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【GLAMなオトコ】Vol.27 パラアスリート界に現れた異色の新星。井谷俊介が語るパラスポーツの可能性とは?

  • 2019.9.27
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昨年インドネシアで行われたアジアパラ競技大会の100m走。11秒70のアジア新記録をマークし、一躍来年の東京パラリンピックの主役候補として脚光を浴びたのが井谷俊介選手。陸上競技用義足を使って本格的にパラ陸上競技を始めてから、わずか9カ月での快挙でした。今年8月に行われたワールドパラアスレティクス グランプリ パリ大会では、その記録をさらに11秒47まで縮めアジア記録を更新するなど、その活躍にはますます磨きがかかっています。

11月にドバイで開催される世界選手権を間近に控え、いまパラスポーツ界で最も注目を集める24歳に、自信の可能性と来年に迫った東京パラリンピックへの想い、そして彼の“GLAM(魅力的・幸せ)”な時間についても話を伺いました。

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Q. 井谷選手は昨年10月のアジアパラ競技会で記録を更新されました。競技との出会いはどんな形だったのでしょうか?

2016年の2月、大学2年生の時にバイク事故にあって、4日間意識不明の状態だったんです。意識が戻ったときはまだ右脚はあったのですが、壊死が進んでいて、結局事故から10日後に切断することになりました。そこから義足を履いての生活になったのですが、最初は義足で生活をするための知識が全くない状態で。そんな中で母親が、三重県にある「大和鉄脚走行会」という義足の人たちが集まるランニングコミュニティを見つけて来てくれたんです。それで事故から2カ月後に、まずはそこに走るとかは関係なく、義足で生活する上での知識を聞きにいこうということで行ってみたんです。

Q. 実際にその場に行って、どんな話をされたんですか。

単純に「お風呂入るときはこうすると便利だよ」とか「家の中ではこういう風にすると楽だよ」とかそういうことを教えてもらっていたんですが、その場で子供たちがすごく楽しそうに走っていたんです。それを見ていたら、たまたまその時ジョギング用の義足を借りられて、自分でもそれをつけて走ってみたんです。そうしたら、走るだけで本当に楽しくて。まるですごく面白いゲームをしているかのような、本当にそんな気分になったんです。走って“風を切る”感覚も感じられた。義足になってからは、「走る」とか「風を感じる」ということから無縁の状態だったので、それが凄く新鮮でした。いままであんなに簡単にやっていた「走る」ということが、こんなに幸せで楽しいのかと。

Q. そこから競技にのめりこんでいったんですね。

やっぱり事故の後、たくさんの人を悲しませたり、笑顔を奪ってしまったことに対して、自分でも責任を感じていたんです。それが、その時走ってみたことで、母がすごく喜んでくれた。そこで、「もしこれでパラリンピックにでも出られたら、みんながもっと喜んでくれるんじゃないか」と思ったんです。

Q. 周りの方の笑顔が嬉しかったんですね。事故後に競技を始めるまで、気持ちの面で切り替えに時間はかからなかったのでしょうか。

あんまりなかったですね、本当に。悩んだのは2日間くらいです。足を切って、翌日の夜には「ダメだ、このままじゃ。もう下を向くのはやめよう」と決めたんです。というのも、家族やお見舞いに来てくれる友人が、当たり前ですけどすごくショックを受けるんですよ。誰も何も言葉が出ないし、僕も逆に何て言えばいいかもわからない。それが本当に辛かった。もう、病室が真っ暗でしたね。「電気ついているんかな」と思うくらいに雰囲気が暗くて。それで自分の方がもう、それに耐えられなくなってきちゃって。

で、「なんでみんながこんなに落ち込むんだろう」って考えたんですよ。それはまず、僕がいまこうなっているから。僕が落ち込んでいるから、みんなの笑顔を奪っている。そう考えると、やっぱり僕が元気に、前向きにしていくことが大事。みんなの前で自分が笑顔を見せることで、みんなの笑顔も取り戻せるんじゃないかと。義足で、リハビリして、走る。それだけでも、挑戦する姿を見せることで、みんなにも喜んでもらえる。そういう想いがあったんで、手術が終わって2日目の夜には「もうクヨクヨするのはやめよう」と思ったんです。

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Q. そういった前向きな考え方が井谷さんの強みでもあるように思いますが、とはいえ競技を始めた最初の頃は大変だったのでは?

それはありました。まず、陸上競技用の義足ってすごく高価なんですよ。ピンキリですけど、一足で100万円以上かかるものも多い。そこのハードルが高かったです。

実は大学時代はカーレースにもかなり熱中していて、事故後もまずはカーレースで活躍しようという気持ちが強かった。そんな中で、義足になって1年ほど経った大学4年生の時にアルバイトをしていたレース場のお客さんの伝手で、レーシングドライバーの脇阪寿一さんと知り合うことができたんです。それで、脇阪さんに「カーレースもやりたいけど、陸上で東京パラリンピックも目指したいんです」という話をしていたら、脇阪さんのお知り合いに陸上競技関係の方がいて。それで「もし東京に出たいなら、(出場権獲得まで)あと2年しかない。いますぐ陸上をやらないと間に合わないよ」という話をされたんです。

そこで、そこから1年間は脇阪さんのレースの現場で、お手伝いをさせて頂きながら自分の人となりを知ってもらって、競技用義足の支援もして頂くことになったんです。それで2017年11月に義足が完成し、2018年1月から本格的に競技を開始し、同年5月に競技大会デビューしました。

Q. なるほど、脇阪さんの支援もあって競技を始めることができたんですね。しかし、そこからの成長は凄まじいものがあります。急速に記録が伸びた理由はどこにあるんでしょうか。

陸上競技の素人だったので、何でも学びたい、吸収したいという状況で、スポンジみたいな状況だったのがよかったのかもしれません。変な癖とかがなかった。例えば自分で基礎を作ってしまっていると、基本的なことを教えられたときに「いや、でもこれはこうなんです」という風に自分流を変えられないと思うんです。でも、素人だったからこそ、全部すんなり「なるほど」と受け入れられました。

Q. 変に予備知識がなかった分、吸収するのも早かったんですね。

そうですね。あとは周りの人に恵まれたというのが一番大きかったかなと。脇阪さんはもちろん、ご紹介頂いた仲田健トレーナーの存在も大きいです。それこそ、いまある環境がそっくりそのまま同じ状況だったとしても、周囲の人が別の人たちだったら、これはまた違ったのかなと。やっぱり周りにいる人がいまの人たちだからこそ、ここまで成長できたのかなと思います。

みんなすごく熱い人たちで、本当に家族のようなんです。優しい時は本当に優しいですけど、怒られるときは怒られるし、本当に脇阪さんも仲田さんも、2人とも自分の父親の様な存在ですね。

Q. トレーニングは、いまはどんな形でやっているんでしょう。また、オフの日の過ごし方はどんな感じなんでしょうか。

いまは週2日がウエイトトレーニングで、3日がランのトレーニングです。結構ばらつきもあるんですけど、基本はそれでやっています。メニューはトレーナーさんと相談しながらですね。最近はオフの日に取材が入っていたりで、なかなか本当に何にもない休みというのが無いんですけど、家の近くの商店街にコーヒー飲みに行ったり、自転車乗ったりして、ぶらぶらしています。普段が練習に行って、義足の調整に行って……とせわしなく動くことが多いので、完全オフの日は家でNetflixとかAmazon primeとか見て、ゆっくり過ごしていますね。

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Q. そういったメンタルの強さも井谷選手の成長の一因なんですね。今後の目標は、どこに置いているんですか?

11月にドバイで世界選手権があって、そこで4位以内に入れば、東京パラリンピックに内定なんですよ。もしダメだった場合は、来年の4月1日時点でのランキングで6位までに入れば内定なんですけど、いち早く決めた方がシーズンオフの取り組みとかメンタル面も変わってくるので、心に余裕を持って臨むためにも11月で決めたいですね。東京の本番では、やっぱりメダルが欲しい。金メダルを獲るには、現状あとコンマ9秒は縮めないといけなくて、なかなか差は大きいんですけど、それが一番目指したいところですね。やっぱり勝負なので、「決勝に行きたいです」というレベルじゃだめだと思いますし、勝ち負けに拘って、どうしても勝ちたいですね。

Q. パラリンピック、楽しみにしています。最後に、あなたにとってのGLAMな時間(キラキラ輝く瞬間・幸せな時間)とは?

さっき言った家の近くの商店街の中に銭湯があるんです。そこに行っている時は「今日も頑張ったな」とほっとする瞬間ではありますね。毎週、日曜日は必ず行くんで。あとは……家が好きですね(笑)。ちょっとソファに座っている瞬間とか、なにも考えなくていい瞬間というのは自分の中ですごく楽。最近はAmazon primeで『ウォーキング・デッド』の最新シーズンを見ました。あとはYouTubeを見始めると、ずっと見続けちゃいますね(笑)。他には、パラの選手たちとご飯に行っている時間はすごく楽しいですね。やっぱり普段、競技場で会うとみんなピリピリしているじゃないですか。でも、食事の時はみんなリラックスしていますし、それこそ大会の話や自分たちの現状とか、そういう話をするとお互いに刺激をもらえますね。たぶんそれは相手も感じてくれていると思います。

【プロフィール】
井谷俊介/1995年4月2日、三重県生まれ。SMBC日興証券株式会社所属。 カーレース観戦が高じて、東海学園大学在学中にはプロのカーレーサーを目指し、カーレースに参戦。2016年2月、大学2年生時にバイク運転中の事故で右足膝下を切断。その後、母親のすすめで大和鉄脚走行会の練習会に参加したのをきっかけに、陸上競技と出会う。2018年1月から本格的に陸上競技を始めると、同年5月の北京での国際大会でレースデビュー、10月に行われたインドネシア2018アジアパラ競技大会の100mで11秒70のアジア記録を樹立して優勝。2019年5月の静岡国際陸上競技大会で11秒55、8月のワールドパラアスレティクス グランプリ パリ大会で11秒47とアジア記録を更新中。ワールドパラアスレティックスランキング 100m 6位、200m 10位(2019年9月3日現在)。


Photographer/ Masakazu Sugino Writer/ Dai Yamazaki

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