくって」
「断られた?」
「ううん、なにも言ってない」
「ん?」
「言ったことない、好きなんて。男の人に、言ったことない」
「でも言おうと思ったんだ? そういう相談でしょ? これ」
「そうなんだけど。ミスチルが。話せば長いんだけど、これは、全部ミスチルの話なんですよ」

話は20年以上前にまで遡る。小学生も低学年のころ。
Mr.Childrenが次々と曲を発表し、当時の日本の歴代シングルセールス1位を塗り替えたりしているころ、わたしはちっとも「ミスチル」なんて好きじゃなかった。
上ずったような甘ったるい声で、意味ありげに「愛」のことばかりを歌っている。歌番組のランキングでは、当時お気に入りだったKinKi Kidsの邪魔ばかりする「子どもの敵」だと思っていた。

音楽に興味を持ち、J-POPの歌詞が収録されている「月刊歌謡曲」を購入しはじめた当初も、ミスチルのページは当然のように読み飛ばすばかりで、まだまだ「大人の愛の歌」はわたしには退屈で仕方なかった。

それなのに、従兄弟のお兄ちゃんらに連れられて那須高原に行ったときのことだ。車の中で流れていた「Everything(It's you)」を聞いて、わたしははじめて「歌詞をノートにメモしたい」という衝動にかられた。

STAY
何を犠牲にしても手にしたいものがあるとして
それを僕と思うなら
もう君の好きなようにして

Mr.Children / 「Everything(It's you)」

散々、「何を犠牲にしても君を守るべきだと思っている」と序盤で語っておいて、最後の最後にこの男性は、相手側に「もう君の好きなようにして」と告げる。
まだ初恋も知らないくせに、“これはなんてことだろうか”と思った。

那須の高原なんてどうでもいいから、わたしは早く家に帰りたかった。
そして詫びるように、引き出しの奥から、持っている限りの「月刊歌謡曲」をすべて引っ張り出して、これまでのミスチルの多くの歌詞に目を通し、夢中で線を引いた。
なんだかよくわからないけれど、相手の魅力に「引きずり込まれる」とはこういうことなんだろうな、とその小学生はとにかく思った。

そこから。歌詞は、特段、「ミスチルの歌詞」はわたしの中で特別なものになってしまった。

以降もそんな調子で、わたしは新譜が出るたび、歌詞に目を通し虜になる。
ファンでもなけりゃあわかりっこないけれど、偏頭痛持ちであることさえ少し誇らしい気がしていたし、サボテンが赤い花をつければ丁寧に指先でよくよく撫でていた。

そして、時にはそれが、わたしの恋路を無闇に邪魔した。
すべては名曲「しるし」のせいだ。

ダーリン ダーリン
いろんな角度から君を見てきた
そのどれもが素晴しくて
僕は愛を思い知るんだ。

Mr.Children / 「しるし」

最初は、なんてことない。ただのドラマ主題歌のバラードだと思っていた。
だけど、この曲が結婚式会場で流れている様子をテレビで見たときだ。

「ダーリン ダーリン いろんな角度から君を見てきた」

そのとき、幸せそうな、そして、どこかほっとしたような新婦の母親の顔が写り込んだのだ。
「ここがいい」だとか「こんなきっかけがあったから」だとか。
そんな、タッチで触れるような局所的な接点ではない。
「ずっといろんな角度から見てきた」
「いろんな顔を持つことを知ってきた」
「その上で、“この人がいい”と選んだのだ」
という事実が、どうしようもなく尊く、とても揺るぎない納得感のあるもののように感じられた。

当時、大学に入ったばかりのわたしはそれを見て思う。
わたしも、いろんな角度から見て、相手に恋したい。同時に、いろんな角度を見せたうえで、誰かに選ばれたい。
そして、自分の母にも、この新婦の母親と同じような気持ちにさせてあげたい、とそう思ってしまったのだ。

その想いを果たすように、わたしの恋心は以降も「ひと目惚れ」や「誰かの紹介」では決して膨らむことはなかった。

バイト先では、やる気のかけらなど微塵も見えないのに、誰もやりたがらない排水口の掃除を黙々とこなしてくれる目立たぬ人に恋をしたし、社会人になってからは、調子のいいことばかり言うくせに、本当は誰よりも繊細で心配性な同僚に想いを寄せていた。

ダーリン ダーリン
いろんな顔を持つ君を知ってるよ
何をして過ごしていたって 思い出して苦しくなるんだ

Mr.Children / 「しるし」

すぐそばで。大勢の中で。たまにはふたりで。
そんなふうに、「いろんな角度から」「いろんな顔」を見て、わたしははじめて恋に落ちる。友人たちは「しるしの病だ」と笑ったけれど、気安く「好き」とは思えず、わたしはいつまでも、そんなことを夢に見ていた。

そして時は流れ、編集者をしている友人たちとの席でたまたま「しるしの病」の話をしたことがきっかけだったと思う。
「J-POPに絡めてエッセイを書かないか」と話をもらった。

わたしは、自分の人生をなぞるように、「排水口掃除の彼」の話から綴りはじめ、やがて「ミスチルの『しるし』について書く」、というゴールを見据えて連載を執筆しはじめた。時には原稿を上げきれず辛い月もあったけれど、送られてくる感想はうれしいものばかりで、ずいぶんとたのしい仕事になった。

そして、わたしには、
「いつも、あの連載読んでて。たのしみにしてるんですよ」
そんなことを言ってくれる男性がいた。

出会った頃から、「なんだかいいな」と思っていた。
おどおどとはしていない、だけど、謙虚さや腰の低さがなんだかすぐに見てとれる「良さそうな人」として、わたしの目には映った。

仲間たちで飲み会をしたとき、肩をたたいて「これ、違いますか?」と声をかけられた。細長い手のひらを開いて、靴箱の鍵を見せてくれる。
「ああ、そうです。わたしが落としたんだ、ありがとう」
そんな返事をしたのが最初だったと思う。

名前もよく覚えていなかったけれど、たまたま彼が書いた文章を読んで、あとから「あの鍵の人が、これを書いた人か」と知った。
やっぱりいいな、とわたしは改めて思った。

これまでの人生、いろんな角度から眺めて、恋をして。
だけど、自分から誰かに想いを告げるようなことは一度だってしたことがなかった。
ただ祈るように、唱えるように、「どうか、どうか」と念じていて、たまにそこに奇跡が重なってお付き合いに発展する、というのがわたしの定番だ。

それなのに、今思えばどうしてそんなことができたのだろう。
その鍵の彼には、「また集まるから」ということを口実に、自分から連絡先を聞き、週末には自分から写真展にも誘ったりした。

彼はミスチルが好きだった。わたしもミスチルが好きだった。
「あまりにも気の合う友人を見つけたから」
ということにすればいい、そんな言い訳がわたしを勇気づける。
たまにはふたりでお酒も飲んだ。
だけど、話せば話すほど、もっといいと思ってしまった。

わたしの行きつけの居酒屋で飲んだとき、そのときもやっぱりミスチルの話になって、彼は、
「『NOT FOUND』って、桜井さんが最高傑作って言ったらしいんですよ」
そんな話をしてくれた。

「イントロがいいんですよね。歌いはじめから、“僕はつい……”って盛り上がって」
「そう、歌いはじめがね。いいな」
「いい」
「いいんだよな」

そんな話をもう数時間もして、店員さんに「そろそろお会計を……」と催促されたものだから、コートに手を通したときだった。
「僕はつい……」
と、それはもうドラマのエンディングのように店内の有線から「NOT FOUND」のイントロが流れはじめたのだ。

素振りも見せずに過ごしてきたけれど、もうだめだった。
わたしの中で確実に、熱いなにかが溶けはじめてしまった。

それからも何度もふたりで出かけたけれど、彼は変わらず涼しい顔をしていて、そこにはなにも感じる気配がなかった。
連絡をするのは決まってわたしから。勘違いさえ、させてくれない。

自分の胸の内に、なにかがあるのは確実だったけれど、これまで「念じる」ことを専門に、「勝てない戦はー」と生きてきたわたしにとって、何度もこちらから声をかけるような、そんな見たことのない自分は、嫌で恥ずかしくてたまらなかった。

ミスチルがこれまでの全曲を収録した『全曲詩集』を出すと知って、わたしたちはすぐにそれを買った。
そして「お互いに線を引いて見せ合おう」と約束をしたのだった。

だけど、その約束は叶わなかった。

連絡をするのも、誘うのも自分から。
嫌な顔こそしないけれど、答えが出ているのは明らかなのだから、こんなみっともないことは続けるのをよそう、と思った。
「架空の人物だった」だとか「彼の恋愛対象は女性ではなかった」だとか、そういうことにして、早く逃げ去りたい気持ちになってしまったのだ。

そして、わたしは、自分の気持ちにふわっと蓋を被せて見えないようにした。
つまるところ、白状すると、もっと愛されたくなってしまったのだ。

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時を同じくして、憧れの女性に紹介されて出会った男性は、真面目で賢くて非の打ちどころがなかった。
夏前の陽に当たって、白いシャツがよく似合っていた。
すぐにお付き合いすることになり、連絡はマメでやさしく、こういうことが「幸せを掴む」ということだったのだろう、と胸で理解した。
原稿仕事で遅くなってから連絡しても、「起きているよ」といつも穏やかに連絡を返してくれた。
きっとわたしのことも大事に思ってくれていたと思う。

贅沢を言えば、ちょっと言葉の足りないところがあった。趣味が合わないところもあった。
それでも、自分を顧みれば「足りているところ」の方がうんと少ないんだから、そんなことを思ってはいけない、と、またもわたしは自分の気持ちにそっと蓋をしていた。

あるとき、夕飯の約束をしたのに、
「エッセイの締め切りが、間に合いそうにないの」
そんなことを言って、わたしは彼をずいぶんと待たせた。
「そうかそうか、大変だね。応援してる」
彼はきっとお腹も減っていただろうに、いつまでも時間をずらして待ってくれていた。

それなのに。
わたしは、そのエッセイに、ひと昔前の淡い思い出を綴りながら、その終わりを悩んだ挙句、「わたしは、たとえば引いた下線を見せ合うような恋がいい」と結んだ。
「書き終わったよ!」と彼の待つ店に向かうと、彼は読んでいた文庫本を丁寧に閉じて「お疲れさま」と笑ってくれた。

エッセイが公開されて、それは想像していた以上に大きな反響があった。感想が届くのがうれしくて、Twitterを開いてはうきうきとしていた。

そして本が好きな彼と神保町でデートをした帰り、信号を渡っている最中だった。彼は前を向いたまま、
「新しい記事読んだよ。おもしろかった」
と言った。
「そう、うれしい、ありがとう」
「おもしろかったんだけど」
そうして、少しの間が空く。
「ゆかちゃんにとって、僕はそういう相手なのかなって、思ってしまった」

信号が変わって歩き出したけれど、続いていく階段がゆっくりと消えていくような、足もとはよく見えるのにその奥がゆっくりと見えなくなっていくような、不思議な感覚があった。
「それはー」
言葉に詰まってしまう。

駅の入り口脇までたどり着くと、すこし早口になりながらいくつかの行き違いを説明し、「たしかに、気になっていることはある」「だけど、わたしも悪いの」とあれやこれやと言葉を並べた。

どうしたらいいのか、自分でもよくわからなくなってしまった気がしていたけれど、それすら、実はなにかを隠した「蓋」のせいに思えた。

本当は、ずっと前からわかっていたのだ。あのときからずっと。

あるとき、ふたりは「好きな本を交換しよう」と交換することにした。
わたしは、「知らない人のエッセイか、読みやすい小説がいいな」と言ったけれど、彼が貸してくれたのは、漢字でいっぱいの中国の歴史小説だった。学のないわたしは3ページと読めず、「ごめんなさい」と頭を下げて謝った、あのときから。

ふたりは花火の約束をした。うれしくて、久々に新しい浴衣を買った。
不器用でどうしようもないわたしは、数時間をかけて浴衣を着て出かけたけれど、出かけている数時間の間、一度も浴衣のことには触れてもらえず、泣きながら帰ったあのときから。

本当はずっとわかっていたことだった。
どんな角度にも、わたしには取り付く島のない人だった。

自分の気持ちに蓋をしたりすると、ずるいことをすると、自分を偽ってにこにこしていたりすると。
「また、蓋か」と神様にこつかれているような気持ちで進んでいる恋だった。
「この人と幸せになりたいな」と本当に思ったけれど、やっぱりわたしには、今回も上手くできなかった。

そうしてひとつの恋がまた、あっけなく終わってしまった。
季節はすっかり冬になっていた。

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「好きな人がいるかもしれない」

そして話は、明大前駅に戻る。
思えばいつも、右から左から遠くから、ただただ目で追っているばかりで、ついに誰かに好きだとは伝えたことがない。

「ミスチルが好きだったんです、お互いに。前にね、『NOT FOUND』の話をしてたら、お店の有線で『NOT FOUND』が流れたりして」
「なんだ、その偶然」
「その店にね、来週また行くんです。その人と」
「もうそれは……。どんな形でもいいじゃない。言った方がいいよ、ましてや12月じゃない。今言うしかないんじゃないかなあ」
「彼女がいるのかさえ聞いたことがないんです」
「うん」
「だけど、なんだかもう答えはわかってて。だから、どんなふうに言えばいいのか……」
「どんなふうに……か。難しいけど。伝えるってさ、そういうことじゃないんじゃないかなあ?」
「伝える……」
「だってさ、相手が何を言うかはこっちが決めることじゃないし。まして決められないしね。だけど、言わなくちゃいけない気持ちがある気がして自分のために言うんだから、ベストな言い方も正解の言い方もないんだよ」
「……」

「思ったことをそのまま。誰かに考えてもらったり、答えから逆算されるより、その方が自分が言われたときもうれしくない? ちゃんと自分の思ったことを伝えるのがいいじゃん。上手くいかなかったら、すぐ電話しな。いくらでも飲んであげるよ、当たり前じゃんか」

相談したのがこの人でよかった、と心から思った。
手に持っていたコーヒーはその熱を手のひらに奪われて、生ぬるくやさしい温度になっていた。

あの日の「NOT FOUND」の居酒屋の前で、わたしは待っていた。
めずらしく、時間より前についた。
めずらしく、彼はほんの数分だけ遅れてやってきた。

「入りますか」
だけど店内は、あの日とは明らかに違っていた。店員さんは言う。
「本当にごめんなさい、電気系統が壊れちゃって。今日だけクレジットカードが使えないんです。現金のみなんですけど、大丈夫ですか?」
「あ、ええ。大丈夫ですよ」
顔を見合わせながら、わたしたちは返事をしたけれど、わたしを困らせたのはそんなことじゃなかった。
「大したことじゃなくてよかった」
と彼は笑ったけれど、わたしにはその電気の問題は、とても大きな問題のように感じられた。

有線が。
店内には有線が流れていなかったのだ。
aikoも槇原敬之もSMAPも、ミスチルも。あの日ずっと流れていた、懐かしいJ-POPは流れず、ただただ年末の愉しげな宴会の声だけが響いていた。

不安な気持ちで席についてコートを脱ぐ。
別に好きなものを食べればいいのに、「あのときは、何を頼んだんだっけ」と言いながら、あの日と同じメニューをなぞるようにふたりは順番に頼んだ。

「忘年会も多いですよね」「本当にね」と話しはじめる。
「"良いお年を"って、なんか妙にさみしくなっちゃって」
と言うと、
「わかります。まだ会えるかもしれないのに、終わりなのかって感じもするし。年末のさみしさもあるし、また来年も会えるんでしょうけど、なんかさみしいですよね」

彼の言葉は、いつもわたしの心にすうっと流れ込んで、わたしは一瞬言葉を失いそうになる。だって、考えていること、選ぶ言葉が、あまりにもわたしと同じだからだ。

そして彼は唐突に言った。
「そういえば。この前のエッセイ読みました。あとその前のやつも。J-POPの」
「ああ、うれしい。ありがとうございます」
ついに胸の内がばれてしまった、と、どうすればいいのかわからないわたしは俯きかけるけれど、
「おもしろかったです。すごいわかるなあ、って。共感しました。下線の。ああいう気持ち」
と彼はゆっくり微笑む。共感……か、と思った。
「あなたに向けて書いてるんだもの」
言いかけて、慌ててビールで流し込んだ。

たくさん飲めば。ミスチルの曲がかかれば。23:30も過ぎれば。
「そろそろお開きにしましょうか」となった帰り道に「実は、あなたのことを想って書いたんですよ。きっと困らせてしまうと思うけど、それでも、なんだか好きなんです」と言うことに決めていた。

だけど、店員さんは22:00にもならないすこし前から掃除をはじめ、
「今日、22:00までなんです」
と言った。
お酒はたった2杯しか飲めていなくて、わたしはとても正気だった。

「やめよう」
ここで諦めがついた。きっとそれは、電気の故障のせいだろう。
だけど、そういう巡り合わせがきっとあるのだということも思い知った。
神様にこつかれても、もうこれはお手上げだと思った。

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冷える渋谷の街中をそのまま歩いた。
きらきらと街は光っていて、世の中はこんなに電気で溢れているのに、と思うとますます「もう、よそう」とコートの前をぎゅっと閉める。

あっという間に駅について、改札の前。“これで最後にしよう”そう思って、
「では」
とあまり顔を見ないようにして、それでも努めて笑顔で手を振った。
すると彼は最後に振り返りながら、
「“良いお年を”は、あえて言わないでおきましょうね」
そう言って手を振って消えていった。
わたしは、つくづく恋をしてるのだと思い知って、そのまま歩き出せなくなってしまった。

ようやく「言えませんでした」と先輩に連絡すると、「年内にもう一度会いたいと言うように」と急かされ、わたしはその場で考えた適当な理由を震える指で打ち込んで送信した。
だけれどそれは、とてもやさしく、わたしが絶対に傷つかないような理由で、はじめて断られてしまう。

はじめて自分から連絡先を聞いた。
はじめて自分から食事に何度も誘い、はじめて相手に断られた。
ずるいばかりの人生で、いかにも婉曲的ではあったけれど、ちゃんと敗れることができたとようやく思った。

一緒に話しているとただ楽しくて、不思議なほど同じ気持ちを抱えて生きてきた人なのだとうれしく思った。
ふたりでいるとき、3人でいるとき、大勢でいるとき。
仕事の話も、音楽の話も、古い友達の話も。
いろんな角度から見て、いろんな顔を知って、そのどれも素敵だと思った。
そして、たくさんたくさん話したのに、彼については知らないことばかりだった。

知らないことばかりのその立ち姿が、やっぱりすごく好きだった。
どんな角度だって、知るたび、新鮮に色鮮やかに「すごくいいな」と思った。

だけどその人も知らない。
毎月読んでいるエッセイが、まさか自分に宛てられていただなんて。

「息を切らしてさ 駆け抜けた道を 振り返りはしないのさ」

わたしの耳には、やっぱりミスチルの歌詞が流れ込んでくる。そうやって、なんとか改札を抜けて、ようやくまた歩き出すことができたのだった。

「やっぱり、ミスチルがいいんだよなあ」

ミスチルが、わたしをまたひとつ大人にしてくれる。
うれしいときも、泣きたいときも、いつだって。
あいも変わらず、わたしは、いつもJ-POPを聴いていた。

Photo/ぽんず(@yuriponzuu)

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