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ついに社会の窓のありかを見つけた子ども【新米ママ歴14年 紫原明子の家族日記 第4話】

  • 2016.12.6
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「ママってさあ、よく突然独り言を言うでしょ。それにしょっちゅう鼻をすする。ネットで調べたんだけど、それってチックっていう病気らしいよ?」

ある日突然こんなことを最近娘に言われて、ドキっとした。

確かに私は独り言が多い。そこには20年以上前から自覚がある。ふと過去の恥ずかしい失敗を思い出したり、目先に締め切りの迫った原稿が1行も書けていなかったりするとつい、「あああっ」と声をあげて、現実から気をそらそうとしてしまうのだ。

もっとライトに、「うん」とか「あっ」とかも言うけど、もっとエモーショナルに「もうだめだ~!」と言ったりもする。でもそれだとあまりに破滅的で救いがないので、最近では「いや、でも大丈夫!」とか、「でも、頑張ろう!」とか、過去の恥ずかしい場に居合わせた他人のような気持ちで、自分に励ましの声をかけるようにしている。自己救済措置。……と本人は一件落着、みたいな気持ちでいても、そばで聞いている子どもの気には当然触るだろう。黙って台所に立っていた母親が、急に一人で喋り出すのだから、子どもたちは気の毒だな、と思う。

しかし、それはチックなのだろうか。ただ単に独り言のうるさい人とは違うのだろうか。鼻をすする、についても、単なる慢性鼻炎のせいではないのか……と思っていたものの、娘に言われた翌日、私はついに気付いてしまったのだ。「はあああもうだめだ、仕事終わらない……いや、まだ頑張ろう!」という思考の延長で、言うならば気持ちを切り替えるリフレッシュのために、確かに私、すうううっと、大げさに息を吸い込んでいたのだ。

娘のみならず息子に至っては「俺はドアの外のヒールの足音と鼻をすする音で、母さんかそうじゃないかを見分けられる」とまで言うくらいだから、きっと私は無意識でも、その必要もなく何度も鼻をすすっている。

そうか、これか。これだったのかと。チックなのかどうなのかはさておきギョッとした。何しろ自分がほぼ無自覚にやってきたこと、たとえ気付いたとしても生理現象の一つだと扱ってきたことに、実は全然別の意味があったかもしれないのだ。自分のちょっとしたストレスを逃そうと、無意識の私が暗躍していたかもしれない。自分の知らない自分と、思いがけず出会ってしまったような気持ちになった。

しかし、そんなことよりもっと怖いのは、そんな私の無自覚な私に気付き、その違和感を指摘したのが娘の夢見だったということだ。おそらく彼女はあるときふと何かでチックを知って、「ママのあれはもしや」と疑問を持ったのだろう。そしてさらに深く調べ、うん、やっぱりそうだ、と思い至ったんだろう。

わが家の最年少・夢見がついに、うちの「当たり前」が、本当によそでも「当たり前」なのか、家庭と社会を照会できる能力を身につけてしまったということなのだ。

思えば、前の夫と離婚してからの3年ほど、家庭の中というのは、社会から隔絶され、私が唯一、完全に気を抜いていられる場所として機能してきた。パンツ一丁で歩いても大丈夫。ソファに足を放り投げて転がったって大丈夫。昨夜の洗い物が翌日もシンクの中に溜まっていたって大丈夫。ロビンのウンコがあちこちに転がっていたって踏まなきゃ大丈夫。……まあ色々なことが大丈夫だった。だって、結局はいつか自分で処理するわけだし、子ども達だって生まれながらにこの家で生活しているわけだから、今さら何の疑問を持つこともなかろう、とある意味たかをくくっていた。

ところが今後はそうはいかないのだ。実は私が一般的には片付けの苦手な部類の人間であることも、実は標準よりやや衛生観念に欠けていることも、実はいまひとついろいろな面でだらしない部分があることも。今後は玉ねぎの皮を剥くように、次々と暴かれ、家族だからこその鋭さでグサッ、ズサッと指摘されていくのだろう。

……怖い。怖すぎる。

年齢を重ねるほどに、自らの欠陥こそ個性と開き直って、楽に生きていけるようになるのだろう。漠然とそんな風に楽観視していた。今抱えている若干の後ろめたさも、そのうち私の中のわずかな正しさが根負けして、そんなにだらしないならもういいよ、と影を潜めていくんだろうと。しかし敵は私の中だけにあらず。少なくとも子ども達が独り立ちするまでのもう数年間は、せめてもう少し真人間に擬態する努力を積むべきか……。決断を迫られている。

イラスト:ハイジ

(紫原明子)

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