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故・大田元沖縄県知事も手榴弾を…「沖縄慰霊の日」に考える沖縄戦

  • 2017.6.22
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故・大田元沖縄県知事も手榴弾を…「沖縄慰霊の日」に考える沖縄戦

意外と知らない社会的な問題について、ジャーナリストの堀潤さんが解説する「堀潤の社会のじかん」。今回のテーマは「沖縄慰霊の日」です。

6月23日は沖縄慰霊の日です。1945年のこの日、日本軍の沖縄戦の組織的戦闘が終結しました。その戦没者を追悼するため、毎年6月23日は糸満市の平和祈念公園で式典が行われ、総理大臣も参列します。
「日本は地上戦にもちこまれなくてよかった」とおっしゃる方がたまにいますが、とんでもない間違いです。1945年の3月に沖縄は米軍に攻め込まれ、民間人も巻き込まれた、地獄のような地上戦が繰り広げられました。日本人だけで約18万人が亡くなったといわれ、その数字は沖縄県民の4人に1人にあたります。艦砲射撃によって、首里城のあたりは、地形が変わるくらいの砲弾を受けました。本土では、10代の子供が戦いに駆り出されることはありませんでしたが、沖縄戦は軍人だけでは足りず、中学生や高校生、老人までもが戦闘に参加させられました。
元沖縄県知事の大田昌秀さんも少年兵として、半袖半ズボン姿で、手榴弾を2つ持たされたそうです。当時を知る人は、「日本軍が恐ろしかった」と話しています。たとえば、塹壕内で音を立てると、米軍に狙われてしまいます。そのため泣きわめく赤ちゃんをその場で殺して黙らせるなど、残忍な行為もしていたそうです。米軍に捕らわれるくらいならと、無理矢理自決を迫られた民間人もいました。
沖縄県は、もともとは琉球王国でした。明治時代に沖縄県になりますが、琉球民族は「ヤマト(日本人)」ではないと、蔑視、差別されていたんですね。戦時中、陸軍は「一億玉砕」という標語をかかげ、最後の一人になっても死ぬまで戦えと命令しました。虐げられていた沖縄の人たちは、日本人であることを証明するために、本土の人以上に、忠誠を尽くそうと戦いに参加し、命を落としたのだそうです。
現在の基地問題も、日本政府がアメリカに対して交渉するべきなのに、沖縄対日本政府(アメリカ)の捻じれた対立になっています。沖縄を本土とは別物として扱う空気が未だにあるのではないでしょうか。平和祈念資料館には、戦時中の、本土とは異なる沖縄の歴史が展示されています。ぜひ足を運んで、現実を知ってほしいと思います。
堀 潤 ジャーナリスト。NHKでアナウンサーとして活躍。2012年に市民ニュースサイト「8bitNews」を立ち上げ、その後フリーに。ツイッターは@8bit_HORIJUN
※『anan』2017年6月28日号より。写真・中島慶子 文・黒瀬朋子
(by anan編集部)

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