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【ひとみしょうの余談ですみません】自分というものを「なかったこと」にすると幸せになれる?

  • 2018.8.29

理想の彼氏像をお持ちの人は、理想の彼氏に近い人にさっぱり出会えなくて悩んでいたりするかもしれないですね。就きたい仕事に就けていない人は、自分が理想とする職業に就けていない自分に嫌気がさしてきている頃かもしれないですね。

幸せって、簡単に定義するなら、理想と現実がほぼ近い位置にあることです。

わたしは女優になりたいと思っている人が女優になれたら、そりゃあすごくハッピーなのかもしれないけれど、女優にはなれていないけれどお天気お姉さんにはなれているとか、モデルにはなれているとか、そういう「近いところ」にいても、それなりに幸せなことってあるからね。

職業が、生き方があなたを選んだ(=あなたは選ばれた)

しかし言うまでもなく、わたしたちの中の何割かの人は、理想と現実の乖離がはなはだしい場所で生きていますよね。女優になりたい人が、銀行の窓口で働いていたり、出版社で雑誌の編集をしたい人が、IT企業でなんらかのサイトの編集をしていたり(紙の世界とWebって、まるっきりが違う)。

そういう人のなかにはすでに目標をあきらめている人もおいでかと思います。あきらめたほうが精神的に楽だからとか、そもそも向いていないと悟ったとか、いろんな理由であきらめてしまっている人もいると思います。

それはそれでいいんですよね。誰もが自分がしたい仕事に向かって努力する必要なんかなくて、でっかい夢をあきらめて平凡に暮らすことが、もしかしたらその人にとってもっとも幸せなことかもしれないから。

幸せかどうかというのは、よくその人の主観だと言われるけれど、ある程度持って生まれたものが左右しているように思うんですよね。それなりに幸せな人がよく言うのは「わたしはこの仕事が天職だと思いました」とか「わたしはこう生きることが運命づけられていたんだと思います」とか。聞いたことありますよね、こういう言い方。

つまり、これをやりたいとか、こういう職業に就きたいとか、そういう「自分の気持ち」というか「自分」が、職業や生き方を選んだ結果幸せになったということではなくて、職業が、生き方があなたを選んだ(=あなたは選ばれた)、だから幸せ、という人のほうが多いように思うんですよね。

何者かに選ばれたという感覚があれば

この論を証明しようと思えば、神の存在証明をする必要があるのかもしれなくて、それはいまだかつて成し遂げた人がいないので無理です。

でも肌感覚として、自分というものを一度なかったことにしてみる――

つまり来たものを受け入れる、仕事なら自分がしたくない仕事とかしたい仕事とかそういうのを考えないで、とにかく来た仕事をこなしていく。そうやって好き嫌い抜きにして、フラットな心でなにかをやり続けるうちに、ホントに自分というものから余計なものが剥がれ落ちてくれて、何者かに選ばれる瞬間がやってくるんですよね。

何者かに選ばれたからわたしはこの仕事をしている・何者かに選ばれたからわたしは今の彼氏と付き合っている――こういう感覚があれば、人はかなり幸せな気持ちを味わうことができます。

(ひとみしょう/文筆家)

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