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付き合うことがときどき怖くなります。みなさんもそうなのでしょうか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2019.11.2

“【お便り募集】文筆家ひとみしょうさんにあなたのお悩み解決してもらいませんか?”にお悩みを送ってくれた方の中から、ピックアップしてひとみしょうさんが解決していきます。

〜「茶さん」のお悩み〜

ひとみしょう様、こんにちは!いつも楽しく拝読しております!

高校1年生の時に大好きだった彼氏がおり、その彼とお別れしたとき、お別れすることって辛くて苦しいんだなあ、と初めて失恋を経験しました。

その後、新しく彼氏ができ、別れの理由に納得しても、やっぱり別れるたび辛くて苦しいです。たくさんの楽しい思い出を作ってくれた、素晴らしい経験をさせてくれた、彼にもちろん感謝しております。

彼と付き合うたび、いつか別れるのかなあ、とか、あの苦しみとまた向き合わなきゃいけないのかなあ、と、ときどき付き合うことが怖くなります。もっと大人の皆さんも、そうなのでしょうか。

彼女や彼氏と別れて泣いたことがないっていう友達の話を聞くと、ええ!ってなります。私は毎回めちゃくちゃ泣いてるのに笑!ってなります。

〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜

いつもお読みくださりありがとうございます!

この回答では、ふつうは、相談文に添えていただいたお名前に「さん」をつけて、たとえば「かおりさん」などと書くのですが、「茶」に「さん」をつけたら「茶さん」となり、加藤茶を呼んでいるみたいな感覚になるので、今回は「あなた」と呼ばせてください。

(これから相談を送ってくださる方は、できれば「さん」をつけて呼びやすい名前を記入してくださると助かります)。

さて、あなたと僕は、別れに関して、まったくおなじ感覚をもっています。

僕も別れるときは、あなたとおなじ感覚を持ちます。また、恋人と別れてもしれっとしている人を見るたびに、おおいに驚きます。なぜしれっとしていられるのか、と。

利己的なふるまいの当たり前さについて

あなたや僕や、ほかにもいるであろう、別れに際してたくさんの苦しみを味わう人と、その反対にしれっとしていられる人のちがいは、1つには、優しさの量のちがいだろうと思います。

たくさんの優しさをもっている人はすごく落ち込むし、少ししか優しさをもっていない人は、あまり落ち込まないのだろうと思います。

この場合の優しさとは、利己的なふるまいを当たり前と思っている、その当たり前さのことです。優しさの量が少ない人は、利己的なふるまいを、いわば当たり前のことだと思っているのです!つまり、当たり前さをたくさん持っていて、辛さを「まるめて」しまえているのです!

だから、たとえばそういう友達に、あなたが別れのつらさを訴えても、「ま、カラオケでも行ってパーっと騒ぐと気が晴れるよ」なんて言うのです!

もちろん、言うまでもないことですが、みずからの利己的なふるまいを当たり前に受容している人は、自分のことを「それでふつう」だと思っています。そういう人たちは、そうしないと生きていくのが困難だからそうしていると思うから。ぼくたち心優しい人間からすれば「え?」と思うけど、でも彼ら・彼女らは、ぼくたちが利己的に見えるそのふるまいを当たり前のことだと、なぜか思っているのです。

今思えば、その驚きからぼくは人間というものを学んだように思います。

対して、ぼくたちは、別れに際して苦しむ、その苦しみこそを、いわば当たり前のことだと思っているはずです。だって、あなたが書いたように、今まさに別れゆく恋人とは、「たくさんの楽しい思い出を作ってくれた、素晴らしい経験をさせてくれた」相手であり、つまり、人間的に成長させてくれたかけがえのない相手であり、とどのつまり、その人がいないと今の自分がいないわけだから。

ぼくたちが利己的なふるまいを当たり前に受容できないのに対し、優しさの量の少ない人は、利己的なふるまいを、さも当たり前のように受容しているということです。

ちなみに、ぼくは、両者のこの落差に今でもおおいに驚くし、思い返せば、この驚きによって、人間というものを学んだように思います。利己的なふるまいを当たり前に思っている人がこの世にいるという、シンプルな事実を学びました。

今の「今性」をなぜか捉えているということについて

利己的な人が人間性において劣っていて、非利己的な人(あなたやぼくなど)が人間的に優れているということを言っているのではありません。

両者のちがいは、「今」という時制をどう捉えているのかという、その捉え方のちがいだろうとぼくは考えています。

利己的な人は、なぜか過去に執着しないんですね。今まさに別れゆく恋人を「済んだこと・終わったこと・過去のこと・思い悩んでもしかたのないこと」として、さっぱりと捉えています。つまり過去にこだわらない。恋人に感謝していても、こだわらないのです。

なぜか?

今の「今性」とでも呼ぶべきものを、感覚で知っているからだ――これがぼくの仮説です。

別れに際してしれっとしていられる人の特徴

今というこの瞬間は、「イマ」と発音したそばから過去になりますね。つまり「今」とは絶えず変化しています。つねに動いているものに、(どのようにかはわからないけれど)自分の感覚を馴染ませることができている――これが、別れに際してしれっとしていられる人の特徴ではないかと思うのです。

対して、あなたやぼくは……ある程度の期間、別れた相手のことを引きずりますよね。つまり、心の中で過去と対話し続けますよね。対話するには言葉が必要で、言葉とは過去です。心のなかで過去と対話する人は、過去に心がつながれているゆえ、今というつねに動くものを感覚で捉えるのが下手です。

おわりに

別れに際して、しれっとしている人は、今の今性を感覚で捉えるのがうまいのです。反対に、あなたやぼくは、生まれてくる時まちがえて優しさをたくさん持ってしまったからか、別れに際して過去と対話し続け、今の今性になかなか気づきません。

ぼくは正直、今の今性を感覚で捉えるのがうまい(いわば心の動体視力のいい)女子が好きです。がしかし、それはないものねだりなんだということに、この歳になってようやく気付きました。

ちなみに、「今」という「特別な」時制を(過去も未来も言葉で説明できるけれど、今だけは感覚で捉えるしかないという意味における特別な時制を)、人はどのように捉えているのか、という哲学的問題に、目下ぼくは取り組んでいます。うまくいけば本になって出版されるでしょうし、うまくいかなければ大学院かどこかでずっと勉強していると思います。それくらい、ぼくにとって、別れに際してしれっとしていられる人の生き様は驚きに値するものなのです。

心の動体視力が悪い者どうし、お互いがんばって生きていきましょう!

(ひとみしょう/作家)

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