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不妊治療と倫理~夫に調べさせることの大切さ【ひとみしょうの男ってじつは・・・】

  • 2018.11.20

不妊治療を始めようと思えば、女性はネットなどで不妊治療について熱心に調べると思います。旦那さんは……自分で調べないで、奥さんが言うことを「うん、うん」と聞くだけという人もいます。

そういう旦那さんであっても、子どもができるのを渇望していたりするのだから、なんかおかしい。新しい命の誕生を渇望するくらいなら、みずから情報を仕入れるくらいのことはしないと!

というようなことを、不妊治療をテーマとした小説『鈴虫』を書きながら思ったのだけれど、「夫が調べないとどうなるのか」というのが、これまたすごいのです。

夫が不妊治療についてみずから調べないとどうなるのかといえば

夫が不妊治療についてみずから調べないと(=勉強しないと)どうなるのかといえば、奥さんが婦人科医に言われたことを真に受けるようになります。正しい情報のみならず、お医者さんが「言外に匂わせた」不安も焦りもすべて真に受けるようになります。

奥さんに時間があり、かつ勉強熱心であれば、セカンドオピニオン、サードオピニオンの意見も聞きに行き(いくつかのクリニックに行き)、わりとフェアな情報を得ることができて、みずからの治療に道筋をつけることができます。

がしかし、セカンドオピニオンにしたいクリニックが遠かったり、行っているクリニックのドクターが「ゴッドハンド」だったりすれば、どうしても1つのクリニックでひとりの先生の言うことを素直に聞くしかなくなる、ということになりますよね。

不妊治療に限らず、どのような治療であっても、現在ではセカンドオピニオンを持ちましょうと言われているので、1つのクリニックから得た情報だけで治療をするのは、言うまでもなく、みずからリスクを高めることになりますよね。

お医者さんによっては「おれだけを信用しろ」と言う人もいるのかもしれないけど、でも一般論としては、セカンドオピニオンって大事じゃないかなと思います。

不妊治療の倫理

これはある哲学科の教授から聞いた話なのだけれど、医学部で倫理学の授業をしても、学生は全員寝ているか内職(国家試験の勉強)をしているのだそうです。それがイヤで、その先生は定年を機に医学部で教えるのを辞めたそうです(看護学部では教えている。授業を熱心に聞いてくれるから)。

倫理学って、「人とはなにか?」とか「愛とは?」とか「命とは?」というようなことについて、よく考えることです。その教授が知る限り、そういうことに、お医者さんの卵たちは皆目興味がないということなのでしょう。

不妊治療に関して、婦人科医は、おそらく医学的にまちがったことを言わないはずです。タイミング療法でいけそうなら、それをすすめるでしょうし、それでは無理そうなら人工授精を試みるなど、医学的に正しいことをわたしたちにすすめてくるはずです。

夫婦愛の倫理

でも、不妊治療をしていたらどうしても精神的に不安定になりがちです。風邪を引いただけでも人間、心が折れることがあるわけだから、ゴールが見えない不妊治療においてをや。

そういうときって、どうしても「情報の正しさ」より、「その情報を納得できるかどうか」という感情の問題が出てきます。ドクターの言っていることに間違いはないと思うけれど、でも感情として納得できないとか、納得したいけど先が見えない不安があるゆえに納得しきれない(信用しきれない)とか。

そういうとき、ネット情報でもいいから、みずから不妊治療について勉強している夫がいると、きっとあなたはすごく心強いはずです。これがひとつの夫婦における倫理です。

お医者さんの卵が倫理学の授業で寝ていようと、でもお医者さんは医療倫理を持っていることが多いのもまた事実です(クローンをつくる技術に自主規制をかけるなど)。

でもやっぱりどうして、倫理が持つ愛の側面に思いを馳せるなんていう牧歌的なことをしてこなかった人が多いのもまた事実なのではないかと思います。医者に限らず、どのような業界においても、愛について考えてきた男の人って少ないでしょう。

不妊治療は、医学的に正しい情報がなくてはならないものだけれど、それと同じくらい、愛に関する正しい倫理観を夫婦で共有しないと、女性が大変です。

愛に関する倫理とは、なにか情緒的な漠然としたものではなく、夫が正しい不妊治療の知識を持つことじたいです。それが不妊治療にいどむ夫婦における愛の倫理です。

夫に不妊治療について勉強させる――強制的にでも奥さんがそうすることが大切なことだと思うのです。

(ひとみしょう/作家)

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