1. トップ
  2. 今生のための必然から完成した、椎名林檎の『三毒史』:【前編】

今生のための必然から完成した、椎名林檎の『三毒史』:【前編】

  • 2019.5.27
  • 577 views

椎名林檎の5年ぶりの6枚目のオリジナルアルバム『三毒史』は、20周年イヤーを締め括るデビュー記念日に発売される。すでに話題になっている曲が多いこともあるが、全体を通してとにかく聴きやすい。とはいえ、“三毒”とは人間の諸悪・苦しみの根源とされ、仏教において克服すべきとされる最も根源的な貪欲・瞋恚(しんい)・愚痴を指し、煩悩を毒に例えたもの。そして椎名林檎はこの制作において、担当せざるを得ない役目があったという。濃密なアルバムについて語ったインタビューを前編・後編の2回にわけて紹介する。

■ラブソングを書くのが得意じゃなかった。

――とてもいいアルバムですね。聴いてみてまず感じたのは、昨今のアルバムと比べてとても聴きやすいこと。ハープや管楽器ほか多彩な音色が入ってアレンジに凝っていても、音数が整理されて譜割に言葉がきれいに乗っているからなのか、曲の世界に入りやすいです。歌詞も相変わらず私にはツボですが、ストレートに響いてくるワードが増えて、そのシンプルさもよくて。椎名さんらしい噛み応えのある楽曲も好きですが、今回はそれを踏まえて熟成したスキルがすごいと思って。椎名林檎(以下:S):本当ですか。へぇ、うれしいな。それが大人になったということなのかな。

――その一方で、初期の作品の感じもしますよね。S:それはわかります。

――この『三毒史』を制作するにあたり既発曲が8曲あったので、そこからまとめていくのは難しかったのではないでしょうか?今回は“三毒”という方向性は早くからあって、浮雲さんとの「長く短い祭」や、向井秀徳さんとの「神様、仏様」を軸にして進めていったそうですが、新たに書いた曲はどのように入れ込んでいったのですか?S:そうですね。まず大人になってくると、「至上の人生」や「どん底まで」(新録)みたいな、誰か特定の相手にこだわってしまう気分とか、そういうものにリアリティを見出せなくなってくる。

――それはなぜ?S:元々ラブソングを書くのが得意じゃなかったんですよね、子どもの頃から。でも、「ラブソングを書けないと商売できないよ」って当時のディレクターからアドバイスされて。

――「幸福論」とかは?S:あれはラブソングのつもりでした。「ここでキスして。」や「ギブス」とかも一所懸命書きました。でも実はアルバムの中で、所謂性愛的なものは書けてなくて。もし自分がエディット・ピアフやエラ・フィッツジェラルド、江利チエミとかだったら、ラブソングを歌うのがいちばん強いはずです。やはり私の歌手としての自覚が不足しているあまり、気持ちよく書けなかったんだと思う。「至上の人生」はドラマのために必死で書いたものの、アルバムを作る段階で、仲間外れにしそうになったりもしました。結果的に納得いく形に運べてよかったですが。

■常にリアリティある、市井の民の暮らしを描くよう心がけています。

――アルバムとしてまとめていく時に、タイアップで書いた曲をどうはめ込んでいくかは難しいですよね。GINZA SIXのオープニングテーマソングの「目抜き通り」や「news zero」のテーマ曲の「獣ゆく細道」を発表する時も、“三毒”というアルバムの路線は意識していたわけですよね?S:そうですね。

――「目抜き通り」のイントロの死生観を語ったセリフが素晴らしいです。「木を見て森を見ず」という諺がありますけど、あの歌は「木を見て森を見る」、つまり銀座という木を見ながら、人生という森を見ているという。どういう意向から前振りを書いていったのですか?S:なつみさんの言葉をお借りすると、いつも木と森の関係性を描くことこそが自分の仕事だと自覚しています。商業施設のテーマソングだろうが、報道番組のエンディングだろうが、人々の生々しい人生が関わってこないことには、そもそも商いとしてニーズがないと裏付けることになるので、常にリアリティある市井の民の暮らしを描くよう心がけています。

――「長い短い祭」も名曲ですが、その歌詞にある“走馬灯”であったり、「獣ゆく細道」で“蜉蝣”であったり、それぞれの歌で人生観や死生観を想起させる言葉をティップ(ヒント)としてポン!と入れているのが毎度ながら私にとってツボで、そのツボは言葉遊びもそうなんですけど、今回はより的確でわかりやすくて、それが方向性としてアルバム全体を覆っているので、聴きやすいのかな、とも思いました。S:うれしいです。

――その辺りも意識しました?S:どうでしょうね。最大公約数の人生に当てはまる言葉を選ぼうとか、音楽の素養がない方にも親しんでいただきやすいコード感にしようとかは考えません。むしろ私が好きな「気にしいで、礼節を重んじていて、しかし高い理想があるあまり反骨精神も旺盛で……」っていうようなイメージの女性だけに届いて欲しいと願いながらいつも書いています。イメージしているリスナーがいるから、はなから選択肢があんまりない。

――イメージしているリスナーというのは何人もいるんですか?S:うーん……、少数派の方々だろうとは思います。ともかくその女性たちの感覚が作品のフォーマットになるべきで、彼らのお気に召すものを書けさえすれば私は満足です。こちらから勝手にクライアントを狙い撃ちするスタイルです。

――そのお客さんとの関係性を歌ってみたのが、「マ・シェリ」になったという?S:ええ。

■気にしているのは、たったいま深い穴へ落ちてしまっている方のこと。

――話を戻すと、『三毒史』は過去作と比べて、伝えたいことがいちばんわかりやすく出たアルバムでは?S:確かに。デビューの頃から目的自体は変わっていないと思います。きっと大人になってきて、臆することなくスキルを使えるようになったり、得意分野へより特化した環境を手に入れたのが大きいのではないかしら。私の制作は、どなたかが出せなかった手紙とか、書き上げられなかった日記を片付ける目的も孕んでいます。たまたま自分の幼少期から受けた教育が音楽と舞踊だったから、取り急ぎアルバムやショーを用意しているに過ぎず、常々もっと現実的に、物理的に、できることがないかと考え続けています。

――具体的には?S:私が気にしているのは、たったいま深い穴へ落ちてしまっている方のことです。どなたでも簡単に、ある日突然、どん底へ行ってしまうでしょう?いつも順番に、誰かしらは心身参ってしまっている。そのことを考える以上、エンターテイメントは無力です。たとえば原発や児童相談所のリスクを学び、手立てを探ったりする日常があって、合間合間の時間に、何とか作曲や演出などに取り組んでいるような比重です。

■デュエットだと、大編成を使っている気分で思い切り曲が書ける。

――今回デュエットが多いので、誰かに当てて書くというところでスルッと出やすいところはあったのかも。S:それはあるでしょうね。私は相変わらず歌手としての自分を信じていなくて、あまり頼りにしていない分、声も楽器のうちのほんのひとつと捉えて扱っています。デュエットだとまず単純に楽器のレンジが広がり、うれしくなります。ほとんどの男性が私と同じレンジをもカバーできてしまいますが、確実にロー(低音域)が広がるので、そのレンジを主旋律として書ける喜びは大きい。だから不得手な歌モノを書いていても、画材が豊富というか、キャンバスが大きいというか、大編成を使っているみたいな気分で思い切り書けるんですよね。

――櫻井敦司さん(BUCK-TICK)もトータス松本さん(ウルフルズ)や宮本浩次さん(エレファントカシマシ)と同じで、椎名さんよりひと回り年上の午年生まれですが、午年同士はやりやすいですか?S:ええ。合うと思います。そもそも会話があまりありません。「相談する暇があったらさっさと仕事したい。そしてとっとと帰りたい。」と、いう感じなんじゃないですか(笑)。

――「駆け落ち者」はどんな風にしてできたんですか?S:「技術的に面白い実験をしたい」という感じです。なるべく曲自体が複雑にならないように、注意して。ほとんど和声が進行しない中での原始的な旋律の方が、櫻井さんの楽器としての特質をより正しく記録できるのではないかと思って。もちろん本当はもっとロマンティックなものとか、ドラマティックなものとか、書きたいタッチはいくらでもあるんだけど、このアルバムにおいては彼の声の特性だけをまず拝借したくて。

――曲もアルバムの前半に置くことも決めていて?S:はい。「駆け落ち者」は人間関係が破綻する直前の飽和していく感じ、当事者ですら危なっかしいような関係性を書いてみたくて。「どん底まで」落ちる寸前の出来事として書いています。

■「神様、仏様」から「TOKYO」へ雪崩れ込む瞬間がアルバムの肝。

――アルバム全体の流れは早くから決まっていたんですね。S:ええ。毎回、骨子だけは先に組み立てて置きます。今回も、時間の経過とともに視野が開閉する、あるいは気分が上下するのを、グラデーションで描きました。

――「TOKYO」がいちばん落ちている?S:そうですね、落ちて、閉ざしている状態。

――「TOKYO」はいつ頃完成したのですか?椎名さんはリオに続いて、「東京2020開会式・閉会式式典総合プランニングチーム」に関わっているから、どこか意識してしまうところがあると思うんですけど。S:全然考えていません。これは結構前に「LOGIN」という仮タイトルで作業し始めていました。リリックもこういうものを想定しつつ、完全に書き上げる前にトリオの演奏を録ったんですけど、その1テイク目が、「TOKYO」っていう響きをしていたので、この本タイトルをつけました。サウンドは今の日本の美点へピントを合わせたような内容ですが、リリックは逆です。内と外、夢と現、個人と全体など、なるべく辛辣に対比させるためです。

――というと?つまり作詞においては、実在する街としての東京というよりも、集権側の象徴としての首都という側面を拝借しているつもりです。メディアがこれだけ開かれている昨今、未だ最大公約数が重んじられている病理。それにより割を食って、発作を起こすのは我々民衆。むしろ首都圏以外の地域にこそ、そのようなストレスが満ち満ちているでしょうね。

――「神様、仏様」から続く曲順で、歌詞には“どんな最期を迎えて死ぬんだろう”という文言が入っていて。S:気がかりですよね。「神様、仏様」は「地獄の淵へ突き落としておくれ」という唄い終わりに三拍子のチェイサーが付いています。そのBPMを維持したまま「TOKYO」の五拍子へ雪崩れ込む瞬間がアルバムの肝です。

*To Be Continued

元記事で読む
の記事をもっとみる