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カール・ラガーフェルドが死去。

  • 2019.2.20
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世界でもっとも偉大なクリエイターであり、シャネルのアーティスティック ディレクターを務めるカール・ラガーフェルドが2019年2月19日(火)、85歳で死去した。

カール・ラガーフェルド(2014年 春夏 プレタポルテ コレクション) photo : Imaxtree

傑出したデザイナー、フォトグラファー……カール・ラガーフェルドについてひと言で表現することは到底できない。私たちは今日、その人生が謎のオーラで包まれていた人物がいなくなってしまったことを、悲しみをもって痛感したのだ。

起業家の息子としてドイツのベルリンで生まれたカールは、思春期にハンブルクの郊外からパリに渡った。そして6区のLycée Montaigneの高校を卒業して以降、パリを離れることはなかった。

イヴ・サンローランとの友情

左岸に住んだカール・ラガーフェルドは、ピエール・バルマンのアシスタントとなり、後に彼のキャリアを通して発揮されることとなるノウハウを学んだ。School of the Union Chamber of Parisian coutureで学んでいた時に、彼はイヴ・サンローランと出会った。しかし54年には、ふたつの才能は別々の道を歩むことになる。彼らはふたりとも、ファッション業界の若手支援を目的としたIWS(国際羊毛事務局)主宰のコンテストで優勝した。イヴはドレス、カールはコートで。

ジャン・パトゥでアーティスティック ディレクターを務めていた頃。(1960年) photo : Getty Images

62年、カール・ラガーフェルドはピエール・バルマンを去り、ジャン・パトゥに移った。そして64年には、創設者であるギャビー・アギョンとともに、クロエでのキャリアをスタートさせた。彼はここで、自身がよく訪れたカルチェ・ラタンの学生たちにインスパイアされたドレスを含め、クリエイティブな才能を存分に発揮した。また、カールは写真界の巨匠、ヘルムート・ニュートンとのコラボレーションによってもブランドを商業的に成功させていった。

そしてカール・ラガーフェルドはシャネルにおいて、アーティスティック ディレクターとしての地位を確立した。

シャネルの1995年 秋冬 オートクチュール コレクションのフィナーレにて、クラウディア・シファーらスーパーモデルたちと。photo : Abaca

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