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【齋藤薫の美容自身】自分優先の女と、相手のために行動ができる女。あなたは一体どちらだろう?

  • 2019.7.10

気配りしすぎる人に感じる“ある違和感”

「気配りにも、2種類ある。ちゃんと相手を気遣う気配りと、自分を優先するための気配りの2種類が」……そんな発見がある。最初はどういう意味か、よくわからなかった。ただ、いつでもどこでも、くどいくらいに気配りばかりしている人に、逆にあまり有り難みを感じない、という人がいて、なるほどと思う。もちろん気配り自体は素晴らしいが、それを重たく感じることが稀にある。気配りをしすぎる人、大袈裟に気配りをする人の気配りに、“ある違和感”を持ったことがきっとあるはずなのだ。

かつてこんな話を聞いた。飛行機の機内。赤ちゃん連れの女性が、離陸前に周囲の乗客全員に一枚一枚手書きで、「ご迷惑をおかけいたします」という丁寧なお詫びの手紙付きで、お菓子を少しずつ配っていたという。何という気遣い!何という配慮! でも引いてしまう人もいたという。いや、気持ちは非常によくわかる。逃げ場のない、身動きできない機内で、赤ちゃんが泣きだしたら……。仕方のないこととはいえ、近くの席の乗客は、やはり辛い。母親としてもどうやって謝ったらよいか、なすすべなし、止むに止まれぬ行動だったのだろう。母親の胸の痛みが伝わるほど。それでもこの判断は正しかったのか。気配りのしすぎは、時に心が伝わらない。本人があまりに表に出てしまうから。これは自分のためとか相手のためとかを超越した場面、ただ気配りのやりすぎにおける“ある違和感”の意味だけはわかったはずだ。

一方わかりやすいのは、例えばオフィスで、後輩女性がお茶を入れるべき場面、率先してお茶を入れる先輩女性は、気配りの人だろうか。後輩女性への気遣いなく、「気がつく女」の権利を奪ってまで気配りするのは100%自分のため?

さらに“相手のためより自分のため”の気配りの形が顕著に現れてしまうのが、やはりお見舞いという場面なのだろう。病人がそのお見舞いを望んでいるかどうか? それを考えずに、「ともかく真っ先にお見舞いに駆けつけた女」と思われることに注力してしまうのは、典型的な“自分のため”の行為なのだということ。本当の意味で相手を思うならば、“行かない選択をすること”が、ベストである場面も少なくないはず。それが相手を見舞う正しい心なのかもしれないのだ。

とてもよく気がつく人。でも相手のためであるより、「自分は誰より気がつく人でなければいけない」という強迫観念から、その権利を人から奪ってでも、“よく気がつく人”になりたい人もいると、そう指摘した人がいたのだ。

つまりこういうこと、人にもはっきり2種類いて、何もかも自分を優先する人と、相手のために行動できる人とに、世の中きっぱり分けられる……。

言い換えるならば、自分を何より優先する人は、純粋に相手のためを思う優しさや思いやりより、“負けず嫌い”が上回ってしまう人。悪気はもちろんないし、実際よく気がつくし、基本的に完成度の高い人。でもやっぱり「私」が強く、自分が一番でなければ気がすまない人。とすれば、生きること自体にとても疲れるだろうし、周囲も疲れさせるのだろう。そんなにいつも一番でなくてもいいのにと、そう言ってあげたいほど。

国民のためか、自分のためか。キャサリン妃vs.メーガン妃

自分のためだけに行動する人か、相手のためにも行動できる人か……それが、また違った形で物議をかもした、こんなケースもあることを知っておきたい。

記憶に新しい、英国王室メーガン妃の出産。そういえば、出産直後、ベイビーを連れてのメーガン妃の映像を見られなかった。それもそのはず。キャサリン妃が毎回行った、病院の外でマスコミに生まれたての赤ちゃんを見せる会見を、メーガン妃は行っていないのだ。たまたま行えなかったのではなく、意志を持って拒否したのだといわれるのだ。それが批判を浴びて、結局その2日後には会見をしたが……。

そもそも出産はプライベートなこと。キャサリン妃は出産から一日もたたないうちに、マスコミの前に現れて世界を驚かせたが、あそこまでサービスしなければいけないなんて可哀想、という見解を持っていたらしい。

その勇気や潔さに対して拍手する人もいるだろう。確かに出産はプライベートなことだし、出産後すぐのお披露目は母子ともに負担をかけるし、と諸々の理由から賛成する人も少なくないはず。

それはそれとして、英国人どころか世界中がちょっとがっかりしたのは確か。ロイヤルファミリーが増えることは国民の喜びだし、英国王室人気を考えれば、人々のためにそうした場面を設けなければという使命感が働いてもおかしくない。うがった見方をすれば、キャサリン妃も国民からの人気を得るうえ、つまり自分のため、だったりもするのかもしれないが、それを待っている国民がいる事実を、意識するかしないか……2人の妃の判断には決定的な違いがある。

自我を通したいメーガン妃、国民の期待に応えるキャサリン妃、どちらが正しく、どちらが間違っているという話ではなく、これもやはり、2つの明快な生き方の違い。あなたはどちら派だろうか。

今回のことは、“出産”だけに特別すぎて、そっくりそのまま自分たちに置き換えて考えることは不可能だけれど、本来これは、とても重要な二者択一。ここでちょっと考えてみて欲しい。今の時代、人生は100%自分のためにあるのは確か、それを大前提として、あなたは相手のためを思って行動できる人間なのか否かということを。

「自分が好き」が当たり前の時代、SNSなどでいくらでも自己表現ができる時代、自分、自分、自分となりがちな時代だからこそ、そこをもう一度問いたいのだ。あなたは相手のためを思いやれる人だろうか?

相手をがっかりさせたくない、相手を喜ばせたい……そういう風に思っての行動ができる人だろうか。先にも述べたように、過度な気遣いをする人も、真っ先にお見舞いに行ける人も、ほとんど自分のためだったりするケースもあることを踏まえ、あなたは相手を思って行動できる人なのだろうか。

それを簡単に占える方法がある。外出先でパウダールームを使うときの行動。濡れた洗面台を、自分が使う前に拭く人と、自分が使った後に拭く人、あなたは一体どちらだろう。使った後に拭ける人は、その後にそこを使う人のことがちゃんと想像できていて、その相手を不快にさせたくない、という思いにまで至れる人。公共の場でゴミを捨てない人も、単にゴミを捨ててはいけないというマナーを知っているかどうかではない。やっぱり後に、そこを使う人やゴミを拾う人の気持ちを想像できる人。だから、ゴミを捨てるか捨てないか、それは人生において決定的な違いをもたらすのだ。「ひとの痛みがわかる人」という言い方がある。それは人間の質を決定的に分ける概念。“ひとの痛みがわからない人間”は、言い換えるなら、本当の意味の思いやりも優しさもなく、結果的に自分のことしか考えられない心の貧しい人間ということになる。

ちなみに、それは単に思いやりだけの問題にとどまらない。仕事ができるできないの評価にも、大きく関わってくる。なぜなら、相手のニーズにどれだけ応えられるか? それが仕事の能力を測る絶対の基準だからである。

さらに言えば、幸せになれるかなれないか、もその可否で決まる。ほとんど自分のためにしか行動ができない人は、よほど盲目的に自分を愛してくれる人が現れない限り、幸せは遠いと言いきってしまってもいい。50%とは言わない、せめて30%、いや20%でも相手のために行動ができること、それが人生をよりよく生きる絶対の約束であることを、ここでもう一度確認しておきたいのだ。

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撮影/戸田嘉昭 スタイリング/細田宏美 構成/寺田奈巳

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