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悲しくないのに「頬を伝う涙」…|12星座連載小説#122~水瓶座11話~

  • 2017.7.20
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悲しくないのに「頬を伝う涙」…|12星座連載小説#122~水瓶座11話~

12人の女性たちの生き方を、12星座になぞらえて紹介していくショートクロスストーリー『12星座 女たちの人生』。 キャリア、恋愛、不倫、育児……。男性とはまた異なる、色とりどりの生活の中で彼女たちは自己実現を果たしていく。 この物語を読み進めていく中で、自身の星座に与えられた“宿命”のようなものを感じられるのではないでしょうか。
文・脇田尚揮

【12星座 女たちの人生】第122話 ~水瓶座-11~

『チクショウ……!』
声にならない声が喉から漏れる。狭いトイレの中で反響し、虚しくこだまする。
しばらくトイレの中から動くことができなかった。悲しいからじゃない、悔しいからだ。
私の作品がつまらないっていうんなら、仕方ない。私の才能がないんだろう。でも、社長の好み……しかも女の好みってんのは、許せない。
なにが「キュート・キッチュ」だよ……。こんな会社こっちから願い下げだ!
呼吸を整えて、トイレから出る。
エレベーターに乗り、一度自分のデスクへ向かう。そこには、“無断退社の件について”と書かれた紙が乗っかっていた。
……本当に“素敵な会社”だよ、ここは! 無意味な紙っきれをグシャグシャに丸めて、その勢いで退職届を殴り書く。
書きながら思う。
短いようで長く、長いようで短かった。“愛社精神”なんてものは、これっぽっちもないけど、私は私なりにできることをやってきた。別に会社から守ってもらおうなんて思ってないけど、こんな仕打ちはあんまりなんじゃない……!?
いろんな思い出が頭の中をめぐる。社内では、“一匹狼”で通ってた私だけど、チームプロジェクトが成功したときは本当に嬉しかったし、友達は少ないけど、飲み会には顔を出していた。もうこのデスクからの景色が見られなくなるかと思うと、少し……寂しい。
なんてね、感傷にひたるなんて、私には似合わない、か……。書き終えた退職届を封筒に入れ、そのまま階下へ。
そこで思い出した。営業の三橋のことだ。
『あいつ……大丈夫かな』
今回の件で、一番苦しい状況に立たされているのは三橋だ。届けを出す前に、営業課へ寄って顔見とかなくちゃな。
違う部署に行くのは、どうも慣れないもんだけどね……。営業課入口の内線にコールする。
「はい、受付です」
『あ、どうも。コンテンツ部の中野です。三橋さんに用事があるんですが……』
「了解いたしました。少々お待ち下さい」
何だってこう、おカタいのかねぇ、受付ってのは……。
数分後、ドアが開いて三橋が顔を覗かせる。
……かなり憔悴している。
『おい、三橋……大丈夫か?』
「せ、先輩……」
それから三橋は、この二日、各所への謝罪メールや電話対応に追われていることを語った。幸いにも、テレビ局の竹内さんは、CM製作に着手してはおらず、お金の動きはなかったとのこと。ただ、ウチとの信頼関係は地に落ちただろう。
三橋にコーヒーを一杯奢ってから、退職する旨を伝えた。

「そうですか……悔しかったでしょうね。先輩、すごく入れ込んでたから……ただ、私としては先輩がいなくなると寂しくなります……」
『で……お前はどうするのよ?』
「私、ですか……?そうですね……私は残ります。どういう結果であれ、私が任された仕事ですから……。続けていれば、また良いこともあると思いますし……」
『そうか、頑張れよ!』
「退職後、先輩はどうされるんですか?」
『あ、あぁ、親しい奴とネットビジネスでもしようかなって』
「そうですか、上手くいくことを願ってます。退職後も、仲良くして下さいね」
『もちろんだよ!』
三橋の肩をポンと叩き、振り返らずにバイバイと手を振る。その足で、退職届を提出しに行くためエレベーターに乗る。
会社を辞める者、会社に残り続ける者。思惑は様々だな。
だけど私は、辞めることを選んだ。これからは自分の責任で働いていかなくちゃならない。
事務課の窓口に、無言で退職届を出す。
―――待つ事、ものの数分。
あっけないほど簡単に受理された。
こんなもんか……。
19歳の時、そんなに好きでもない年上の男と“初体験”したのを覚えている。その時も「こんなもんか……」って印象だった。
『ははっ、笑える……』
廊下を歩きながら、乾いた笑いが漏れる。
でも、これで良い。これからは自分の責任で、好美と新たに仕事を初めていくんだ―――。
それから私は無味乾燥な書類や、引継ぎのためのデータ作成に取り掛かった。いつもより時間が長く感じられた。
ここの会社は、出社時間は決まっているが、退社は17時以降なら自由だ。こんなに帰りが待ち遠しいのは初めてのことだよ、まったく。
時計の短針が5時を指すと同時に、会社を出る。
タクシーに乗ろうかと一瞬思い、止めた。これからは出費も抑えていかなきゃな……今日は電車に乗って帰ろう。
5時上がりの電車は満員だ。皆、本当はこうして大変な思いをしながら通勤していたんだな……。
―――しばし意識を飛ばす。
自宅近くの駅に到着する頃には、空の色がオレンジに変わっていた。
『きれい……』

心からそう思った。この数年間、空を眺めるような余裕はなかった。
会社という組織の鎖から解放された今、見るもの全てが新鮮に感じるのはなぜだろう……? 私自身は何も変わってないってのにね……。
私の足は、自宅のマンションへと向かう。ビジネスパートナーの好美がいるあの部屋へ。
そうだ、ワインを買って帰ろう。きっと好美も喜んでくれるはず。
別に悲しくないはずなのに、涙が頬を伝っていた―――。

【今回の主役】
中野怜奈 水瓶座26歳 IT開発事業部
個性的で変わり者、我が道を行くタイプ。協調性に欠けているが、時代の先を読む“先見の明”があるため、社内での評価は高い。女子向けアプリ会社『キュートキッチュ』の新作指揮を任される。アイディアウーマンであるが、縛られることを嫌う一匹狼。後輩の三橋奈美は良い相談役。実はバイセクシュアルの性向があり、出会い系アフィリエイトで知り合った池谷好美と同棲している。

(C) fizkes / Shutterstock
(C) Juta / Shutterstock

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