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マイヨール美術館でE・ビュールレ展。【アート収集家 4】

  • 2019.4.12
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7区のマイヨール美術館で『エミール・ビュールレ・コレクション』展が開催中だ。ビュールレの名前は昨年日本でも彼のコレクションを展示した『至上の印象派展』があったので、聞き覚えがある人もいるだろう。印象派のコレクターとして有名な人物である。

ドイツ人のエミール・ゲオルク・ビュールレ(1890〜1956)が芸術作品の収集を始めたのは、1924年、34歳でスイスに居を構えてからのことだ。文学、哲学、美術史を高校で学び、芸術への興味を早くから持っていた彼。最終的に600点もの作品を所蔵することが可能になったのは、まずは富豪の銀行家の娘との結婚、次いで第二次世界大戦期の武器商としての成功による。

エミール・ビュールレと収集作品。1954年に自宅にて撮影。彼のコレクションの大多数は、1951年から56年の購入品だそうだ。Photographie de Dmitri Kessel pour LIFE © Dmitri Kessel/The LIFE Picture Collection/Getty images

盗難4作品とは

さて、ビュールレ・コレクションがこのように海外で鑑賞できるのは、コレクションを収めるチューリヒ美術館への2021年に予定される移管待ちだからである。彼の死後に私邸を改装して、所蔵品を展示するビュールレ美術館が作られたのだが、安全管理のための警備費用が大きすぎることを理由に2015年にクローズされた。その背景には、2008年に被害総額175億円と世界を騒がせた盗難事件がある。盗まれたのは、セザンヌの『赤いチョッキの少年』、モネの『ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑』ゴッホの『花咲くマロニエの枝』、ドガ『リュドヴィック・ルピック伯爵と娘たち』の4作品。その後、作品は無事に戻り、それらをマイヨール美術館でも展示している。ドガの『リュドヴィック・ルピック伯爵と娘たち』はドガにしては珍しく屋外で描かれた実験的な作品。それゆえにドガの死後、アトリエに残されていたこの作品はドガ作ではなく、作者不詳とみなされていたというエピソードがある。

フィンセント・ファン・ゴッホの『花咲くマロニエの枝』(1890年)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

ポール・セザンヌ『赤いチョッキの少年』(1888〜1890年)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

クロード・モネ『ヴェトゥイユ近郊のひなげし畑』(1879年頃)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

エドゥガー・ドガ『リュドヴィック・ルピック伯爵と娘たち』(1871年頃)Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

芸術収集家としてのビュールレ

上で紹介した彼の写真が撮影された1956年、いかにコレクションを築いていったかについて、作品を見せつつ彼はチューリヒ大学で講演会を行った。それによると、23才の時にベルリンのナショナルギャラリーでフランス派の絵画に出会い、とりわけクロード・モネのヴェトゥイユの風景画にひどく心を動かされたそうだ。「もし自宅の壁にかけることができるのなら、モネ、マネ、ルノワール、セザンヌだ」と思うほど。彼が23歳の時というのは、まだこうした画家たちの評価はとても低く、美術館はどこも相手にしていなかった時代である。なお、この7年後に彼は結婚する。

ポール・セザンヌの『庭師ヴァリエ』(1904〜1906年頃)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

彼はコレクションの収集について、池に投げた石が描く水紋が徐々に外周に広がってゆくことにたとえて学生たちに説明をした。彼の個人的趣味が出発点の個人コレクション。妻と一緒に最初に買ったのはドガの初期のデッサン、ルノワールの静物画。続いてコロー、ゴッホ、セザンヌでこれらが彼のコレクションの核をなしている。次いでドラクロワ、ドーミエを収集。そしてドーミエから、レンブラントへと広がっていったそうだ。そして17世紀のオランダ派、フランドル派……というように。「収集家というのは選択のクオリティと分別のある正しい集合によって特色づけられる」と彼は語っている。

ウジェーヌ・ドラクロワの「Apollon vainqueur du serpent Python」(1853年頃)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

第二次大戦期の略奪作品

彼が収集したコレクションには、ナチの略奪品とされる絵画13点が含まれていた。ほとんどが1942年に彼が購入したもので、展覧会では小さなスペースを設けて、これらの作品について解説をしている。戦後、スイス連邦裁判所から絵の返却を求められた彼は、略奪品とは知らずに購入したという主張が認められ、賠償を得て絵を本来の持ち主に返還。その後、彼はその13点のうち9点を、持ち主から正式に購入するのだ。現在そのうちの7点がコレクションに含まれている。展覧会では、こうした複雑な運命を辿った作品4点を展示している。

本当に略奪品と知らずに彼が購入したかどうかについては諸説ある。1933年から1945年の間に売買された芸術作品の来歴については、いまも国際的にリサーチが進んでいる状況だという。パリのショア記念館では折しも、『占領下のアート市場1940/1944』展を開催中だ。

カミーユ・コローの『読書する少女』。

エドガー・ドガ『舞台裏のダンサーたち』(1889年頃)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

アルフレッド・シスレー『ブージヴァルの夏』(1876年頃)。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

世界最強の美少女

日本での昨年の展覧会に際して、世界最強の美少女という形容つきで紹介されたルノワールによる『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢(かわいいイレーヌ)』も、もちろん展示されている。これはパリの銀行家ルイ・カーン・ダンヴェール家の8歳の娘イレーヌの肖像だが、依頼主の期待に応えるものではなかったゆえに、家の片隅にしまわれていたそうだ。カーン・ダンヴェールはユダヤ人だったため、ナチスによって彼の財産はことごとく没収され、この作品もそれに含まれていた。戦後、イレーヌに返還され、その後、競売でビュールレが落札してコレクション入りを果たしたのだ。

ピエール・オーギュスト・ルノワール『イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢』(1880年)。彼女は19歳の時にモイーズ・ド・カモンド伯爵と結婚する。モンソー公園の近くにあるニッシム・ド・カモンド美術館は、モイーズが集めた芸術作品を展示する彼のかつての個人邸宅で、戦士した息子ニッシムの名をつけて美術館を彼に捧げた。イレーヌとモイーズは結婚10年目に離婚している。Collection Emil Bührle, Zurich © SIK-ISEA, Zurich (J.-P. Kuhn)

エドゥアール・マネに始まり、モダンアートに終わる6つのセクションで展覧会は構成されている。人の心を惑わす芸術作品の魔力。作品がたどった運命に思いをはせながら、鑑賞するのも一興だろう。

「La collection Emile Bührle」展会期:開催中〜2019年7月21日会場:Musée Maillol Paris59-61, rue de Grenelle75007 Paris開)10:30〜18:30(金 〜20:30)無休www.museemaillol.com

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