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美しさの本質は「無理がない」ということ

  • 2018.1.3
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「美しい恋愛」という、なにやらむずかしそうなガイネンを考えたことのない人であっても、女子として(女性として)いつまでも美しくありたいと思っている人は大勢いるでしょう。


今回は、美しさの本質について、一緒に考えてみたいと思います。
なお、ルックスの美醜をここで問題にしても、おそらくみなさんじぶんの顔のことを主観的に気にしだして、話の収集がつかなくなる恐れがあるので、あるいはルックスにおける美をここで定義してしまったら、そこから漏れる人からクレームが来るかもしれないので(!)、ここでは主に内面の美しさについて見ていきたいと思います。

■「うつくしい」に「徳」という漢字を当てはめていた?

むかしは「うつくしい」という言葉に「徳」という字を当てていたそうです。「徳」という字を当てるのも、ひらがなに漢字を当てるのも、ともに中国から来たガイネンらしいいのですが、ようするに昔の人は、内面がうつくしいということを(人徳があるとか、そういうことを)「うつくしい」と呼んでいたのだそうです。


今の時代でも、徳のある人は内面がきれい、つまり美しいと見るのが一般的でしょうから、今回はここから話を始めたいと思います。
さて徳がある人とはどういう人のことか?グーグル先生に聞くと、いくつも教えてくれます。


たとえば「誰に対してもやさしく穏やかに接する」人のことを、徳のある人と定義している人がいます。あるいは「自己犠牲の精神があり、人のことを優先できる」人のことだそうです。


これは「そうとも言える」というかんじで、100%自己犠牲の精神にあふれている人って、いるんですかね?「一緒にいると安心していられる人」「精神的に頼れる人」というのは、さもありなんというかんじがしますよね。

■無理をしていない人、というのはいかがでしょう

無理をしていない人、というのはいかがでしょう。徳がある人は無理をしていない。つまりたとえば無理をしてまで相手になにかをしてあげようとしない人。無理をしてまでなにかをやると、相手はそれを負担に感じますよね?


だから得がある人は、じぶんができる範囲で、他者になにかをしてあげる人のこと、という考え方。


あるいはしたくないことを無理をしてまでやらない人。仕事が楽しくないけど、ほかに適職が見当たらないから、とりあえず毎朝無理をして会社に行く人って、どこかしら精神的余裕がないので、ときに他人にきつく当たってしまうときもあるのでは?


あるいは愚痴をこぼすとか、社内で妙なマウンティングに注力し、周囲から鼻持ちならないと思われていたり・・・・・・。

■「考える」とは?

徳とか美というものは、主観的要素が非常に強いものですが、ときに「今じぶんは無理をしていないか」と、意識してみると、「今じぶんがやっていることは美しいのか、美しくないのか」見えてくるように思います。


どうすればわたしはもっと美しくなれるのだろうと日夜考えている人も、「今じぶんは無理をしていないか」と、意識してみるといいように思います。「考える」って、なにをすることなのか、よくわからないですよね?もちろん考えるということをすればいいわけですが、考えるってなに?


考えるって「思うこと」だと、かの有名な哲学者であるデカルトさんは「思った」そうです。「じぶんは今、美について考えているなあ」と「思うこと」、すなわち意識することが、美について考えることだと、彼は言います。


思うこと(意識的に思うこと、あるいは意識すること)って、誰でもできますよね。じぶんの美について意識する、つまりじぶんを客観的に見る目を持つことが美しくなるためにやる最初のことではないでしょうか。


ひとりなにかを思っている(考えている)人の居住まいは美しいものです。それはおそらく、やっていることに無理がないからではないでしょうか。(ひとみしょう/文筆家)


(ハウコレ編集部)

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