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生きづらさを抱えています。どうすれば自分らしく生きられますか?【ひとみしょうのお悩み解決】

  • 2019.5.7

“【お便り募集】文筆家ひとみしょうさんにあなたのお悩み解決してもらいませんか?”にお悩みを送ってくれた方の中から、ピックアップしてひとみしょうさんが解決していきます。

〜「傷だらけのエリーさん」のお悩み〜

小さい頃から、人の考えてる事や何かを感じやすい子です。誰と誰がくっついてるとか雰囲気で感じとってしまう子です。多分、敏感な子なんです。

だから、人間関係が難しく今は友達がいません。でも寂しくないし、煩わしいことがないので助かってます。

少しの美人(自分では思ってないが)で何でも出来てしまうので、周りからは嫌がられます。 人って欠点を探して見下すことをします。私は悪口も嫌いですし、はっきりモノ(勿論正論無論)を言えるようになったので、更に周りから嫌がられます。あんまりはっきり言ってしまうのは良くないと思いますが、病気になるより良いと思います。

私はこのまんまで生きていくんですが、性格を直すべきか、それとも周りの人に合わせてヘラヘラ笑っている方が良いのでしょうか? 人に合わせないと駄目だと言われますが、出来ません。とにかく生きにくい環境ですが、自分らしく全うできるやり方、仕方がありましたら是非お教え下さいませ。宜しくお願い致します!!

〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜

ほんの3~4年前まで、僕も生きづらさを感じながら生きていたので、あなたの言っていることに、どことなく共感を覚えます。今はまったく生きづらさを感じていないのかといえば、そうでもないけれど、でも、「まあこんなもんかな」と思う時も多々あるので、今は社会と自分との折り合いが、まあまあうまくいっているのかもしれません。

自分らしく、というか、自分が自分に納得できるように生きていこうと思えば、どうすれば納得できるように生きていけるのか、試行錯誤しつつ、しんどい思いをしつつ、全身で考え抜かなくてはなりません。つねに自分と対話をしながら、光を目指す必要があります。そして、その光を目指す過程こそを「生きている」と僕は思うのだけど、でもまあ、そんなマッチョなことを言っても、おそらくほとんどの人は聞く耳を持たないでしょうから、ちがうことを書きたいと思います。

「自分」とは自分と他者との「関係」のことです

相談文の<わたしは敏感な子です>などというところが気になりました。わたしは**な子です、と、自分で自分のことを規定する人って、最近なぜか多いので、あなたが言いたいことがわからなくもないのだけど、でも自分って、自分と他者との関係が、自然に、自動的に規定するものです。あなたが「わたしはこういう人です」と主張してもダメで、他者が「あなたはこういう人だ」と押し付けてくるだけでもダメで、自分が持つ自己像と、他者があなたに抱くあなたの人間像との「関係」が、あなただということです。

このへんのことは、あなたのみならず、その専門家であるはずの自己啓発本の書き手の多くが誤解しているところだと僕は思います。たとえば「なりたい自分になる」みたいなタイトルの本ってたくさんあるけど、自分と他者との関係について言及している本を、僕は知りません。

「自分にとっての最大の他者」とは、じつは自分自身です

さらに、「自分にとっての最大の他者」とは、じつは自分自身なのだという点に触れている自己啓発の本も、僕は読んだことがありません。

たとえば、他人にケチだと思われたら嫌だなと思っている人は、たとえば会社の同僚にケチだと思われたら嫌だということを言っているのだけど、じつは、自分の中にいるケチな自分のことが自分で嫌だと言っているのです。

メイクが下手な女に思われたくないという思いは、じつは自分で自分の顔を鏡で見た時に、「あ~、わたしはメイクが下手だわ」と思いたくないということです。

相談文にある<周りの人に合わせてヘラヘラ笑っている方が良いのでしょうか?>の「周り」とは、つまりあなた自身のことです。だからあなたは、「私は私に合わせてヘラヘラ笑っていたほうがいいのでしょうか」と、僕に聞いています。いんじゃないですかね。

<人に合わせないと駄目だと言われます>の「人(他人)」とは、自分自身のことだから、自分が自分に合わせてあげて、ヘラヘラ笑っている――これって、究極の「いい人生」だと僕は思います。

その反対、つまり、自分と対話をする中で、自分の心の声にいちいち反論したくなる状況って、地獄でしょう? たとえば「わたしは何をしたいのだろう」と考えている時、心の中にいるもうひとりの自分が「買い物にでも行けば?」とか「海にでも行ってくれば?」「勉強すれば?」とかと言ったとして、それらすべてに、さらにもうひとりの自分が「NO」という答えしか出せない時って、もう最悪に苦しいでしょう?

つまり、何かをしたいのだけど、何もしたくない時って、自分が自分に合わせられていないから、生きている心地がしなくてつらいですよね。

ご相談の答えです

というようなことを、僕は仕事柄、日常的に考えていますが、これでは答えとして抽象的すぎるでしょうから、最後に具体的なことに言及しておきましょう。2つあります。

1つは、自分がやっていて楽しいと思えることを探して、それをやってみてはいかがでしょうか、という提案。もう1つは、他者にもっと親切になってみてはいかがでしょうか、という提案です。

頭であれこれ考えても、うまく生きられないですよ。あなたはそういう理屈を知らないとうまく生きていけないタイプの人です。僕もそうです。こんなことを考えることなく、「ふつうに」暮らしている人なんて大勢いるのに、僕たちはこういうことを考えつつ生きるしかない運命にいるのです。(嗚呼!)すなわち、人生とは自分がやったことがすべてだと自分に言い聞かせつつ生きるしかないのです。

体を動かしてやったことがすべてです。体を動かすことで、人は他者とのちょうどいい距離感を知ります。「他者=自分」なのだから、つまり、自分とのちょうどいい距離感を知ります。頭で生きるのではなく、全身の五感を働かせて生きたほうが、人生は楽しいというのは、そういうことです。

また、「他者=自分」なのだから、あなたはもっと自分に親切にしてあげたらどうですか。

昨日、YouTubeを見ていたら、ある人がこんなことを言っていました。「息」という漢字は、自分の心と書きますと、その人は言いました。つまり喋るとは、自分の心を相手に伝えることであるとその人は言います。クラリネットやトランペットなどの楽器の演奏は、音を通して自分の心を伝えるのだと。

楽しいと思えることをやること、他者に対して親切になること。この2つを通して、他者に自分の心を伝えることのできる人になってください。応援しています。

(ひとみしょう/作家)

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