1. トップ
  2. ライフスタイル
  3. うつわディクショナリー#55 一度使ったらやめられない石川昌浩さんのガラス

うつわディクショナリー#55 一度使ったらやめられない石川昌浩さんのガラス

  • 2019.7.25

毎日毎日使うための、ガラスのうつわ

ガラス作家・石川昌浩さんのコップは、厚みがあって取り扱いが安心なのに、口当たりはすっきりと爽やかで、ふたつ、みっつと買い足したくなる。和食の和え物やお豆腐の取り皿にちょうどよいお皿は、ありそうでいて他で探すと案外見つからないサイズ。石川さんは、そんなふうに毎日触れて、使ってこそ良さがわかる日本のガラス器を、20年来、コツコツ作りつづけている。

—石川さんがガラスを始めたきっかけは?

石川:美大を目指し岡山の倉敷芸術科学大学に入ったのですが、そこで「倉敷ガラス」を生んだ小谷眞三先生に出会ってしまったんです。当時、すでに60代でしたが、作品はもちろん、ガラスを吹く姿がとにかく美しく、理屈で教えるというより身体で示してくれるような方でした。その上、できたものを楽しみ、人が使ってくれることをとことん喜ぶ。かっこいいと思いました。「かばん持ちでもいいから、この人の近くにずっといたい」と人柄に惚れ込んでしまい、本格的にガラスをはじめました。

 

—当時の石川さんにとって、ガラス工芸とは?

石川:友人の家で出されたお茶のコップが小谷先生のものだったことがあって、それがなんともよくて。何年も使い込まれてすこし傷もついて。「たったひとつのコップがこんなにも美しいのか」と地方の工芸に新しさを感じました。僕は東京出身で、ファッションも音楽も写真も好きな学生でしたが、A.P.C.やアニエスベーのように、素材がよくてシンプルで、ずっと着られるものがいいと思っていました。ガラス工芸の世界に近づくことで、自分でもそういうものを作って販売して生きていくことを想像するようになりました。

 

—岡山は「倉敷民藝館」があるなど、民藝運動との関係も深く工芸に歴史がありますね。

石川:「倉敷ガラス」は、「倉敷民藝館」の初代館長の外村吉之介さんに「毎日使える手作りのコップを作ってくれないか」と頼まれたのがきっかけでスタートしたと言われます。僕が作りたいものも、ずっとそういうもの。作るのは僕だけど、できあがってお店に発送した時点で、そのお店やお客さんのものだと思っています。毎日の生活のなかで、あたりまえに使われる工芸です。

 

—できあがった瞬間から、もう自分のものではなく誰かのものという感覚なんですね。作家であるのに、そんな風に考えられるのはなぜですか?

石川:その理由は、僕の作り方にあるかもしれません。吹きガラスの技法で熱したガラスに息を吹き込み、型にいれてひねることでモールという縞模様をつける作り方をよくするんですが、ある時、逆方向にもひねってしまった。つまり失敗ですよね。でもその模様がなんだか綺麗で「網目コップ」という定番の作品ができました。これは、先生から教わった技法が自分のものになった瞬間なんですけど、それすらも仕事に与えてもらったものというか。世の中からいただいたものという感覚があるんです。その世の中に対して、コップや皿を作ってお返しをしているような気持ちで作るから、作家という感覚はそんなにないです。

 

—とはいえ「網目コップといえば石川さん」と感じますし、取り皿サイズのガラス皿なんて他で探すと案外見つからない。石川さんならではの作品です。

石川:僕は、ガラスも、陶磁器や木工品など他の工芸品の延長線上にあると思っています。陶磁器のろくろや木工の旋盤のように、回す、口径をのばす、文様をいれるなど技法は通じていますし、テーブルの上で陶磁器と馴染むガラスであることは、意識しますね。

 

ー石川さんのガラスは、黄色がかっているので、特に陶器や木工品によく合うと感じます。

石川:僕にとって、透明なガラスは、お砂糖でいうところの上白糖のような感覚。自分がやるならあまり精製してないような、気軽に使える昔ながらのものがいいと思ってすこし色を入れています。

 

—ガラスをはじめて20周年の記念すべき年。一般的にガラス工芸は二人以上で形をつくっていきますが、石川さんは、すべて一人でするそうですね。

石川:師匠のやり方がそうだったので僕にとっては、それが普通でした。それを20年やってますけど「網目コップ」なんて、いまでも作るたびに悪戦苦闘です。毎日早朝から仕事をしますが、ガラスはいつまでたっても思い通りになんてなってくれない。言うこと聞いてくれないんですよ。だから飽きないんでしょうね。※「工藝 器と道具 SML」では7/28(日)まで、吹業20年記念「大石川硝子工藝舎展」展を開催中です。

今日のうつわ用語【倉敷民藝館・くらしきみんげいかん】昭和11年に開館した東京・駒場の日本民芸館に次ぐ二番目の民藝館として、江戸後期の米倉を利用し昭和23年にスタート。民藝とは「民衆的工芸」の意味で、大正末期に柳宗悦によって作られた言葉だ。陶芸家の濱田庄司、河井寛次郎らも加わり「鑑賞を目的とする美術品ではなく、人々の暮らしの中で使われる日用品の中には用途に結びついた美しさがある」と、日本全国の美しい工芸を発掘する民藝運動に発展、各地にそれを展示保存する民藝館が作られた。

元記事で読む
の記事をもっとみる