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東京ストリートシーンのキーパーソン今野直隆 クラブと「ナイキ」を愛する男

  • 2019.2.25
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今、ストリートシーンで成功を収めるには「ナイキ(NIKE)」とのコラボレーションは欠かせない。2018年、日本においては川久保玲や高橋盾、阿部千登勢らそうそうたるデザイナーがコラボしてきたが、その先陣を切ったのは東京発ストリートブランド「マジックスティック(MAGIC STICK)」のディレクター、今野直隆だった。

今野ディレクターは11年に「マジックスティック」を立ち上げて以来、素材と縫製にこだわった高いクオリティーのハイエンドなストリートスタイルと、長年培った音楽・ファッションシーンでの太いコネクションを生かしてさまざまなブランドやアーティストと共にトピックを発信し、シーンを賑わせ続けてきた。

その数あるトピックの中で最大と言っても過言でないのが、昨年2月に発表した「ナイキ」とのコラボ“エア フォース 1 HI VIP(AIR FORCE 1 HI VIP)”だ。今野ディレクターが愛して止まないクラブカルチャーを着想源とした同スニーカーは、発売と同時に完売。同年11月には別カラーも登場するなど、人気を見せている。

ブランド立ち上げから9年目を迎え、脂が乗り切った今野ディレクターに、パーソナルな部分からブランドの展望、そして並々ならぬ“ナイキ愛”までを聞いた。

WWD:そもそもファッション業界を志した理由を教えてください。

今野:高校が私服通学だったのもあって、他の人よりも早くファッションに興味を持ちました。それに僕らの世代っていわゆる“パーティー”のはしりで、クラブがみんなの遊ぶところだったんです。だからそこに行ってモテたいからって毎週毎週服を買い漁ったり、古着屋でバイトしたりと、志したっていうよりも必然的でしたね。

WWD:業界に入ってから比較的早い段階で「ネクサスセブン(NEXUS VII.)」を初期メンバーとして立ち上げましたが、経緯は?

今野:今野(智弘)さんがまだ千葉でお店をやっていて、「ネクサスセブン」を立ち上げる(2001年)タイミングで知り合ったんです。その頃、僕は他のブランドで販売員を経てPRをやっていました。ただとにかく小さな会社でPR以外に企画や生産も任され、1人でできることが多かったから重宝されて声がかかったんだと思います。

WWD:8年近く「ネクサスセブン」に在籍した後、11年に「マジックスティック」を立ち上げるまでの2年間は何を?

今野:イベントのオーガナイズや海外に行ってました。「ネクサスセブン」在籍時からイベントもオーガナイズしていて、今でいうマーチャンダイズ(アーティストのグッズ)など、“自分が着たいものを作る”を実行していたんです。それを続けていくうちにブランド化したいという気持ちが強くなった。そして海外に長いこと行って、見て、触ってという経験を積みたかったから、会社を辞めてニューヨークに渡ったんです。

向こうではいろいろな経験が積めたし、自分で作って着てたものを「お、かっこいいじゃん!」みたいに言ってくれて、改めてブランドを始める自信がつきましたね。それから帰国して「マジックスティック」を立ち上げました。と言っても当時はお金もなかったので、Tシャツとかシンプルなものから始めたんですが、自分が欲しいからって無理して革ジャンとダウンジャケットも作って、案の定、卸先が見つからなくて苦労しましたね(笑)。

WWD:「マジックスティック」の由来は?

今野:「マジックスティック」の名前が一人歩きして世間的にはブランド名となっていますが、実は商標的には「マジックスティック エンターテイメント(MAGIK STICK ENTERTAINMENT.)」なんです。これは音楽プロデューサーでMCでもあるパフ・ダディー(現ディディー)と彼の音楽レーベル「バッド・ボーイ・エンタテインメント(現バッド・ボーイ・レコード)」に憧れたもので、パフ・ダディーの引き立て役としての超一流の存在感や、セクシーな面、エンターテイメント性から非常に影響を受けています。そこから誰でも覚えられるバッドボーイっぽいちょっとダサい言葉を考えて、自分の根っこにある“人を楽しませること”と、当時オーガナイズしていたイベントから命名しました。僕の服を着ることで1日の気分が良くなってほしい、という思いもあったりします。誤解されがちな“アレ”や50セント(50 Cent)の曲からではないんです。

WWD:デザインにおけるインスピレーションは?

今野:いろいろありますが、結局は自分の目。SNSももちろん見ますけどあまり注視しないようにしていて、街に出る。それこそパリコレを見に行ったり。でもコレクションというよりも街を歩いてる一般の人やバイヤー、クラブにいる人などリアルな人たちを見ますね。「あ、この感じかっこいいな」って感じられるものがたくさんあるので。

WWD:今野さん自身、音楽と深い繋がりがありますが、デザインには影響を与えていますか?

今野:これは僕だけじゃなくて、皆さんが絶対にそうだと思います。むしろ関わらないことはないんじゃないですか?音楽の趣味って絶対にファッションに現れるんですよ。ストリートシーンにいる人たちは、必ず何かしらの音楽がバックボーンにあって、その“通り道”があるからこそ、ストリートなのかなと。

WWD:19年春夏ではコンセプトを“N/A Not Applicable(該当なし)”としていますが、掲げた理由は?

今野:毎シーズン海外の人を中心にシーズンテーマとコンセプトは聞かれるんですけど、それを設けないことをコンセプトにしようと思ったからです。コレクションベースでいうと、1シーズンで60〜70型くらいと多いので、やっぱり自分が好きなもの、やりたいことだけに純粋にフォーカスして注力した方が、オリジナリティーを追求できて自分のブランドらしさが出るかなって。トレンドに左右されたり、ある一つのことに紐付けしたりしたくない。それに毎シーズン考えてるといずれネタ切れするだろうし、逆に他のブランドはよく思いつくなって尊敬します。これだけブランドが乱立してると同じシーズンにテーマが被って、「パクった」って言われるのも嫌ですし(笑)。

WWD:19年春夏はリフレクト素材が特に印象的でした。

今野:去年の夏に韓国に行った際、フラッと立ち寄った生地屋で偶然、キービジュアルに使用しているリフレクト素材を見つけたんです。白っぽく光るリフレクト素材は結構あるんですけど、オーロラのように反射するのはなかなかなくて、なんとしても使いたいから買わせてもらいました。今シーズンはどうしてもオーロラっぽいアイテムを作りたかったので幸運でしたね。

WWD:ルックではスニーカーのこだわりも感じられます。

今野:毎シーズン、スニーカー選びには本当にこだわっていて、もしかしたらルックのスタイリング以上に重視しているかもしれない(笑)。今シーズンはコラボした“エア フォース 1”をはじめ、“ヴェイパーマックス”に“ズームフライ SP”や“リアクト エレメント 87”と、「ナイキ」ばかり。単純に自分がよく履いているものなので、足元にも僕らしさが出ていると思います。

WWD:やはり「ナイキ」が好き?

今野:いろいろなブランドがあるので浮気したこともありますけど、結局行き着く先は「ナイキ」ですね。中学生の頃から今までずっと履いてますし。今はだいぶ減りましたけど、200足くらいは持ってます。

WWD:昨年は「ナイキ」と待望のコラボを果たしましたが、クラブカルチャーからインスピレーションを受けて製作されたそうですね。

今野:「ナイキ」から話をいただいてから案を出すまでには3日しかなかったんですけど、うれしすぎて寝ないでデザインしたら10個くらい案が浮かんで、その中の1つとしてクラブカルチャーをベースとした“エア フォース 1 HI VIP”が生まれました。クラブには若い頃から今まで足繁く通っているし、本当に遊んでる人たちしかいないから、SNSを見てあーだこーだ言うんじゃないリアルな会話や出来事があるんですよ。このリアルな現場で何が起きてるかを知ることは重要なことだし、今や「ルイ・ヴィトン」のデザイナーがDJするすごい時代。だからこそ今回のインスピレーションに自然となったんだと思います。ネオンイエローのタイベック素材のリストバンドをベルトに使用するアイデアは、「ナイキ」の本国でもウケがよかったみたいで、とんとん拍子に話が進みましたね。

WWD:ネオンイエローは19年春夏のルックでも目を引きましたが、今後ブランドカラーにしていく予定ですか?

今野:そのつもりです。「マジックスティック」はまだまだニッチなブランドですけど、「ナイキ」との協業を機にブランドに対してネオンイエローの印象を持つ人が増えたので、それも含めてネオンイエローの“ボルトカラー”をキーカラーとして定着させたいと思っています。

WWD:「ナイキ」とは、17年にも「VOTE FORWARD」で協業していましたね。

今野:「ナイキ」の人から誕生日プレゼントがあるっていうので聞いたら「“エア マックス”をデザインしてみない?」って言われて、軽く返事したらあんな大きいプロジェクトで(笑)。もう一つ別のブランドとコンペしていたらしいんですが、僕がファッションだけじゃなくて、音楽をはじめとしたカルチャー全体をフックしてることが好評価だったみたいで、日本代表として参加しました。

WWD:16年春夏からはパリでも展示会を行っていますが、その理由は?

今野:今でこそロンドンや他の都市にも興味はありますけど、やっぱりパリは憧れの地。なんとなく“嗅覚”がいいので、パリにヴァージル(・アブロー)をはじめとしたストリートがグッと入ってきたタイミングに合わせたという意図も大きいですね。同時に、国内ブランドやドメスティックブランドという言い方に違和感を覚え始めた時期でした。当時はSNSの絶頂期で、情報の速度的にも日本に固執する必要を感じなくなり、付随して日本のマーケットも落ちているタイミングで、見てもらえる幅が少ないと思っていたんです。だからより多くの人に見てもらえるチャンスとして海外にチャレンジしました。海外は「誰がやってる」「どことつながりがある」を大切にする日本と違い、単純にモノ・実力でフラットに見てもらえるからこそ挑戦しがいがあります。ただ、一度だけニューヨークにチャレンジしたことがあるんですが、北米は日本以上につながりを大切にする特殊なマーケットで難しかったですね。

WWD:パリでの手応えは?

今野:毎回いいフィードバックがもらえてますが、今回の19-20年秋冬は特によかったですね。初回はオーダーしてもらえたものの、次にはなかなか繋がらないこともある中、今回は絶対に手放したくない店舗からもオーダーがもらえたし、売り上げも好調と聞けたので。それに、「ナイキ」とのコラボで知名度が急上昇したのもあって、コラボの依頼もかなり増え、オファーのためにわざわざ展示会に来てくれたブランドもいました。

WWD:海外のアカウント数は?

今野:国内よりも海外を増やしたいと思ってやっていますけど、今国内が30くらいで、今年ようやくトントンになったくらいですね。売り上げも同じくらいですけど、海外はいわゆる一流の店舗で取り扱ってもらっているのもあって上回る勢いです。

WWD:12年6月に原宿の喧騒から離れた千駄ヶ谷に初店舗をオープンしました。千駄ヶ谷を選んだ理由は?

今野:裏原が商社に食いちぎられ、土地も取られて、観光客しかいないような場所になって落ちてきているタイミングで、そんなところに自分が店舗を出すのはリアルじゃないなと。それなら少し離れた場所で、訪れてくれた人とじっくり話ができる隠れ家的な感じにしたいと思ったからです。

WWD:昨年には大規模なリニューアルを行いましたね。

今野:お金がない中で無理やり自分一人で作り上げたもので、ハリボテみたいな店舗に限界を感じていたからですね(笑)。海外の一流百貨店で取り扱ってもらっているのに、バイヤーが見たらギャップを感じるだろうし、友達が海外から来たときも「え、これ!?」ってなるのが嫌で、自信を持って連れてこれなかったんです。だから誰が来ても恥ずかしくないような店舗を作りました。

イメージはたまり場で、毎晩音楽を聴いてお酒を飲めるのが自分の店舗でやれたらベストだという思いから空間を創り上げました。DJ機材は、あえて“ブース”にはせずターンテーブル1台にすることで、DJをやり始める人をけん制しています(笑)。1台なら、店内にあるレコードを誰でもかけられる。それをきっかけにその場にいる人が会話を楽しめるような場所にしたかったんです。あとは、ダウンライトの照明のネオン管の色をその日の気分で変えられるようにしていたり、あの時あそこで嗅いだ匂いって印象を持ってほしいから、オリジナルの香りを充満させていますね。アクセサリーは代官山のエディ(HEDY)に協力してもらい、ビンテージの「ティファニー」と「エルメス」だけを取り扱っています。

WWD:今後店舗を増やす予定は?

今野:今のところはあまり考えていないですね。

WWD:最後に、個人とブランドの展望を教えてください。

今野:大きく2つあります。1つは、ワールドツアーを今年必ずやろうと思っていて、目下、アムステルダム、ロンドン、ミラノなどを回るヨーロッパツアーを目論んでいます。ポップアップという言葉が乱立しすぎてるので、それとは違うDJイベントと洋服を絡めたイベントを模索しています。洋服を海外の店舗に卸すだけじゃなくて、僕もそこに行って、買いに来てくれる現地の人と交流したい。「この土地ではこういうものが求められるんだ」というリアルが分かるので。

もう1つは、「ナイキ」ともう一度協業がしたい。前回は“エア フォース 1”というベースがある中でコラボしたんですけど、できることならば一足丸々フルデザインしてみたいですね。「フィアー オブ ゴッド」のジェリー・ロレンゾと「ナイキ」のコラボって、もともとないものを作ってる、これってすごいことだなと思うんです。これをやれるように、自分もブランドも高めていきたいですね。

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