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不自然こそが『恋の始まり』。コミュ力が高いだけでは、彼の印象には残らない

  • 2018.3.6
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コミュ力。
この言葉が、まるで人間関係の不可欠要素であるかのように言われるようになったのはいつからでしょう。
たしかに、「非KY」や「コミュ力が高い」といったものは、相手と円滑にコミュニケーションをするためには大切なことだし、これに長けているに越したことはないのかもしれません。


だけど、恋愛って、「コミュニケーション能力」でするものなんでしょうか?
初対面なのに、まるで初対面じゃないみたいにスラスラと世間話なんかができることが、果たして相手に好きになってもらうために本当に必要なんでしょうか。

■コミュ力=誰とでもそれなりにうまくやる力

そもそもコミュ力が大切と言われる分野というのは、職場とか、学校生活とか、そういう「いろんな人」がいる場におけるコミュニケーションだったはずです。


こういった環境では、当然、自分とウマが合う人もいれば、そうじゃない人もたくさんいる。そういう人だからって、一緒に居合わせても仏頂面で挨拶すらしなければ、話しかけられても無視をする。そんなんじゃ、周りも気を使うし、危なっかしくて見ていられない。


「そのコミュニティに安心して置いておける人間としてふさわしいかどうか」という尺度から、「コミュ力」というのが求められる要素になってきたんだと思います。


いわば、不特定多数の人と、ムラなく、平均的にまあまあなコミュニケーションを取ることができる能力のことをもともとは指しているはずなんです。

■恋はむしろ「不自然さ」から始まるもの

だから、コミュ力の高い人といると、会話も当たり障りがないし、「この人、何考えてるんだろう」「何いってるんだこいつ・・・・・・」みたいに思うことがないから、一緒にいて本当に楽なんですよね。


でも、コミュ力が高い人と過ごした後には、だいたい、何も印象に残らないものです。
スムーズな会話というのは、同時に、なんの引っかかりもない平凡な会話ということを意味します。没個性がゆえに嫌われないけど、かといって、好かれもしない。


今朝のニュースでアナウンサーが何をどんなふうに話していたかなんて、よほどその人のファンじゃない限り覚えていないはずですし、逆に、芸人さんが放つなんでもない一言というのは、言い方や仕草が面白いせいで、ずっと頭に残ったりするものです。


好きな人と一緒にいると、なかなかうまく話せない。これは当然だと思いますし、無理やり直そうとして、「普通」を気取る必要もないんだと思います。


なぜなら、そうやって「不自然」な時間を過ごすことで、彼の頭の中でもあなたと過ごした時間が印象深く残るはずですし、そのドギマギした感じにこそ、人は恋の兆しを感じるものだと思うからです。


もっと自然に話したい。


「変なやつ」って思われるのがいやで、こう感じてしまうのもよくわかりますけど、それ自体は悪いことじゃなくて、むしろ、いいことなんだと思います。


なので、変に自己嫌悪したりすることなく、その調子で、「不自然でコミュ力があんまりないまま」で、勇気を振り絞りながら一生懸命におしゃべりしようと頑張る姿こそが、彼の脳裏に他のどんなコミュ力の高い女子よりも強く焼きつくことに繋がるんじゃないでしょうか。(遣水あかり/ライター)


(ハウコレ編集部)

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