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【TAO連載vol.16】外国人に気付かされる日本への不案内。

  • 2019.12.25
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ロサンゼルスに越してきてから仲良くしている日本人の友人がこの夏、ドイツ人の男性と婚約した。

冗談好きでポジティブな彼とは私も気が合い、会うことが多くなったこの頃、ふと考えさせられることがあった。

ある日その彼は、また別の日本人の友だちなど数名で集まっている際に、脈絡もなく「ハラキリ!」と私たちに言ってきたのだ。最初は「ん?」と思ったけど、まぁ咄嗟に口をついて出てしまっただけで、特に深い意味はないのかと思って反応しなかったのだが、数日後また「日本人はサヨナラとか、ハラキリとか、フジヤマってよくいうんでしょ?」と冗談めかして聞いてきた。

「サヨナラは学校で生徒が先生に言ったりはするけど、堅苦しく聞こえるから友人同士とかでは使わないよ。フジヤマもフジサンって言うほうが多いかなぁ? あとハラキリって冗談で言うのっておもしろくないよ」と答えたのだが、家に帰ってだんだんと胸につっかえるようなものができ、なぜ「ハラキリ」と外国人の彼に言われたことが気に障っているのか掘り下げて考えてみることにした。

まずフジヤマ、サヨナラでは感情を損なうことはなかったのに対し、「ハラキリ」にだけ強く反応したのはなぜだろうか?それはやはり「死」が関係してくることと、外国の文化からはなかなか理解され難い「名誉の死」というものを、激しい苦痛を伴う切腹という形で選んだ日本人たちは狂気じみている、といったような批判が込められているような気がしたからだった。

もちろん現代人の私からしても切腹するという行為は理解し難い。ただ、そういう時代に生きて、そのような選択を迫られるような環境下に暮らしていた私たちの祖先たちを「クレイジー」の一言で一蹴されてしまうのはとても心苦しいし、はたまたその行為を「日本人らしさ」や「日本人の精神」などと概括されるのには抵抗がある。

そして悲しい気持ちになったのは戦国時代や江戸時代の武士たちに対してではなく、太平洋戦争中に切腹という形で自決をしていった人たちを強く連想していたことに気が付いた。それは私にとってより近い歴史として感情移入がしやすかったからだろうし、そういった描写がされている映画やドラマをたくさん見て育ったので、その時代の印象が強く残っていたせいかもしれない。

調べていくうちに、「切腹」の歴史は私が思っていたよりもずっと複雑で、時代によってもその概念や手法が大きく違っていることを知った。私の感じた違和感は、ある具体的な時代に限ってのことだったのかもしれないという発見にもなった。

そもそもハラキリという言葉がどうやって海外に広まったのかを調べていると、おもしろい文献を見つけた。ある大学准教授の研究によると、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパでジャポニズムが隆盛を極めた中、実際に日本から来た芸人や俳優たちによって演劇の中で「ハラキリ」のシーンが演じられたことにより流布していったというのだ。つまり「ハラキリ」を世界に「日本の印象」として印象づけたのは他ならぬ日本人自身だったということだ。

この件を文字に起こしたいと思ったので、数日後、実際にそのドイツ人の友人にインタビューさせてもらった。どこでどうやって「ハラキリ」という言葉を知ったのか、どうして私たち日本人にそれを冗談めかして言おうと思ったのか、冷静かつ正直に聞いてみた。

想像していたとおり、彼の答えは「自分が知っている日本語を聞いてほしかっただけで揶揄するつもりも傷つける気もなかった。知ったきっかけも覚えていないくらいヨーロッパでも有名な言葉だ」ということだった。私が上記したような「狂気じみていると批判されている」などといった感覚ではなかったらしく、私の被害妄想と勝手な仮定が先走ってしまったのかもしれないと思った。さらに彼は「あまりにも昔のことで、いまの日本人とハラキリを結びつけてるわけではないし、ドイツでは第二次世界大戦のことをカジュアルに話せるし、よほどのことを言わない限りそれによって気分を害したりしないから、いまの日本人にハラキリと言っても失礼にならないと思った」と付け加えた。もちろん個人差はあると思うが、確かにドイツではヒトラーをコメディ作品の中で描いたりすることも多々あり、日本とは戦後の歩み方、歴史への接し方が違うのだろうと想像する。

似たようなケースでアメリカではよく「カミカゼ」という言葉が乱用される。有名なカクテルの名前になっていたり、ホットドッグなどのファストフードのメニューにも使われていたりする。本や映画のタイトルにも幾度となく使われ、2004年に作られた邦画『下妻物語』の洋題は『カミカゼ・ガールズ』となっている。

私にはハラキリと同じように、このカミカゼという言葉を不適切に使ってほしくないという気持ちがある。カクテルに関しては、戦後日本に駐在していたアメリカ軍が東京のバーにて名付けたらしいという説があるが、よくもその時代に生きながらお酒の名前なんぞに付けられたなと怒りさえこみ上げる。

ただ「昔のことじゃない?」と言われてしまうとなんとも言い返せない。来年は戦後75年になる。75年という歳月は確かに長いけれど、75年経っていたら外国の人にそれを茶化されて気分を害することはおかしいのだろうか? 私が過敏で、執着しすぎているのだろうか? きっと個人差も大きいだろうし、ドイツと日本という国単位でも差があるように、アメリカとだって差があるし、ほかの国の人に自分の国と同じように感じてほしいと求めることは間違っているかもしれない。

結果そのドイツ人の友人は私に「意見をぶつけてくれてありがとう、ごめんなさい」と謝罪までしてくれて、いろいろな話ができたから勇気を出して聞いてみてよかったなと思っている。何より真剣に受け答えしてくれた彼の心の広さにとても感謝しているし、彼が投げかけてくれた言葉の意味をもっと深く、いろんな角度から捉えられるきっかけになった。もしも皆さんが同じように外国人の人に違和感のある言動をされたりしたら、ニコニコと笑って濁すのではなく、なぜそんな発言や行動をしたのか尋ねてみてもいいと思う。「きっとこの人は◯◯人だからこう思ったんだろう」と仮定で話を終わらせてしまうと、もったいない勘違いをしていることもあるかもしれない。そして自分自身に問い、調べてみることで私のように新しい発見もあるかもしれない。そして逆も然り、私たちが外国人に対し不適切な話をしてしまうこともたくさんあるだろう。もし相手が注意してくれるような人だったら、それは失敗という経験が教えてくれる、とても貴重な財産になるはずだ。

最後に、このドイツ人の友人は50代の男性なのだが、正直「ハラキリ、フジヤマ、サヨナラ」という日本のイメージは少々古めかしい気もする。実際に彼以外からは最近聞かない言葉だったのであらためて考えるきっかけとなった。「ゲイシャ、サムライ、スモウレスラー」など不動の人気言葉もあるだろうが、若い世代に日本のイメージを聞いたら「マンガ、ラーメン、カワイイ」などと変わってくるのではないかと想像する。やはり印象というものは時代によって塗り替えられるものだし、それは、かつてハラキリが日本人によって世界に伝えられたように、私たちが海外に対してどう自国をPRしていくかでガラリと変わっていくものなのだろう。

来年の東京オリンピックでも、海外における日本の印象がどう変化していくのか、実に楽しみである。

外国人に日本のことを正しく知ってもらうためには、まず私たち自身が日本のことを正しく理解することが必要なのではないだろうか。

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