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祖母の突然の死が、母に残したもの【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第25話】

  • 2017.6.6
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祖母には、長女、長男、次女(私の母だ)、三女、四女、という順番の5人の子ども達がいた。みんな基本的には仲が良いものの、ことあるごとに、特に4人の姉妹は口をそろえて、「お母さんが一番好きなのは兄ちゃんよ」と言うのだった。ただ、そこには別にやっかみの感情がなさそうに見えた。

というのも、母の時代、長男というのは家の跡継ぎとして特別に可愛がられるべきものだったし、また早くに夫を亡くしていた祖母にとって、長男の存在というのは、当然ながら、夫にも匹敵する、唯一無二のたのもしい存在だったのだ。ところが深刻な問題は、長男を除く4人姉妹の中で生じる格差だった。

三女のミチコちゃんが、祖母から特別に可愛がられている、というのが、長らくミチコちゃんを除く、3人の姉妹の統一見解だった。

「ミチは小さい頃からほんとに愛嬌がよかったんよ」と母は昔からよく、隠しきれない苦々しい顔で語った。祖父がまだ生きているとき、今日は機嫌が悪いなと思えば、ミチコちゃんは砂糖をたっぷり入れたコーヒーをさっと出して、まあまあこれでも飲んで、と和ませるのだという。

私が生まれる前のことなので実際にその光景を見てきたわけではないものの、男性が恐ろしく頑固な昔ながらの九州の家で、女性が何人も一つ屋根の下に住んでいると、嫌が応にも、そういうことを誰がやるか、誰がそのポジションに収まるか、というところで、ピリピリとした空気が生じることは想像に難くない。

何しろ生活の中では自ずと、あの子はこういう子だからね、と今よりもっと無遠慮に個性が固定化されてしまっただろうし、誰か一人が自然な流れで“愛嬌よく無邪気”という愛されキャラを獲得すれば、確かに周りは面白くなかっただろう。

とはいえ、それは姉妹間のふるまいの問題で、当の祖母には、誰が一番可愛いとか、そんなつもりは全くなかったのだろうと私は思っていた。母が考え過ぎているのだろう、と。

ところが、この問題は思いのほか根深いと知らされたのは10年ほど前、祖母が、庭の畑で毒蛇に噛まれて生死をさまよったときだった。

その日、祖母の家にはミチコちゃん一家が遠方から帰省していて、祖母は、採れたての畑の野菜を食べさせてあげようと、視界の悪い夕どきの畑に出た。そこで蛇に噛まれ、直後にミチコちゃんと、祖母の家の近所に住む母とが病院に連れて行った。数日後、血清を打って幸いにも一命をとりとめた祖母は、母にこう言ったのだという。

「やっぱり、ミチコちゃんがいたから命が助かった」

自分が祖母の家の一番近くに住んでいて、日頃から一番近くで祖母の面倒を見ているという自負もあった母は、何気ない祖母の一言に相当なショックを受けていた。子どもの頃から溜め込んでいた煮え切らない思いが溢れ出し、その後しばらくは、見るからに落ち込んでいた。子どもが大人になって、親と子の、守る人、守られる人の立場がいつしかすっかり入れ替わったように見えても、それでもやっぱり子どもは、親から愛されたい。いつまでもそれは変わらないのだと、思い知らされた。

そんな祖母が先日、突然亡くなった。病気がわかってから、たった2ヶ月のことだった。最後は、4人姉妹、全員で看取ったという。

訃報を受けた直後は、祖母を失った悲しみよりも先に、母のことが気になった。いつもはノーテンキで子どものような母の顔を唯一曇らせる、根深い愛情問題。祖母はわだかまりを、わだかまりのまま残していってしまったのだろうか。

……それも仕方がない、と思った。生身の人間の人生は、小説や映画のように美しく着地したりしない。母の問題は母の問題として解決していくしかない、そんな風に思った。

ところが、そうではなかったのだ。

お葬式を終えた日の夜。最後を看取った日から、通夜、葬儀と休みなしでこなし、疲れ切っていたであろう母は、それでも眠れないというので、私たちは居間で、祖母の遺影を前にお酒を飲んでいた。そんなとき、おもむろにこんなことを言ったのだ。

「最後はね、おばあちゃんは、私からしか薬を飲まなかったんよ」

祖母の命が長くもたないことを知らされてから、4人の姉妹は介護のために、代わる代わる祖母の家に泊まり込んでいた。日増しに体が弱り、目に見えて最後が近づくにつれ、祖母は、ほかの誰が薬を飲ませようとしてもそれを拒み、頑として母を待ったのだという。

祖母の家から一番近くに住み、30年近く祖母の世話を担ってきた母がそれだけの信頼を得ることは、他の姉妹にも当然のこととして受け止められたようだった。祖母が息を引き取った後は、姉妹全員で、ああでもない、こうでもないと言いながら祖母の服を着替えさせ、綺麗にお化粧を施し、棺に納めたのだという。

まるで毒が抜けたように優しい顔で「本当に楽しい時間だったんよ」と、そのときのことを語る母の目には涙が滲んでいた。絡まった糸がこんなにも見事に解けて、誰の心にもわだかまりを残さず、軽やかに迎えるエピローグ。物語でない現実の人生にも、そんなことがあるのだと震えた。

生まれ持った性格が合う、もしくは合わないということは、親子の間にだって少なからずあるだろうし、そこで生じる摩擦によって、愛の受け渡しがスムーズにいかないことだってあるのだろう。けれども一喜一憂しながら過ごす長い時間の中で、気がつけば子に命を預けるほどの特別な信頼が生まれていたり、そうやって寄せられた親からの特別な信頼に救われたり。私たちは、さまざまな局面を経て、親子としての関係性を、双方から育んでいく。

考えてみれば親子なんて、最初はみんなただの親子、それ以下でもそれ以上でもないのだ。血のつながりを超えた「あなた」と「わたし」の特別な絆は、それぞれの過ごしてきた日々の後ろに、足跡のように残っていくものなのだろう。

イラスト:片岡泉
(紫原明子)

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