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Happy Birthday イヴ・サンローラン! 女性のスタイルに革命をもたらした“モードの帝王”の名言集。

  • 2017.8.1
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Photo: REUTER/AFLO
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8月1日はイヴ・サンローランの誕生日だ。サファリルックやスモーキングジャケット、ポップアートを融合したモンドリアンドレスなど、彼が生み出したアイコニックなピースは決して色褪せない。最愛のパートナーとの出会いから、没後開催されたアート品のオークションまで、“モードの帝王”の軌跡を写真と名言でプレイバック!

“ファッションは廃れる。だがスタイルは永遠だ” 

男性のものだったタキシードを女性用にしつらえたスモーキング、サファリルック、パンタロン、ショートトレンチコートなど、イヴ・サンローランが発明したスタイルは数知れず。「できるなら私がブルージーンズを発明したかった」と語るほど、移り変わりの早いファッションではなく、永続するスタイルを重要視していた。

彼の人生を変えたピエール・ベルジェ。出会いは“雷に打たれたように”

イヴとピエール・ベルジェは、ディオールでの初コレクションを発表した年に夕食会で出会い、恋に落ち、数ヶ月後には一緒に暮らすほど親密に。「彼とは、すべてが早かった」とベルジェは恋の始まりを振り返る。この言葉をきっかけに、ベルジェは芸術後援者として公私にわたってイヴを支え、ふたりのパートナーシップは、イヴがその生涯を終えるまで続いた。

“やるべきことはひとつ。君と一緒にメゾンを立ちあげよう”

兵役時の入院がきっかけでディオールを解雇されたイヴは、雑誌の発行人であったベルジェにこう語った。「彼自身のメゾンをもたせたかった。天職を続けるために。」ベルジェもまた、ファッション業界の経験はなかったが迷いはなかったという。すぐに行動を開始し、資金面での困難を乗り越えて16区の静かな通りにオートクチュールメゾンがオープン。

“無感動な億万長者のために陰気な感じのドレスを作ることには、もううんざりしていた”

「歩く芸術」という賛辞とともにイヴの名を世界中に広めたモンドリアン・ルック。現代アートをファッションに取り入れた初の試みは、今でも斬新で迫力に満ちている。1965年の誕生日に、母からオランダ人画家、ピエト=モンドリアンに関する本を贈られた幸運な偶然が、彼のインスピレーションに火をつけた。

ビビッドな三原色と直線で分割された黒のライン、そして余計な装飾を排除したシンプルなフォルムで「明日のドレス」と称されたモンドリアン・ルックの成功は、彼の判断の確かさ、自分自身への信頼を生むことに。この直後、オートクチュールのブティックが並ぶ右岸とは対照的な左岸(リヴ・ゴーシュ)に、プレタポルテのブティックを構えた。

“エレガンスとスノッブを混同させてはいけない”

ランウェイに初めて有色人種を登場させたのは、イブということをご存知だろうか? 1988年に黒人モデルとして初めて仏版『VOGUE』の表紙を飾ったナオミ・キャンベルは、その背景にイヴの働きかけがあったことを語っている。

また彼は、アメリカで起こったハプニングや60年代のカウンター・カルチャー、サブカルチャーなどストリートの精神も愛し、1966年にポップアートコレクションを発表。イヴに心から賛美を抱いたアンディ・ウォーホルは「僕たちは20世紀後半の偉大なアーティストだ」と語った。

“人は生きるため、とらえがたい「美」を必要とする”

彼が美術品の優れたコレクターでもあったのは周知の事実。集めた美術品は絵画や彫刻、歴史的な調度品など多岐にわたり、「その審美眼や才能は天性のものだった」とベルジェは語る。私生活では、カール・ラガーフェルドの愛人でもあったジャック・ドゥ・バッシェールの妖艶な美しさに魅せられた時代もある。新たな美を追い求めてもがき苦しみ、精神安定剤や薬物に頼り、神経症に陥り、更生施設に入ったこともあった。それでもイヴは混乱のなか類稀なる創造力で、自身でも「もっとも美しい」と語った76年のロシアコレクションを世界的に成功させている。

“人生でもっとも大切な出会いは自分自身と出会うこと”

これは、2002年の引退会見での言葉だ。「シャネルは女性に自由を与え、イヴは女性に力を与えた」とベルジェが語るように、シャネルによってコルセットの拘束から解放された女性に、彼はパンツルックを街着として着る選択肢を与えた。しかし同時に「自由と平等はキュロットをはいたから手に入れられるものではなく、精神の問題なのだ」との見解も。

「モードの帝王」は常に「誰」がその服を着るのか、を重要視した。「女性は歳をとり、個性が顔に出るようになってこそ、本当に美しい」と信じた彼の人生は、芸術と稀有な才能を発揮した創造のなかで自分自身と出会う喜びと苦悩に満ちていた。

参照元:VOGUE JAPAN

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