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え…そんなことって…「微弱陣痛」で4日間苦しんだ出産後に待っていた悲劇【ふるえるとりの育児日記 第1話】

  • 2018.12.25
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はじめまして。とりと申します。現在2歳のむすめと楽しく日々を過ごしており、これからウーマンエキサイトさんにて連載をさせていただくことになりました。
どうぞよろしくお願いいたします。


連載第1回目ということで、今回は出産についての記事を描いてみました。

私の出産は一言でいうと「死にかけた」のですが、どんな風に死にかけたのか、順を追って思い出してみることにしましょう。


夜中に子宮が収縮するような痛みを感じるようになり、朝になってから病院に行きました。この時点では15分に一度「イテテ…」と耐えれる程度の痛みでした。
検査を受けた結果、子宮口は1.5cmほどしか開いてはいなかったのですが、とりあえず朝から入院することになりました。

その後、陣痛は強くなることもなくだらだらと翌々日まで続き、徐々に体力が奪われていきます…。

陣痛が強くならず、お産が進まない「微弱陣痛」と呼ばれるものでした。3日目の朝に、先生の判断で促進剤を使いながらお産を進めることになりました。


朝の9時、促進剤を点滴で入れ始めます。この時点でお産用の服に着替え、分娩室に移動しました。

絶食と言われたので朝食は食べませんでした。丸3日長引いた陣痛により体力はすでに尽きかけていました。このペースだと昼過ぎには産まれると思うよ、と先生に言われ、なんとかそこまでは頑張ろうと意気込むわたし…が、しかし、夕方になっても夜になっても産まれる気配はありません。

それどころか「陣痛がまた弱くなっちゃったからもっと長くかかるかもしれないね」と伝えられ、派手に気落ちしました。

結局出産できたのは21時半すぎ。約丸4日に渡る陣痛に耐え(耐えれてなかったですが…)ようやくむすめと対面することができました。

いざ産む瞬間は「やっと産める」という思いが強く、痛みなどはそこまで印象に残っていませんでした。


むすめを胸に抱き、感動を噛みしめる…間も無く、更なる試練が訪れます。

お産の後処理をしていた先生と助産士さんがザワついていました。本来自然と出るはずの胎盤が出ないそうです。お腹を強めにマッサージされてもうんともすんともいわず引きこもる私の胎盤。むすめは早々に助産師さんに連れて行かれてしまいました。

「よし、手ではがしちゃうからね」 …って先生…今何と?

これから先は男性でもショックを起こしてしまうことがあるから、と前置きされて夫も退室させられてしまいました。嫌な予感しかしません。動かないようにと大人3人で押さえつけられる私。

「出産より痛いから頑張るんだよ」と前置きの上、先生が手で私の胎盤を引き剥がしてくださいました。

これが痛いなんてものじゃなく、お産の記憶がほとんど飛ぶようなものでした。



胎盤も引き剥がし、めでたしめでたし…と締めたいところでしたが、今度は出血が止まりません。子宮を収縮させるためのマッサージでお腹を押されるたびポンプのように血が出ていたのを覚えています。

血圧はどんどん下り、体温も下り、凍えそうに寒い。毛布でくるまれながら意識が朦朧としてきます。

先生たちが焦りながら点滴やらの処置をしてくださるので、「これ死ぬやつですか?」と聞いてしまいました。

結局輸血の代わりになる点滴でなんとか生きたのですが、極度の貧血状態で産後一週間ほどは寝たきりで過ごすことになりました。

むすめとの対面は授乳のタイミングのみ。寝たままおっぱいを吸ってもらっていました。

思い出すだけでゾッとするようなお産でした。これから出産が待っている方を不安にさせてしまったかもしれませんが、このようなお産はごく稀らしいのでご安心を…。私自身も次の出産(まだ予定はありませんが)がとても怖くなってしまったのですが、最初のお産がこうだったからといって次のお産も同じようになるとは限らないということを先生から伺い、なんとか心を落ち着かせているところです。

そんなこんなで大変なお産をしましたが、その結果産まれたむすめはとても可愛らしく、毎日新鮮で楽しい日々を過ごしています。

これから連載の中で色々楽しい話もしていきたいと思いますので、どうぞ宜しくお願いします!

(とり)

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