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【女子のばんそうこう】自分が「ブス」に見える日に。

  • 2019.3.23
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あったかい…と思ったら寒い。行事も用事も多くてバタついてる。花粉飛んでて目も鼻もグズグズ。春待つこの時期、実は体調もメンタルも不安定になりやすい。
そんな時、朝起きてみた鏡の中に、白々としたコンビニの蛍光灯の下に、帰りの電車の窓に、「うわあ…すごいブスがいる…」と気づいて愕然とすることがある。もちろん自分自身の姿だ。それを認めた瞬間、気持ちは空気が抜けたようにしぼみ、今すぐ帰りたくなる。周りの人もそう思ってるんじゃないかとびくびくする。そんな経験はないだろうか。
不意に、そして定期的に襲ってくる「私、いけてなさすぎる」の感情。このやっかいな負の波に立ち向かうための小さなエールを、今日はおくりたい。

…例えばインスタで微笑むとびきり美しい人を見て、己との違いにしょんぼりしたら。

「凪のお暇」(コナリミサト)という私の大好きなマンガにこんなセリフがある。「アンタ自己評価低くない?いやちゃうな、自己評価水準値が高いんや」…そう、その水準値は一体どこから持ってきたのか。
私は向かい合うと相手をじっと見るクセがあるが、女性と話している時にいつも密かに思うことがある。「この人、何だかすんごく可愛い…」。
お肌がめちゃくちゃキレイだな。お酒飲むとそこはかとなく色っぽくなるんだな。会うたびに女っぷりがじわじわ上がってないか。どんなタイプだったとしても、長く見つめているとそういう気づきがどんどん出てくる。唐突すぎて照れくさくて本人に伝える機会は少ないのだが、ひとは、特に女性は、自分が気づかないだけで独自の魅力をだだ漏らしながら生きてるのではないだろうか。なのに当の本人がどっかの誰かから借りた基準を頭上の遥か上に掲げて「あの人キレイ、あたしアカン」と凹んでいるとしたら…なんともったいないことか。
例えが上手くないのだが、カボチャがメロンになろうとしてどうするって話だ。メロンは確かに高級贈答品。でもカボチャには、鮮やかな橙色とこっくりした甘さ、柔らかさがある。栄養もピカイチ。それはカボチャにしか出せない魅力だ。だからあなたはもっと自分の素材のよさを見つめよう。そしてそれを最大限に活かす調理法にトライするといい。

…例えば女の美醜についてもっともらしい持論を語る男にグサリとしたら。

そう、確かに女を「ブスか美人か」「ババアか若いか」という二極にすぐ分けたがる人の言葉には身を縮こまらせてしまいたくなる。
でも、その言葉はそもそも説得力があるだろうか。意地悪なことを言えば、ブスだババアだと声高に言う男のご面相と体型はいかほどなのか。「他人に厳しいのも納得だな」と思わせる美しさがそこにあるだろうか。いや、きっとない。そんな人の言うことを真摯に受け止める必要など全くないのだ。「自分棚上げ単細胞ヤローが何か叫んでるなあ」そう思ってスルーすればいい。本当に美しい世界は、もう少し人に優しい。そして美醜の絶対基準など、多分この世にはない。

…例えば友達と撮った写真の自分があまりにひどくてがっかりしたら。

先月のアカデミー賞授賞式を観てたまげた。映画では「美しくない」という設定の役をやっていた女優さんも、老齢夫人の役を演じた女優さんも、会場では皆ものすごく美しかったから。もちろん一流の人々が着飾っているから当然かもしれない。でもそれを差っ引いても「ひとの美しさは表情と堂々とした立ち振る舞いで大きく変わる」と感じたのだ。
「いつも笑顔で」なんて陳腐極まりない言葉だけど、それでも「本気の笑顔は七難隠す」とつくづく思う。「私は楽しい」「私は堂々といよう」と思えると表情は変わる。表情を豊かに変えるひと、心から楽しそうに笑えるひとからは、内側から天然の美しさがにじむ。
だからメイクもいいけど、まず自分の感情をストレートに出すこと。表情筋を動きやすくすること。いっぱい笑うこと。そのうち「私の笑顔、悪くないかも」と思えるようになったなら、多分あなたの魅力は格段に上がっている。

自分が感じてしまう「ブスさ」とはほとんどの場合、顔の造作の問題ではなく「まとう空気」の問題だ。不摂生な生活や卑屈や諦めや自己肯定の低さを原材料として作り上げたオーラ。そう、ブスは作れる。だからこそ、あなたが自分のブスさに打ちひしがれたとしても、そんなものはいとも簡単にひっくり返せる。それはただの一時の呪い。さあ、さっさと変身しよう。

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