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猫だけじゃない、波乱万丈の画家人生70年を追う「熊谷守一 生きるよろこび」展

  • 2017.12.24
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猫だけじゃない、波乱万丈の画家人生70年を追う「熊谷守一 生きるよろこび」展

 

皆さんは、熊谷守一をご存知ですか?名前を聞いたことがなくても、展覧会のポスターの猫の絵に見覚えがある方が多いかも知れません。なんと97歳まで生きた画家で、今年は没後40年目の記念年。
竹橋の東京国立近代美術館でスタートした『没後40周年 熊谷守一 生きるよろこび』は、全国の美術館から集まった合計200点を超える作品と共に、画業を振り返る大型回顧展です。

 

 

 

 

本展を担当した東京国立近代美術館・企画課長の蔵屋美香さんは「今も根強い人気を誇る熊谷守一だが、独特の白ひげの風貌や、エッセイに書いている内容から『画壇の仙人』というイメージで書かれることが多かった。その世間のイメージに対し、実際の絵を見た時にはズレを感じた。研究熱心で、様々な工夫をして制作していた画家を作品から読み解く展覧会を企画したかった」と話しました。

蔵屋さんは、熊谷を理解するポイントとして、1、絵が本当はうまい 2、理系人間である 3(世間が思うより)苦労人であるという3点を上げていました。
また、晩年まで絵を描き続けた熊谷。高齢でこんな作品を!?と驚くこともしばしばですが、西暦に20を足すと制作年齢が簡単に計算できるそうです。

 

 

記者発表にて見所を解説する蔵屋美香さん

 

では、時代ごとに分かれた3つの構成に沿って、展覧会の魅力をお伝えしましょう。

 

 

1.闇の守一:1900‐10年代

熊谷守一は、1880(明治13)年に岐阜県恵那郡付知村に生まれます。1897(明治30)年に上京後、20歳の時に東京美術学校西洋画科撰科に入学。黒田清輝や、藤島武二らの指導を受けます。青木繁や和田三造など日本洋画界の重要人物たちと同級生でした。

 

画業の初期に熱中したのは、「暗闇でのものの見え方」という独自の研究でした。29歳時の自画像《蝋燭(ローソク)》では、真っ暗な闇にたたずみ蝋燭を手して微笑むような表情の自画像を描いています。自宅で昼間から雨戸を閉めて室内を暗くし、灯りをつけてキャンバスに向かってじっくりと描いていた逸話が残っています。この作品では第3 回文展で褒状を受けています。

 

 

《蝋燭(ローソク)》1909年 岐阜県美術館

 

若い熊谷にショッキングな出来事が起こります。学校近くの踏切で、女性の飛び込み自殺に遭遇してしまうのです。この経験をベースに《轢死》を描き、文部省美術展覧会に出品しようとしますが、不謹慎な画題から拒否され、制作の2年後に別の場所で発表しました。暗い画面に不穏さが漂う作品です。

 

また、22歳で父を、30歳で母を亡くします。二人の遺影として描いた作品も展示されています。(《父の像》《母の像》)地元の名士だった父を亡くしてからは、一家は困窮しました。その後、数年間は帰郷し、材木運搬などの仕事をするなど、絵だけで食べることがままならない日々が続きました。

 

再度上京し、二科会を中心に発表を続ける中で熊谷は42歳で結婚。相手は和歌山県の地主の娘で絵を学んでいた24歳の大江秀子。《某夫人像》は結婚する前に描いた秀子の肖像画です。太いタッチで、輪郭線を使わず、縦線の連続で描いています。秀子は何か言いたげな表情で、今にも動き出しそうです。この作品でも光と影の鋭い観察が見られます。

 

 

《某婦人像》1918年 豊島区立熊谷守一美術館


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.守一を探す守一:1920-50年代

40代の熊谷は、美術学校時代に学んだ裸体画に再び傾倒します。ボリューム感のある裸体画にとって、陰影は欠くことの出来ない要素で、絵の具を塗り重ねながらも色の使い分けによって光と影の存在を感じさせています。

 

《人物》では裸婦の背中や太もも、ふくらはぎにかけて赤い線が目立ちます。白い肌の部分も含め、筆の動きに任せて描いたような躍動感のある筆致です。

 

 

《人物》1927年 豊島区立熊谷守一美術館

 

 

この頃になると、人物画にも風景画にも、熊谷作品の特徴である「赤い輪郭線」が登場します。山の稜線は太く、はっきりとした線で縁取られています。一方、裸婦でみたような面に複雑に色を塗り重ねる表現ではなくなり、輪郭線の中は陰影のない、単一色で塗られています。

 

熊谷は、こんな言葉を残しています。

 

「景色を見てゐるでせう。そうすると、それが裸体になって見えるのです。つまり景色を見てゐて、裸体が描けるんです。同じやうにまた裸体を見てゐて、景色が描けるのです。」

熊谷守一 「私の生ひ立ちと絵の話」『心』1955年6月より

 

独特な表現は裸婦と景色との入念な観察、反復の結果、作り上げられたのです。

 

 

右 《湯檜曾の朝》1940年 愛知県美術館 木村定三コレクション

左 《日蔭澤》1952年 愛知県美術館 木村定三コレクション

 

 

徐々に画風を確立する中で、家族との死別を相次いで経験します。1928(昭和3)年に次男・陽を、1932(昭和7)年に三女・茜を、1947(昭和22)年に長女・萬を亡くしました。5人産まれた子どものうち、3人が自分より先に亡くなるとは父親としての悲しみは計り知れません。

 

病床の萬をデッサンし、彼女の没後にそれを元にしてパステル画《熊谷萬像》を描いています。今までの展覧会ではあまり触れられることのなかった熊谷の悲劇的な真実の軌跡です。

 

《ヤキバノカエリ》は萬の火葬後に、遺骨を抱える黄と榧が歩く姿を描いています。抑えられた色調、枯れ果てたような木々に、熊谷の髭と遺骨の箱だけが白く浮かび上がっています。そこはかとない侘しさを感じる一枚です。

 

 

《ヤキバノカエリ》1956年 岐阜県美術館

 

この作品は、アンドレ・ドランの《ル・ペックを流れるセーヌ川》と構図や人物のポーズの類似が指摘されています。

本展では熊谷の他の作品においても、アンリ・マティスやポール・ゴーギャンなど西洋の画家からの影響が指摘されており、研究に新たな一石を投じています。

 

この時代から熊谷は同じ図柄を繰り返し描いています。スケッチを描き、それをトレーシングペーパーに写します。トレーシングペーパーと、油彩用のキャンバスとの間にカーボン紙を挟み、線を転写するのが代表的な手順でした。

 

御嶽山を描いた三枚は同じ構図で、時刻や天候だけ異なっている様子です。雲に光が当たっているところ、朝もしくは夕暮れ、青空に白い雲。まるで、クロード・モネが描いたルーアン大聖堂のシリーズを彷彿とさせます。熊谷はこの実験的な作品で、同じ画面でも色彩によって印象が大きく変わることを楽しんでいたのでしょうか。

 

 

左から《御嶽》1953年 公益財団法人 熊谷守一つけち記念館・《木曽御嶽》1953年 岐阜県美術館寄託・《御嶽》1954年岐阜県美術館

 

 

3.守一になった守一:1950‐70年代

 

晩年、今日知られている「明るい色調」と「赤い輪郭線」の熊谷の特徴的な作風が完成します。70代でようやく、世に知られることとなり、画家として成功を収めました。

 

しかし、76歳の時に身体を壊して以降は、遠くに風景を描きに行くことが難しくなり、植物、昆虫、猫を主題にすることが多くなっていきます。自宅には自力で掘った池があり、そこに泳ぐ魚の姿を観察するなど、自然と触れ合うことを日課としていたようです。

 

 

 

 

花や昆虫を描いた作品右から《向日葵》1957年 静岡近代美術館 大村 明、《山茶花》1958年 公益財団法人 熊谷守一つけち記念館


猫好きの方は必見の猫シリーズ。本展ポスターにも選ばれた《猫》は、制作する7年前のスケッチが元になっています。ぐっすり眠る猫の表情、柔らかそうな体がなんとも可愛らしいです。

 

 

《猫》1965年 愛知県美術館 木村定三コレクション

 

 

家にはいつも野良猫か飼い猫かわからない猫がいて、熊谷は猫たちが暮らしやすいように細かに気を配っていたとか。

 

猫たちは輪郭線と色面だけで描かれているのに、しっかり立体感を感じられます。究極に単純化した画面から立ち上ってくるリアリティが、長年愛される一因なのかもしれません。

 

猫シリーズ

 

 

本展では、書や水墨画も展示されています。いずれも名古屋のコレクター、木村定三氏のコレクションで、彼の求めに応じて熊谷が即興で書いた書もあります。のびやかな筆致、どこかほのぼのとした平仮名の書も魅力的です。

 

 

書 全て愛知県美術館 木村定三コレクション

 

 

《雨滴》は、81歳の時の作品です。自宅の庭で、雨粒が地面に跳ねる様子を捉えた作品です。雨を線で描く作品はよくありますが、スローモーションカメラのように、水滴が跳ね返る一瞬を絵画にするという発想が面白いです。しばらく眺めていると、なんと雨粒が動くように見えてくるそうです。

 

この絵画に使われている色のほとんどが明るさが抑えられた、彩度の低い色であり、唯一明度の高い雨粒の白だけが浮かび上って見えるという人間の目の錯覚を利用しているという訳です。

 

熊谷の残した雑記帳には、色彩や光学に関する専門的なメモが残っていました。科学的に裏付けられた知識を応用して、絵画を制作した、まさに「理系の画家」。動いて見えるかどうか、ゆっくり眺めていただきたい一枚です。

 

 

《雨滴》1961年 愛知県立美術館 木村定三コレクション

 

 

《朝の日輪》は朝の太陽を描いていますが、白を中心に同心円状に重ねられた青、黄色、赤紫が特徴的です。30代の頃の日記に「朝の太陽を見つめていた時、そこに紫と黄色が見え、続いて暗さを感じた」という内容を日記に綴っています。その体験を長年温めて作品に制作したのでしょうか。

類型化された太陽の表現ではなく、光源を見た時に目に残る色を忠実に画面に表現しようという試みが見られます。こちらのモチーフも、色を変えて繰り返し描いています。続く3作のうち2作は90歳の時の作品。晩年まで、同じモチーフに飽くことなく、挑戦を続けていたのですね。

 

 

右から《朝の日輪》1955年 愛知県美術館 木村定三コレクション・《朝のはぢまり》1969年 岐阜県美術館・《夕映》1970年 岐阜県美術館・《夕暮れ》1970年 豊島区立熊谷守一美術館

 

 

他にも、様々な作品が展示されています。花や昆虫、身近なものも熊谷流に描いています。

 

グッズもとってもキュートなので、ミュージアムショップもお見逃しなく!

 

 

 

 

音声ガイドは、熊谷守一がモデルとなった、映画『モリのいる場所』(2018年5月公開予定)で熊谷を演じる山﨑努さん、妻の秀子を演じる樹木希林さんのお二人が担当しています。情感溢れるナレーションで、作品の世界に案内してくれますよ。

 

いかがでしたでしょうか。ポップで明るいだけではない、奥深い熊谷守一の世界。

初期の暗闇の表現も、晩年の目に飛び込んでくるような色合いも、どちらも写真では、なかなか味わえません。

ぜひ会場で実際にご自身の目で感じていただきたいです。作品との良い出会いがありますように!

 

 

画像提供:東京国立近代美術館

写真・文:Ryoco Foujii

 

 

【展覧会概要】

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび

 

会期:2017年12月1日〜2018年3月21日

会場:東京国立近代美術館 1F 企画展ギャラリー

住所:東京都千代田区北の丸公園3-1

開館時間:10:00〜17:00(金土〜20:00)※入館は閉館30分前まで

休館日:月(ただし1月8日、2月12日は開館)、年末年始(12月28日〜2018年1月1日)、1月9日、2月13日

料金:一般 1400円 / 大学・専門学校生 900円 / 高校生 400円
没後40年 熊谷守一 生きるよろこび
本展ホームページ:http://kumagai2017.exhn.jp/

美術館ホームページ:http://www.momat.go.jp

 

 

【東京国立近代美術館で開催された過去の記事はこちら!】

描き続けることは生き抜くこと ‐色彩の反復からみえた、山田正亮の終わらない世界

サクッと解説!「トーマス・ルフ展」

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