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「狂うひと 「死の棘」の妻・島尾ミホ」 #16

  • 2016.11.10
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生き残ったほうが歴史を書き換える。愛し合い、共犯し、書く権利を奪い合った夫婦関係とは

「すべての人を不幸にしても、書きたい人だったんですよ」
伸三はそう言う。
「あの人(※伸三の父・島尾敏雄)は死ぬ順番を間違えた。母より先に死ぬべきじゃなかったんです。そうしたら、何だって自由に書けたのに」

ものを書く人間は、みんな嘘つきです。一度も嘘を書いたことがないというもの書きがいたら、その人も嘘つきです。面白い方向に事実をねじ曲げる、会話のニュアンスを微妙に変えるといった明らかな嘘以前に、何を書いて、何を書かないかという取捨選択があります。その判断は、どんなにフェアにやったって、限りなく黒に近いグレーじゃないでしょうか。少なくとも、書かれる側にとってそれがまるっきり真実だとはとても言えないでしょう。

島尾敏雄の代表作『死の棘』は、敏雄に愛人がいることを知った妻のミホが狂乱状態に陥り、家庭がめちゃくちゃになっていく話で、深刻な状態を描いているのに、悲劇が過ぎてどこかこっけいになる不思議なユーモアがあり、人の不幸に対してこう言うのははばかられるのですが、他の追随を許さないほど面白い本です。

しかし、その『死の棘』もまた、島尾敏雄の視点から書かれたものであり、妻にとって、子供たちにとって、それは真実なのかという疑問が残ります。

この本は、島尾ミホの評伝でありながら、『死の棘』で描かれなかった部分の謎を詳細に解き明かしていくミステリーでもあります。事実を綿密に調査していった末の本ですから、一気に見事に解決、というわけにはいかないし、残る謎もあります。しかし、あくまで冷静な筆致で、誰の目線にも偏らないように注意深く、土の中から昔の土器を掘り出すような手つきで取り出される新事実から見えてくる新たな『死の棘』の真実は、圧巻です。

一見、激しい本のように見えるでしょう。タイトルが『狂うひと』ですし、『死の棘』の話ですし、帯も煽りに煽ってます。私も、最初は息をつかせぬ愛憎劇の真実が語られるのかと期待していました。でも、まったくそんな本ではありませんでした。言葉についての本、ものを書くということについての本でした。

もの書きは嘘つきだと書きましたが、島尾敏雄とミホは、最初は主に手紙のやりとりで愛を育み、『死の棘』に描かれた期間はミホの執拗な詰問による言葉の応酬でコミュニケーションを取っていきます。描かれるヒロインであったミホは、のちに自らも書く人になり、小説という大嘘の中で初めて「本当の気持ち」を描きます。ミホの書いた小説の評価は高く、私の目から見ても、まさに才能が開花したといった印象を受けます。
しかし、小説という嘘の中で書けた真実を、ミホはエッセイや日記では書けないのです。それは『死の棘』という作品から生まれた自らのイメージ、島尾夫妻を愛の象徴のように捉えるイメージを守りたかったからであり、ミホは敏雄の日記すら、敏雄の死後に自らの手で改変しています。敏雄の書いた真実は、ミホの目から見た真実とは違っていたから、というのもあるでしょうが、ミホは自分と敏雄が愛し合う夫婦であった、ということにどうしてもしておきたかった。言葉によって、です。

島尾ミホの評伝であると同時に、この本は島尾敏雄という人の、もの書きとしての業の深さをも描き出しています。『死の棘』に描かれていた日々のきっかけは、たまたま浮気がバレたのではなく、敏雄がバレるように仕向けたのではないか、という説が出てきます。
そして、『死の棘』の中で、完全に顔も名前も奪われた部外者のようにして登場する敏雄の愛人についての記述もあります。書くということが、いかに暴力的なことかを突きつけられるくだりです。
敏雄やミホのような「言葉の人」が、言葉の暴力性に気がつかないはずがありません。わかっていても、書きたい欲求に逆らえなかった。そして、二人の争いは敏雄の不倫に端を発するものの、本質的には書くことの主導権をどちらが取るか、というところにあったのではないか、というところまでこの本は掘り下げていきます。
私は『死の棘』は、きつい話だけれど面白く読めていましたが、この『狂うひと』は、そんな気持ちでは読めませんでした。ミホの嫉妬の様子も、敏雄の不倫相手に似た女を見ると嘔吐するとか、二人がデートしていた場所に近づくと発作を起こすとか、自分にも近いことがあったと感じるリアリティがあるし、ミホの芝居がかった振る舞いについても、それに近いことを修羅場で自分はやったことがある、と思いました。
ミホは陶酔の人です。戦時中は死の影が陶酔を支えており、夫の浮気で狂乱状態になっているときは、その狂乱が陶酔を支えていたと思えるふしがあります。その狂気は嘘ではなく、本当に激しくつらいことだったに違いないのですが、その狂乱の日々こそ愛の証であったかのようにミホは修正し続けています。
どうかしている人だ、と、自分とは関係のない人種だ、と突き放したいのに、この本を読むとそれができなくなります。
ものを書く人間は、みんな嘘つきですが、その嘘にこそ本質が出るし、嘘という枠組みの中でしか書けないことがあります。どこで嘘をついて、どこで本当のことを書くか、という取捨選択にもその人が表れます。この本は、敏雄やミホがどのような選択をし、どこで嘘をついて、どこで事実を語っているのかを掘り起こすことで、二人の人間性を描き出しています。
言葉には暴力的な側面がありますが、この本は、聖化された島尾夫妻を人間の形に引き戻そうとする本で、その筆致は私には強烈な優しさのように読めました。
最後の最後まで息を抜けない、スリリングで重い本です。