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Netflixとの確執、白熱する#MeToo…生まれ変わろうとするカンヌ国際映画祭は、パルムドールになにを選ぶ?

  • 2018.5.14
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出典:https://news.walkerplus.com/article/146431/

今月8日から19日まで開催されている第71回カンヌ国際映画祭。今年のカンヌは生まれ変わっていくその第一歩、と位置づけられた。開幕前日、総代表のティエリー・フレモーが質疑応答の会見を急遽セッティング(少なくとも「総代表が質疑応答の時間を設けるので出席おまちしています」というメールが届いたのが開催時間のほんの数時間前というのは、急遽、としか言いようがない)。今年の様々な改革についての質問をまとめて受けるという機会を作ったほどのシステム的な変化が起きている。

まずは「セルフィー禁止」。フレモーいわく「皆映画を観に来ているはず。自分の写真を撮って、"自分"をそんなに見たいのかね。醜悪だね」ということで、こんなカードがプレスとマーケット参加者のためのキットがはいったバッグに入っていた。このカード、実はおまじないがかかっていて、レッドカーペット上で禁止されたセルフィーを試みると罰が当たるのである。その証拠に、ある女優がオープニング・ガラのリュミエール劇場レッドカーペット上でドレス姿の自分をさりげなくセルフィーして注意され、階段を上りかけて大コケ。危うく下着が見えそうな姿を大画面でさらしてしまった。

大きなところで言うと、例年開幕は水曜日、閉幕は日曜日とされてきたのを1日前倒ししたり、記者用の試写が公式上映の前にセットされていたのを廃止して、記者は公式上映の始まったあとに試写を観るというセッティングにしたりと、システム的な大なたを振るったのである。

映画祭側は「クロージングを見ないで帰る参加者が多かったが、土曜日に閉幕すると映画祭を全部楽しんでから帰ってもらえる」「ネット時代になって、試写の後すぐネットに情報が流れ、公式上映の楽しみがなくなるのを防ぎたい」と理由を語る。キネマトグラフの個人鑑賞装置が映画の始まりとするエジソンではなく、多くの人が暗闇でスクリーンに投射される映像を見る、リュミエール兄弟のシネマトグラフを映画の誕生とするフランス人ならではの、ネットではなく劇場で映画を観ることが映画なのだという考えに基づいている。これは昨年から続くNetflixとの確執に対するカンヌの見解でもある。ただし、フレモーによれば「うまくいけば残す。ダメなら変えるし、元に戻ることもある」し、「映画祭は記者をないがしろにしているわけではないし、Netflixが嫌いなわけでもない。いまは変化の途中なんだよ」ということになる。

しかし、いまのところ戸惑いが大きく改革の評判はよくはない。が、ひとついいことがあった。いままで記者は参加できなかったリュミエール劇場でのオープニングをドビュッシー劇場((記者がオープニング作品を見るために開けられたリュミエール劇場に隣接した劇場))に中継、記者も晴れてオープニングを楽しむことが出来るようになったのだ。改革に+50点、である。

かくして開かれた審査員の記者会見。今年は女性審査員長として11人目になるケイト・ブランシェットが12回目の女性委員長として審査に当たる。メンバーは委員長を含めて9人。女性5人男性4人という割合である。ケイトいわく「委員長が1人、審査員は男女4人ずつだけどなにか?」。

今年はアメリカ映画界を揺るがすアンチセクシャルハラスメント運動が世界の映画界にも影響を与えている中での女性審査員長、さぞ、と誰しもが思うもの。カンヌもハラスメント撲滅に乗りだすという姿勢をステイトメントや、啓発チラシ(これもバッグに入っていた)の配布などで表明している。そのわりには自分で"ペルソナ・ノン・グラータ"と追放しておきながら(これはナチスにシンパシーを感じるという発言のためだった。この発言自体、ジョークだったと言うことで追放がとかれたわけだ)、ビョークからセクハラ・パワハラで告発された(本人は否定したが)ラース・フォン・トリアーを復活させたりと、この問題に関しては一貫性をいささか欠いているのだが。

現在、ハラスメント撲滅運動がいつしかジェンダー・イコーリティ運動と同盟を組んだ感じになっているが、ケイト審査員長はそのために選ばれたわけではなく、審査員団もその視点で審査に当たるつもりはないと明言した。「女性だろうと男性だろうとトランスジェンダーだろうと、とにかくジェンダーにとらわれることなく、いい映画、つまり、脚本・演出・撮影・演技などの様々な要素が優れていて、トータルにすばらしい作品を選ぶだけです」と。

そんなケイトの言葉にうなづくクリステン・スチュワート、レア・セドゥ、音楽家のカジャ・ニン、『グローリー/明日への行進』の監督エイヴァ・デュヴァーネイの女性審査員たちは自信に満ちて発言する。男性審査員ドゥニ・ヴィルヌーヴ、アンドレイ・ズビャギンツェフ、チャン・チェン、ロベール・ゲディギャンも押され気味に感じる。チャン・チェンなど、通訳が質問と答えの翻訳のタイミングを外し、もう一度答えてと言われ「じゃあ、もう一度…なに言ったっけ。じゃ、テイク2」と大笑いしていたほどのリラックスぶり。

「作品のクオリティ第一。オープンハートで、オープンマインドで、フェアに審査します」と審査員長も審査員も言う。ジェンダーだけではなく、様々な国の政治的な、社会的な問題をも繁栄させた作品貸せ並ぶカンヌ国際映画祭である。パルム無冠のベテラン、例えばゴダールと新人、常連が並ぶノミネート作品ラインナップだが、「過去の業績にこだわらず、あくまでも今回の出品作を見ての審査になる」と審査員長。ゴダール監督には前回出品した時に審査員賞をグザヴィエ・ドランとダブル受賞して「審査員賞は若者がもらうもので、ゴダールのようなベテランにはふさわしくない」と代理受賞のプロデューサーが怒ったという前科がある。ケイトはそのあたりをさらっと牽制しておいたのだろう。

作品第一、そして作家の側に立つ。これがカンヌの基本である。今回、コンペに選ばれたイランのジャファール・パナヒ監督とロシアのキリル・セレブレネコフ監督が出国をとめられゲスト参加できなかったり、クロージングに決めたテリー・ギリアム監督の『ドンキホーテを殺した男』が前のプロデューサーとの裁判中で上映が危ぶまれたりと、映画が政治的かけひきの材料にされる時代である。その中でもカンヌは上映したい作品は誰がなんと言おうと上映する、という立場を基本的に取るのだ。作品第一作家優先。そんなカンヌのスタンスをはっきり示すことになった今年。5月19日の最終日、この審査員団がどんな結果を出すのか。ますます楽しみになった。

ちなみに5月9日(現地時間)のカンヌクラシック上映の舞台挨拶で、フレモーが『ドン・キホーテを殺した男』の裁判の結果が出て、テリー・ギリアム側が勝ち、正式に上映が可能になったことを発表した。会場からは拍手が起き、作品はプロデューサーや製作会社、出資者のものではなく、作家のものだという決定を支持、裁判中だろうと上映すると言ったカンヌの英断を讃えたのである。(Movie Walker・取材・文/まつかわゆま)