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4月20日はグレース・コディントンのBirthday。クリエイティブを貫く彼女が語る、心に響く名言集。

  • 2017.4.20
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1967年、モデル時代のグレース。 Photo: Getty Images
【さらに写真を見る】4月20日はグレース・コディントンのBirthday。クリエイティブを貫く彼女が語る、心に響く名言集。
4月20日はグレース・コディントンの誕生日。常にクリエイティブであり続ける彼女が御年76歳と聞いたら、誰もが驚くはず。2016年にUS版『VOGUE』を退職するまで、美しいストーリー作りに全てを注いできた。20代の人気モデル時代や盟友アナ・ウィンターとの信頼関係をはじめ、大の猫好きとしても知られる素顔に迫る!

1. 空想好きの内気な少女がVOGUEと出会った時。

“頭の中はいつもロマンティックな空想でいっぱいだった”

グレースが育ったのはイギリス・ウェールズ北西部のアングルシー島。霧が深く、雨がよく降る荒涼とした景色のなか、いつも空想にひたって過ごしていたそう。実家一族が経営するホテルの図書室で豪奢な革製の本を読んだり、娯楽室で卓球をしたり、ヨットに揺られたり。通っていた修道院付属の学校では他の子と一緒に食事が取れず、両親が近所のカフェのランチを手配していた。そんな内向的で夢見がちな少女に刺激を与えたのは、町の映画館と雑誌『VOGUE』だった。

オードリー・ヘップバーンに憧れ、『VOGUE』に載っている美しい写真を見ては空想をめぐらせ、何もかもが光り輝いて見えるその世界に没頭していった。当時『VOGUE』の付録だった型紙を使って、50s風のドレスなども自作。そして“ロンドンのモデル学校で人生を変える2週間コース”に申し込んだのが18歳のとき。その情報が掲載されていたのも『VOGUE』だった。

2. ロンドンへ上京し、売れっ子モデルの道をまっしぐら。

“突然誰もが私を指名、まさにシンデレラストーリーそのもの!”

ロンドンに来たグレースは、カフェでバイトをしながらチャンスを待つモデルの卵になった。当時の撮影は、ヘアメイクやスタイリストがいなかったので、準備はすべてモデルの仕事。化粧品からシューズ、ウィッグまで入れた大きなスーツケースを引っ張ってオーディションに通ったそう。

そして1959年、UK版『VOGUE』主催のモデルコンテストで見事優勝。雑誌の表紙を飾り、グレースを指名する撮影が相次ぐようになった。昼は人気フォトグラファーと仕事、夜はクラブへ出かけ、60sスウィンギングロンドンのまさに一員になった。

あのヴィダル・サスーンは彼女のために、かの有名なファイブポイントカットを編み出した。そうしてこれから更にキャリアが花開くと思われた頃、当時の恋人が運転する車が事故を起こし、まぶたと足に大怪我を負ってしまう。2年間休業して治療を続け、徐々に仕事に復帰し始めたグレースが、次に向かったのはパリだった。

3. 憧れのファッションエディターに転身。UK版『VOGUE』の門を叩く。

“モデルより稼ぎは少なかったけど、長年の夢を果たすことができた”

パリで5年間モデルとして活躍し、ファッションの知識と経験を深めたグレース。かねてより周囲から「エディターになったら?」と言われていたけれど、28歳になってついに転身を決意。幼い頃から憧れていたファッションの世界、UK版『VOGUE』のジュニア・ファッション・エディターになった。

やる気満々のグレースは、ルックを丸々自分でコーディネート。当時アイデアを出すのはフォトグラファーの仕事だったが自分でやりたかったのだ。似合わない服を着せてしまったり、島での撮影でスタッフ全員が船酔いしたりと、駆け出しの頃は様々な失敗もあったけれど、被写体としての経験とフォトグラファーとの絆、持ち前の想像力が大いに役立ち、エディターとして着実に成長していった。

プライベートでは、セレブ御用達のレストラン経営者マイケル・チャウと結婚。ファッションショーをはしごして撮影に出かけ、夜はレストランでオーナーの妻として顧客をもてなす。そんな超多忙な日々を送っていた。

4. お互いが引き寄せ合う。アナ・ウィンターとの信頼関係。

 “「わたしがいる限りあなたも道連れよ」、アナはそう言った”

1988年、アナ・ウィンターがUK版のエディターからUS版『VOGUE』の編集長になることが決定。そのとき、一時NYのカルバン クラインで働いていたグレースは、アナと再び一緒に仕事をしようと決意した。グレースはもともとアナのとてつもない自制心や猛烈な忙しさを切り盛りする力(「『さっさと行動に移さない?』とアナは常に言っていた」)を賞賛していたのだ。

それから26年間、グレースはファッションエディターとして、一流のスタッフとともにファッション史に残るクリエイティブな誌面を作り続け、『VOGUE』を盛り上げていった。

グレースの70歳の誕生日には、アナは彼女(過去に2度結婚をしたが離婚に至る)の現在のパートナーでヘアスタイリストのディディエ・マリージュと一緒に、デザイナーやモデル、写真家、雑誌関係者を招いて盛大なパーティーを開催。そこでアナはこうスピーチした。「私にとって、美の案内役であるあなたは雑誌の心であり魂であり、守護神であり門番です」と。

5. ファンタジックで人間味が感じられるストーリーが真骨頂。

“この仕事で一番楽しいのは、頭の中のイメージを現実のものにできたとき”

観る者を一瞬にして魅了する、圧巻のファッションページを創り続けてきたグレース。映画『ファッションが教えてくれること』で描かれていたように、その仕事量は膨大だ。

ショーを駆け回ってビジョンを膨らませ、ベストなロケ地を探し、フォトグラファーと綿密な打ち合わせをしてモデルをキャスティング。ルックをコーディネートし、地球の裏側まで衣装や小道具を運んで撮影、誌面になるまで奮闘する。メジャー映画級の大掛かりなシーンやモデルの集団ポートレート、道行く人を巻き込んだルポルタージュ風の撮影をしたことも。

「人生の物語のなかにファッションが存在する。それが良いファッションストーリー」と彼女は言う。大自然をバックにした写真や未来的な写真でも、どこかウィットに富み、おとぎ話の愛らしさや温かな人間味が感じられるビジュアルの特徴だ。彼女自身、一番印象強い撮影の1つはアニー・リーボヴィッツが撮影した「不思議の国のアリス」を表現したページだそう。

6. 実はファッションよりも猫が好き!?

“私の夢に多く出てくるのはファッション? いいえ、猫よ”

大の猫好きで知られるグレース。現在、NY・ロングアイランドの自宅で、ペルシャ猫のバートとパンプキンを飼っている。以前はシャルトリューという種類の猫など、4匹が家に居たことも。猫は彼女にとって、愛おしくて癒される仲間というだけでなく、インスピレーションも与える存在。彼女が描きためたかわいい猫のスケッチは、カール・ラガーフェルドが気に入って書籍にして出版したり、マーク・ジェイコブスがTシャツを作ったり。

さらにマーサ・スチュワートは、グレースに扮したモデルとたくさんの猫が写った『VOGUE』のファッションページを見て夢中になり、彼女のテレビ番組に彼女をゲストとして招待。観覧席には猫好きの視聴者とその飼い猫が集まり、スタジオが猫の一大集会と化したことも! 最近、グレースとパンプキンはファッショナブルな猫マガジン『Puss Puss』の表紙に登場。猫好きの輪は拡大中だ。

7. VOGUEを退職後、フリーのクリエイティブ・ディレクターに。

“私だとわかってもらいたいけど、本当は匿名でいたい、私はあまのじゃくなの”

2016年、『VOGUE』を退職し、フリーのクリエイティブ・ディレクターになったグレース。2002年にはアメリカファッション協議会功労賞、2009年にはブリティッシュ・ファッション・アワードを受賞するなど、その功績は長年讃えられてきた。

彼女が手がけたファッションページは写真集『Grace: The American Vogue Years』や『Saving Grace』にまとめられ、初の自伝も出版。VOGUE編集部を追った映画『ファッションが教えてくれたこと』は、グレースに世界中から幅広く注目が集まるきっかけとなり、今ではインスタグラムに35万人のフォロワーがいるほどに。

街を歩くと声をかけられることも多くなり、嬉しい反面とまどいもあるそう。そんな彼女は、コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)とコラボレートして香水を発売したり、ティファニー(TIFFANY & CO.)の広告キャンペーンを手がけたり。真のファッションクリエイティブ、グレースのますますの活躍に注目だ。【参考文献】
グレース – ファッションが教えてくれたこと/グレース・コディントン著(スペースシャワーネットワーク)
Grace: The American Vogue Years / Grace Coddington (Phaidon Press)
Grace Coddington http://www.gracecoddington.com/

参照元:VOGUE JAPAN

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