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ネットサーファーとB-BOYがアートを作ったら? 新進気鋭のアーティスト展へ。

  • 2018.9.6
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ネットサーファーとB-BOYがアートを作ったら? 新進気鋭のアーティスト展へ。
2018.09.06 10:00
1985年生まれの梅沢和木、80年生まれのTAKU OBATA。ともにIT革命と呼ばれるインターネットへの移行期を肌で体験してきた世代のアーティストだ。2000年以降に活動を始めた二人による展覧会「HYPER LANDSCAPE 超えてゆく風景」が、ワタリウム美術館で開催されている。彼らの作品から、今の時代精神を読み解く。

現実世界と仮想空間を自由に行き来する時代に。


これぞTOKYOの現在地、というべき展覧会がワタリウム美術館で始まった。梅沢和木とTAKU OBATA 。彼らはともに2000年以降に創作活動を開始した世代のアーティストだ。


インターネット上に散らばる無数の画像を集め、その圧倒的な情報量に対峙する感覚をカオス的な画面で表現する梅沢。自身もB-BOYであり、ブレイクダンサーの身体性をめぐる躍動やスピード感を木彫の人体彫刻に表現するOBATA。


2人の作家は、現実の空間とデータの世界を自由に行き来する時代であればこそ生まれでた才能であり、アートの伝統技法や既成概念からも解き放たれている。

ネットサーフィンの果てに見出した、"クリエイターズ・ハイ"。


会場2Fから3Fにかけての壁という壁はことごとく梅沢和木の作品で埋め尽くされていた。


「梅ラボ」と称する彼のクリエイションにおいて、その培養の温床となるのはネットサーフィンだ。ネットの世界と自身の意識を日常的に接続する梅沢は、素材となる膨大な画像を収集し、それらをコラージュして凝縮した画面を印刷。さらにその上からアクリル絵の具などでタッチを加えていく。そのデータの重量感、レイヤーの重層感がそのまま作品の迫力となる。


もともと架空のキャラクターへの強い憧れがあり、趣味的に耽溺していたその世界をアートへと発展させていった。高校1年の頃、工作の時間にパソコンに触れて以来、インターネットの楽しさをライフワークとして表現していこうと決めたという。 


2011年の東日本大震災後には被災地の風景をモチーフにした大作を制作。やがて神仏への信仰、そしてアニメのファンタジーに見られる異界との扉を司る魔法陣といった「遠い存在」へと関心は移行し、より一層キャラクター文化と接近していった。


二次元世界を眺めて多幸感に浸るだけでは飽き足らず、そこに自身の手描きの筆触を加えることで、そこに同化するような「クリエイターズ・ハイ」を味わうという。


梅沢は自身を「余白恐怖症」と呼ぶ。まさに隙間を忌み嫌うかのように(耳なし芳一か?)、ショッキングピンクの挿し色をきかせたイメージの洪水は次元と焦点を撹乱し、私たちの時間感覚を一瞬にして奪い去る。Void(=無効な空間)の存在を許さないその創作姿勢には、東京というメガシティに身を置きながら、その異常なテンションを遠隔操作しようと試みる覚醒した眼差しがあった。


本展会期中には、日々増殖するネット上の画像と現実空間を行き来しながら、さらに新たな作品を加えていくというから楽しみだ。

B-BOYが生み出す、木彫のブレイクダンサー。


その過剰に装飾的ともいえる平面作品に囲まれた空間のなかで、TAKU OBATAの立体作品はわずか2点。だが、2つの句読点のようにきっぱりとした緊張感をもって屹立している。


一体は男性、もう一体は女性のブレイクダンサーの彫像だ。いずれの作品も共通して、顔が地面に対して垂直で、正面を見据えている。そして女性は前髪が、男性は眼鏡を延長させた目が水平になっている。どちらもダウンジャケットを着ているが、そのブロックもまた水平と垂直を強調したフォーメーションを進化させている。


『サイボーグ009』を彷彿とさせる非現実的な身体構造。コンピュータがフリーズしたときのバグのような衣服の表現。この2つの関係によって示されるこの鮮烈なデフォルメこそ、ダンサーであるOBATAが自身で体感した「形重視」の身体性の表現なのだ。


木彫という古典的かつ直接的な手法で、身体表現や躍動を形にしてきた彼がいま取組んでいるのが写真と映像の作品だ。


まず、冴え冴えとした蒼穹に一個の物体が浮かんでいる写真がある。一見してCGなのか実写なのか判別しにくいこの作品の謎は、次の暗幕の展示室で明かされる。そこでは真っ白な「無」の空間のなかで、ビビッドなネオンカラーの物体が浮かんでは消えていく抽象的な映像が展開する。どう見てもCG、あるいはクレイアニメーションに見えるが、これは完全なる実写映像なのだ。


「重力のない変な空間をつくりたかった」というOBATAは、スタジオ内にシンプルな装置を制作。その中央、四方から眩い光に照らされた空間に向かって自身の木彫(B-BOY BUTTAI)をふわりと投げ上げ、セット自体を動かしながら、いくつものパターンの動画を撮影した。これによって、空中の折り返し地点から落ちる直前、物質が重力に支配されない瞬間を人為的に捉えることができたのだ。


宙に浮かんだ木片を見て、映画『2001年宇宙の旅』のモノリス(そして猿が投げる骨)を思い浮かべる人も少なくないはずだ。だが作家によれば(制作中そこに連想は及んだが)、むしろ着想の出発点は『スター・ウォーズ』の導入部だという。スターデストロイヤーとファルコン号が宇宙空間で交錯するシーンは、1970年代当時、アナログな特撮装置で撮影された。その壮大なスローモーション映像を見て驚嘆した記憶が本作の特撮映像の端緒となったそうだ。


木彫と違い、撮影自体は短時間でスピーディに行われている。しかし、そこに至る妄想と思考の時間こそが、OBATAの作品を洗練されたコンセプチュアルアートとして成り立たせている。

重力、伝統etc. ... 既存の概念を超えた先に見える風景とは?


物理的・概念的に三次元空間から解放された2人の自由自在な作品世界。これらを目の当たりにして、筆者が漠然と思いをはせたのは、皮肉にも東京という過密都市で生きる日常のさまざまなシーンだった。人間性を剥奪された通勤通学の車内や危うい精神のバランスを保つ職場環境で、人々は物理的・概念的に現実世界から逃避するネガティブな術として、ネットやヘッドフォンのなかの「二次元」や「無重力」の幻惑に依存する。


一方で、アーティストたちの冒険は同じ方向性を追求しながら、その揺らぎやレイヤーの手管すら、あくまでポジティブで未来的だ。本展は、彼らの創造性が既存のアートの枠組みを「超えてゆく風景」を通して、その先にある都市生活者にとっての失楽園の行方をも予見しようとしていた。

梅沢和木 + TAKU OBATA 「HYPER LANDSCAPE 超えてゆく風景」

会期/開催中〜12月2日(日)

会場/ワタリウム美術館 東京都渋谷区神宮前3-7-6
http://www.watarium.co.jp/exhibition/1809hyperlamd/index.html住吉智恵(Chie Sumiyoshi)

アートプロデューサー、ライター。東京生まれ。『VOGUE』ほかさまざまな媒体でアートや舞台についてのコラムやインタビューを執筆の傍ら、アートオフィス「TRAUMARIS」を主宰。各所で領域を超えた多彩な展示やパフォーマンスを企画。10月7日(日)Dance New Air 2018で開催される「ダンス保育園!!」と屋外パフォーマンスのゲストプロデューサーを務める。バイリンガルのカルチャーレビューサイト「RealTokyo」ディレクター。http://www.realtokyo.co.jp

Text: Chie Sumiyoshi

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