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ロイヤルファミリーとその姻族たち

  • 2018.8.2
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翻訳/mayuko akimoto Photo Getty Images, Aflo From TOWN&COUNTRY

軍の反乱により一族が権力の座から追放されたため、混沌とした幼少期を送ったギリシャ及びデンマーク王室のフィリップ王子。家族はバラバラになったまま、二度と一緒にはならなかったそう。フィリップはその後結婚してイギリス王室に入ったものの、肉親の姿はほとんど写真の中にも見えず。

 

フィリップが一族とギリシャを追われたとき、彼はまだ生後18カ月。その後両親と4人の姉たちとともにパリに移り住んだけれど、両親は不在がちで、フィリップはしばしば叔父や叔母たちの元に送られたのだとか。家族が完全に離ればなれになったのは、フィリップが9歳のとき、母であるアリス王女が統合失調症の診断を受けて精神科病院に入り、父であるアンドルー王子がフランスのモンテ・カルロに移ったときだったとのこと。

 

フィリップの姉たちは後にナチス関係者と結婚し、フィリップは母方の叔父である第2代ミルフォード=ヘイヴン侯爵ジョージ・マウントバッテンとルイ・マウントバッテン卿の二人に引き取られて主にイギリスで育てられることに。フィリップは成人してからかつての家族の混乱を振り返り、感傷的とは言い難いこんな言葉を残しているそう。「ただ、そういうことが起きたというだけのことです」「家族が崩壊した。母は病気、姉は結婚して、父は南フランスにいた。私はそれで何とかやっていくしかなかったのです。そうですよ。そういうものです」。

 

1947年にフィリップが当時のエリザベス王女と結婚した際、式に呼ばれたのは母親だけ。

 

▲フィリップ殿下の結婚式で。母のアリス妃は前列左から2人目。

叔父のジョージは1938年に亡くなっていたけれど、ルイ・マウントバッテン卿はその後もフィリップの人生において重要であったばかりか、3代後まで影響をおよぼした人物。

 

ルイ・マウントバッテン卿はフィリップの息子、チャールズ皇太子の名づけ親で、1979年にIRAの爆弾テロによって亡くなるまで、チャールズにとっても大切な人物だったそう。そのため、チャールズは亡くなった名づけ親に敬意を表して、息子のウィリアム王子のミドルネームをルイとし、ウィリアムもまた長男のジョージ王子のミドルネームをルイにするばかりか、3人目の子どもの名にルイを選んだほど。

ここ数十年におけるウィンザー家とスペンサー家の関係は複雑。

 

チャールズと結婚する前から、王室と強いコネクションを持っていたスペンサー家。ダイアナの祖母は両方ともクイーンマザーの女官だったし、父方の祖父はジョージ6世の侍従だったそう。また、エリザベス女王はダイアナの弟チャールズの名づけ親で、クイーンマザーはダイアナの姉セーラの名づけ親でもあったのだとか。ダイアナの両親がウェストミンスター寺院で結婚した際は、エリザベス女王、フィリップ殿下、クイーンマザー、マーガレット王女が皆招待されたとのこと。

 

さらに言えば、チャールズ皇太子はかつてダイアナの姉セーラと交際していたこともあり、もう一人の姉ジェーンの結婚相手は女王の政務秘書官補佐。

 

もっとも、こうした結びつきはすべて制度的なもので、個人的な関係に根ざしたものではなかったのだとか。

 

結婚したダイアナがすぐに気づいたのは、すべての選択はロイヤルファミリーを優先して行われるということ。クリスマスは常にウィンザー城と、後にサンドリンガム・ハウスで、夏の休暇は他の一族とともにスコットランドのバルモラル城で過ごさなければならなかったそう。家族での休暇以外でも公式行事が常に優先されていて、ダイアナは肉親との関係を阻害されているように感じていたのだとか。

 

おそらく、ウィンザー家とスペンサー家の間の緊張が最も高まったのは、ダイアナの葬儀の際、弟のチャールズが物議を醸した追悼文を読んだとき。チャールズ皇太子との離婚により、姉であるダイアナから妃殿下の称号を奪ったことを非難するかのような内容を含み、「亡くなる前、彼女の独特な魔法の力を生み出し続けるためには、王室の称号は必要なかったと証明した」と述べたそう。

 

▲真ん中がダイアナ妃の弟チャールズ。

さらに、チャールズはウィリアム王子とハリー王子に対する王室の影響も批判し、「あなたの母と姉たちを代表して、肉親である我々は、あなたが二人の優れた若者たちを導いたように想像力に富んだやり方で、できるかぎりのことをすると約束します」「彼らの魂が義務と伝統にのみ捕らわれることなく、あなたが計画したように、高らかに歌うことができるように」とも。

 

チャールズ・スペンサーとロイヤルファミリーの間にどんな確執があったにせよ、近年その関係は回復の兆しを見せているよう。スペンサー伯爵はウィリアム王子とハリー王子の結婚式に出席しているし、王子たちは母方の叔母やいとこたちとも良好な関係を続けているのだとか。特にダイアナの姉であるレディ・ジェーン・フェロウズはハリー王子の結婚式で朗読をしているし、娘のローラはシャーロット王女の名づけ親にもなっているそう。

ロイヤルファミリーは―少なくともウィリアム王子は―ダイアナ妃の一件から何か大切なことを学んだ可能性がありそう。

 

これまでに明らかになっているのは、ケイトの両親であるマイケル&キャロル・ミドルトンが娘やその夫、子どもたちにとって重要な存在となっていること、彼ら自身もそうした存在として歓迎されているということ。キャロルとマイケルは、チャールズとカミラのスコットランドでの住居であるバークホールに呼ばれたこともあり、アスコットでは女王と一緒に馬車に乗るよう招待されたこともあるのだとか。そして、ミドルトン家全員がハリー王子の結婚式に招待されたのは、有名な話。

 

ケイトのきょうだいであるジェームズとピッパは若い王族たちと積極的に関係を築いたため、ハリー王子やユージェニー王女までピッパの結婚式に出席したし、ハリーはジェームズとサッカーをする仲。ウィリアム王子とケイトはお互いの家族が同等に大切であることをはっきりさせているらしく、クリスマスにはロイヤルファミリーとサンドリンガムで過ごすことが多いものの、これまでに何度かはバークシャーにあるケイトの家族ともクリスマスを過ごした模様。

 

▲2016年12月、ミドルトン家の実家、バークシャー州エングフィールドにある教会でのミサに参加したキャサリン妃一家。

また、ジョージ王子が生まれた直後は、ケイトはケンジントン宮殿を離れ、ウィリアムとともに両親の元に戻ったそう。

 

「ケイトの家族はとても、とても仲が良いんです」と婚約インタビューで語ったウィリアム。「僕は彼らととてもうまくいっているし、こんなに支えてもらって、本当に幸運です。マイクとキャロルはなんというか本当に愛情深く、気遣いが細やかで、面白くて、僕を本当に歓迎してくれています。ですから、僕も家族の一員のような気がしていますし、ケイトも僕の家族を同じように感じていてくれればと願っています」とのこと。

ハリー王子の家族に温かく迎えられたサセックス公爵夫人だけど、フィアンセから王族への移行が容易だったとは言えないのは明らか。

 

メーガンの父母であるトーマス・マークルとドリア・ラグランドはメーガンが幼い頃に離婚、公爵夫人はどちらとも近しい関係を保っていたけれど、17歳違いの異母姉であるサマンサ・グラント(現在はサマンサ・マークルに名前を変更)と16歳違いの異母兄であるトーマス・マークルJr.とは一定の距離をとってきたそう。ところが、メーガンとハリー王子との関係が公になると、父親の最初の妻との子どもであるこのきょうだいたちがメディアに登場、しばしば異母妹を非難するような発言を繰り返して来たのだとか。

 

どちらもロイヤルウェディングには招待されず、タブロイド紙に対して発言し続けている異母きょうだいたち。

 

メーガンの父親であるトーマス・マークルはウィンザー城のチャペルで娘とバージンロードを歩く予定だったけれど、結婚式の数日前、タブロイド紙『TMZ』のインタビューに答えて、心臓発作が起きたためにそれができなくなったことを発表。

 

メーガンはこれに対し「私は常に父を気遣ってきましたし、彼が自分の健康に集中するためのスペースが与えられるよう願っています」と声明を発表したそう。

 

トーマス・マークルは、長男長女たちと同様、メーガンについてメディアで発言を続けているものの、はたして彼らの間に直接のコミュニケーションがあるのかどうかは不明。もっとも、結婚式の直後にはテレビ番組『Good Morning Britain』に出演し、娘とのプライベートなやりとりや、ハリー王子との個人的な会話についても暴露したよう。

 

こうしたことは、通常ロイヤルファミリーと姻戚関係になった人々が漏らすことではないため、マークル氏が今後どうやって折り合いをつけていくのかは大きな課題になりそう。

 

彼とは対照的に、結婚式でずっと娘に付き添い、チャペル内ではロイヤルファミリーのそばに座って娘を見守ったのがメーガンの母親。メディアに対しても娘のことや新しい夫について、ほとんど何も語らなかったそうです。

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