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会社を辞めて、こうなった。【第67話】 ヴィパッサナー瞑想合宿で、稼げない40歳の自分を直視する!(後編)。

  • 2018.2.16
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会社を辞めて、こうなった。【第67話】 ヴィパッサナー瞑想合宿で、稼げない40歳の自分を直視する!(後編)。

図らずともやさぐれモードで始まった二度目のヴィパッサナー瞑想合宿。セルと呼ばれる独房に篭って瞑想し続けた結果、心の深い深い部分まで向き合うことになりました。結果、”40歳を目前とした不安”について延々と語る女性に自らを晒せるほどエネルギーが軽くなったのですが。いったいどんなステップを踏んだというのでしょう。時系列でご報告します。
写真/文・土居彩
【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 67

くしゃみが止まらず、ティッシュが手放せない。

2回目のヴィパッサナー瞑想合宿、前編はこちらをどうぞ。

http://ananweb.jp/column/sanfrancisco/157529/
やさぐれモードで始まった2回目のヴィパッサナー瞑想合宿ですが、始めの3日間はとにかく眠くて、眠くて。あろうことか瞑想中に寝落ちすることが多々あったほど。そこで休憩時間は散歩もせずにひたすら気絶したように爆睡していました。朝の4時半から瞑想がスタートするのですが午前中はくしゃみ、鼻水と涙が止まらず、ティッシュ箱が手放せない状態に。まったく集中できません。健康だけが取り柄だったのに、どうやらアレルギーになってしまったようです(これって、瞑想アレルギー?)。結果、ティッシュ箱と頭からすっぽり被れるぶ厚めのストールが瞑想時の私の必需品に。

ちなみに合宿中にみんながどんな格好をしているのかというと、写真上のようなポンチョ人口が高かったです。ポンチョの下はパジャマのようなゆるいスウェットの上下。分厚い靴下を履いてビルケンシュトックのサンダルというのが北カリフォルニア ヴィパッサナー瞑想合宿の定番ファッションのようです。

「大草原の小さな家」のローラ気分の寮。

寮の部屋の様子はこんな感じ。前回のヴィパッサナー瞑想合宿で訪ねたNorthern California Vipassana Centerとさほど変わらなかったので、そちらを再掲載しました(携帯電話を没収されるので、写真撮影ができないんです)。シングルサイズのほどよい硬さの低反発マットが敷かれたベッドに、ナイトテーブルとデスクランプ。あとはゴミ箱とティッシュ2箱にハンガーが5本です。今回違った点は、全室個室で洋服ダンスがありました。
※ヴィパッサナー瞑想合宿・初体験記事は、こちらをどうぞ。

http://ananweb.jp/column/sanfrancisco/148719/

寮はこのように木々に囲まれた原っぱに何棟か建っています。ちょっとした『大草原の小さな家』気分です。10日間の寮のトイレ掃除は、有志で行います。3日目に、当番表が埋まっていなかったため、睡魔と戦い意識朦朧としながらトイレ掃除をしてみました。現在8人で暮らしている家でもそんな感じなので、「私の人生、トイレ掃除しているうちに終わりそうだな……」と思って、少し気が滅入ります。

独房に篭って、瞑想し続ける。

今回の合宿所ではメディテーションホールで集団瞑想を行うだけではなく、パゴダと呼ばれる仏塔(写真上)の個室でも瞑想できるとか。日本の侘び寂び、簡素な仏塔とは趣が違って、超エキゾチック&ド派手な外観ですね……。余談ですがこのパゴダの小さな個室のことを英語でcell(セル)というのですが、コレ、刑務所の独房っていう意味もあるんですよね(苦笑)。
中の様子はというと、だいたい一畳ぐらいのスペースに坐布がひとつ。窓はありません。ここに篭ってしまえば、誰も気にせずにいくらでもくしゃみができるし鼻もかめる。寛ぎすぎて「こりゃ、楽だわ〜」と壁の角にもたれて、あろうことか爆睡してしまったり。非常に落ち着くので7日目ぐらいまではひとりここに籠もりきりで瞑想していましたが、肉体的にはラクなのですがなぜかここにいると私は怖いことばかりが頭に浮かんでしまいます。

4日目の朝は「この後に及んで大学院に行かなかったら、渡米したけどなんの意味も無かったな!」といろんな人に批判されるという被害妄想たっぷりな悪夢にうなされて目覚めると、眉間と左頬に大きな吹き出物が。ウォーキングコースに設置された“course boundary(ここまでよ)“と書かれた標識を見ては、袋小路な自分の人生に照らし合わせてしまうというネガティブっぷり。

心の中と同様、外は雨です。「二回目だといっても、前回8日目に体験したスカッとしたあの状態からはスタートできないのだな……」と、憂鬱な気持ちになります。ニルヴァーナ(涅槃)への道は、はるか彼方……。「瞑想によっていい気分でいたい。幸せになりたいという気持ちが先行すると、それは良い気分に対する執着であり、嫌な気分に対する嫌悪感ですから、真の幸せ、つまり涅槃への歩みとはまったく逆の方向に向かっていることになります」というヴィパッサナー瞑想を指導するS.N.ゴエンカ師の教え。厳しい!
といった感じで解脱の道とは真反対に進もうとする気持ちをなだめながら、コースで指導される瞑想法は鼻腔を流れる呼吸に集中するアナパーナ瞑想から、頭のてっぺんから爪先までの感覚を観察しながら平穏な心を保つというヴィパッサナー瞑想へと移り変わります。

行動に移せず、現実化しない妄想に囚われる。

5日目に再び寮のトイレ掃除当番表が埋まらず、二度目のバスルーム清掃を。ふたつあるトイレのひとつが掃除中に使われていて、使用時間が長かったので「あ、そっちは掃除してくれているのかも♡」と淡く期待をするも、あてが外れて腹が立ちます。「アニッチャー(諸行無常の意)アニッチャー……。あぁ、全てが “気づき” と “平穏な心” の練習。ヴィパッサナーなのだなぁ〜」とわかったような気分で掃除中に鏡を見ると、普段吹き出物などほとんどできないのに鼻の横にまでできものが!

トイレ掃除後、悶々とした気持ちを抱えながらパゴダに篭って瞑想をしますが、「1年半したらビザが切れるけれど、その後私はどうなるのだろう……」とものすごく不安な気持ちにトラップされます。そこで休憩中に森の中の湖のほとりを歩くことにしました。
自然に癒やされるうちに「先のことはわからないけど、少なくとも今はこうして自分のために時間とお金をかけられる。ありがたい。私は幸せだ」と感謝の心が芽生え、少し心が前向きに。湖面に映る木々を眺めているうちに、心の淀みが外の世界に反映されているのだというゴエンカ師の教えが心に染み入ります。こういう経緯を経て毎度この合宿で思う定番ごとなのですが「精神衛生上、緑に囲まれた場所に引っ越したほうが良いのではないか(家賃が格安ならなおのこと良し)」と未だ行動に移せず、現実化しない妄想を抱きながら1日を終了。

ユーモアは全てを制す?

今回の合宿から坐禅中に体が痛まなくなったことはこれ幸いなのですが、代わりに思考の大暴れが顕著に。6日目のQ&Aの時間に先生に相談すると「呼吸に戻り、感覚に戻りなさい。ヴィパッサナー瞑想で感覚に集中できない場合は、アナパーナ瞑想を行って」と助言されます。
「感覚に戻るとは、再び頭のてっぺんに意識を持っていってボディスキャンを再開するということでしょうか?」とたずねると、「いいえ。注意がそれてしまった箇所からです。そうじゃないと、頭のてっぺんばかり観察することになってしまいますよ」と指導されました。「あ、それまさに私がずっとやっていたことです! あやうく頭のてっぺん観察のエキスパートになるところでした」と答えると先生にウケ、ろくすぽ瞑想も満足にできないくせになんだか満足感が。ゴエンカ師の講話もユーモアに溢れているし(残念ながら日本語訳はジョークの部分がうまく反映されていません)、人間関係とか人生とか、お互いに気持ちよく笑えたらそれでいいんじゃないかと、その夜は妙に納得しながら床につきました。

死のイメージにトラップされ、涙と鼻水まみれに。

7日目にセルで瞑想をしていたら、突然親の死のイメージがやってきて涙と鼻水まみれ、ひどく苦しい思いを。自分のなかに親や生に対する執着心と死と老いに対する強い恐怖心があることを再認識しました。そこで瞑想最終日にゴエンカ師の『The Art of Dying(アート・オヴ・ダイイング)』という仏教的な ”死“ の捉え方、ゴエンカ師のお母様や転移し続けるガンの恐怖と向き合うクイーンズ大学教授のインタビューなどがまとめられた本と、思わず日本行きの航空チケットを購入したということは言うに及ばず。「安らかな死を迎えたいと人は言いますが、そもそも平穏な生き方をしていない人に、平穏で幸せな死は迎えられませんよ」と、至極まっとうな道理がゴエンカ師の講話で語られ、はっとさせられたからです。

前回の瞑想合宿では「今なんでコレ?」と現在抱えている問題とは関係の無いような出来事が頭をハイジャックしましたが、今回はビザの件やら、将来や親のことなど。抑圧しているつもりでも、心の深い部分で感じ続けていた不安や恐れがババババーっと顕在意識に浮き上がってきたようです。

トイレ掃除当番表が埋まらず、怒りと向き合う。

頭のなかではなく、リアルに今ここで起こっている出来事に関しては、1日の終わりに近づいても10日目のトイレ掃除当番表が未だに埋まっていないのが気になります。ハイ、またトイレ問題です(笑)。そんな思いを抱えつつ瞑想中に体の感覚をなぞっているうちに、今までずっと封印していた感情が現れてきたようで、教授やプログラム・ディレクター、その他さまざまな出来事に対する強い怒りを感じて、我ながら驚きました。
なぜなら、その出来事はすべて自分の実力不足の結果で、「私はこの満足がいかない現実に見合う人間だ」と諦め、受け容れているものだとばかり思っていたからです。すごく怒っていたんですね、実は。FUCK YOU! と思っている自分を心の狭い勘違い人間だと否定せずに、初めていったん静かに「わかった、わかった」と認めてみました。

またつねづね瞑想中に集中が切れるとやってしまう私の定番妄想は「あのときああだったら、今こうなっていて……」という意味の無い夢物語を頭のなかで繰り返すことなのですが、7日間それをやり続けた結果、「いい加減、もういいわ!」と。死の恐怖と向き合ったときと同じく「変えられない過去を書き換えようと妄想にふけるんじゃなくて、今できることを精一杯やろう」と思考が切り替わったのです。瞑想後の休憩中にホールを出ると、自分の視覚が普段より鋭くなっていることに気が付きます。陽光を強く感じて、草木に降りた霜に光が反射してキラキラしてとても美しい。「生かさせてもらっている」。そんなふうに感謝の気持ちが胸の奥から湧き上がってきました。

瞑想で無感情になるわけではない。

8日目の午後、先生に常日頃疑問に思っていたことを質問します。「この瞑想では執着や嫌悪感を手放すことが目的ですが、プラクティスを続けていくにつれて無感情になってしまいませんか? ブラック企業や軍隊でも瞑想が使われていると聞きましたので」と。すると「いいえ。この瞑想ではあなたの感覚と感情に気づき、外側の状況をより正確に把握したうえでその感情を外に表現するのかしないのかという選択をあなたに与えてくれるもの。感情を抑圧するのではなく、自動操縦的に反応するのでもない形で、です。それが自由です」と言われました。

夜の講話では、改めてゴエンカ師はすごい人だなぁと痛感しました。前回は彼の知識や理解の深さ、つまり瞑想で体内感覚を鋭くすることで信念体系がなぜ切り替わるのかを明快かつ論理的に説明する点で尊敬したのですが。今回はこのテクニックを太っ腹にも受講料も宿泊料も請求せず、あくまでも寄付ベースで提供し、全ての人にわかりやすく教えることに人生を捧げたという事実にただただ圧倒されました。
「この瞑想はただ感覚を鋭くするためのゲームじゃない」とゴエンカ師は強調しますが、講話の時間で終始語られる道徳・倫理面の学び(慈悲の心と滅私奉公の実践)がこのヴィパッサナー瞑想のコアとなる実践なのでしょう。つまりそれを抜きにしてヴィパッサナー瞑想は無い、ということです。その夜の最後の瞑想では “気づき” と “平穏な心” を念頭に行った結果、とても深まって坐禅をとくのに少し時間がかかりました。8日目の就寝前は、前回と同様、頭が空っぽになって気持ちがいい。

行動や結果の背後にある、意図が重要。

9日目は春のような陽気になり、フリースやポンチョを脱いでTシャツ姿になっている参加者も。午後になっても10日目のトイレ掃除当番表が埋まらず、表に名前を書き込みます。ゴエンカ師は、何かをするときには行動と結果よりも、その意図が大切だと説きます。「仕方が無いな」と諦めに近い気持ちで、掃除をするのは良い意図では無いのでは?と思ったけど仕方が無い。

9日目に聖なる沈黙が解かれたので、10日目に参加者といろいろ話をしました。その際にキエフ出身LA在住の旅好きの女性との会話中に「私は毎日旅をしているような気分なんです」と言うと「もうアメリカに来て3年も経つのに?」とたずねられました。「……はい。そして不思議なことに日本に帰っても、旅人のようなエトランジェ気分なんです」と打ち明けると、「わかるわ、その感覚……」と言われ、ふたりでしばし沈黙します。そして「でもそれは、すべての国が自分の国だと感じているから、って私は思っているの。あなたは今、アメリカと日本の両方があなたの国になりつつあるんじゃないかしら」と言われます。「その発想の転換は、とても素敵ですね」と言うと「どこの文化にもすんなり溶け込めることもあるし、チグハグな気分にさせられることもある。どこにいても同じ。その思いに囚われすぎないことよ」。自分の心の方位磁針を持つということか。「それこそヴィパッサナーですね」と言って、二人で笑顔になりました。

有り金全て寄付するも、稼いでいない自分が恥ずかしい。

11日目最後のメッタ(愛と慈悲)瞑想を終えて、寄付をしにいきます。さすがカード社会アメリカという感じで、現金だけではなくカードやチェックでも受け付けてくれます。前回もできる以上の精一杯をしたけれど、少額で恥ずかしい思いをしたので、今回は今のところ入る見込みの原稿料を全て寄付しました。それでも年収1000万円以下は低所得者になるという北カリフォルニア地区の人たちに比べたら、ずいぶんと少額。iPad上にサインしながら、センターで奉仕をする人も「少ないな」と思っているだろうと被害妄想と劣等感にトラップされそうになります。気を取り直して、行動の意図が大切だというゴエンカ師の教えを踏まえ、この寄付をしているのは「ケチだと思われるのが恥ずかしい」から「次の人にこの素晴らしい体験を贈りたい」という願いに切り替えるように意識を転換します。そのあとは、有志でキッチンの掃除を行いました。おいしいご飯を無償でずっと作ってくれてありがとう、という気持ちを込めて。

わたし、40歳ですけど?

帰りもピィーがライドをしてくれ、行きと同様に40歳を目前とした不安を延々と語られます。フィアンセと結婚をして子どもを授かりたいが、旅好きの彼は落ち着くだろうか。うんうんと聞いていると「あなたはまだずいぶんと若いからこの気持ちはわからないだろうけど。出産にはタイムリミットがあるのよ。私には時間が無い!」と言われて、ここでどう答えるのが正解なんだろう? と悩みます。
「自分の年齢を言ったほうが彼女の心が軽くなるのか」、それとも「このまま相槌を打ちながら話を聞いてあげるほうが、彼女がラクになれるのか」。エムのときと同じテストがやってきました。結論が出せないまま話を聞いていると「で、あなたはいくつなの?」とストレートに聞かれたので、「私はあなたよりも年上で、40歳です」と答えると「オゥ……」と言われて、その後年齢に関する彼女のボヤキはピタッと止まります。
すると話題は変わって、大学を中退し歯科衛生士の職についたが給料がそんなによくないために高収入の彼に経済的に依存している。学校に戻ろうかと考えているけれど、なかなか現実的には難しいという内容になりました。そこで「大丈夫よ、ピィー。私今のところ全収入は500ドル程度なんだけど、それもさっき全部寄付してきたの」と答えると、再び「オゥ……」と言われ(笑)、経済面に関するボヤキもストップ。私自身もそうですが、悩みというものの圧倒的多数は、相対的なものなんだなと痛感しました。

次は奉仕側として参加。

もちろんそうわかったからといって悩みが無くなるわけではありませんし、変えられない現実というものはあります。でも、怒りや不快感を感じたときにそれを抑圧して封印する形ではなく、本音に気づいて、先生が言うように “それに反応するのかしないのか” という手綱を、頭のなかで思うだけではなく、実生活に落とし込む形で少し持てるようになってきたかな……?と感じます。気のせいかもしれないけれど。
とはいえまだ収入面における劣等感は拭いきれませんでしたし、あとはトイレ問題ですね(笑)。つまり、未だに私にとっての ”与えること” と ”受け取ること” の最適なバランスがよくわかりません。そこで今度は12日間奉仕し続けるというヴィパッサナー瞑想ボランティアの申し込みをしてみました。与え続けてみた先には、いったい何があるというのでしょう? トイレ掃除もいっぱいすることになるでしょうね(笑)。またそれは終えた後、4月ごろにでもレポートします。

さて瞑想を終えて帰宅すると、バークレーにはもう春がやってきました。そして日本の心友からこんなギフトも! “TODAYISSPECIAL”、そんな気持ちで毎日を過ごせたらいいですね。
長い文章を最後まで読んでくださって、どうもありがとう。
SEE YOU!

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