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女の自己主張って、恐ろしく難しい

  • 2016.7.13
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“頭がよくて、自己主張しない"という、女の正解

とある企業の女性たち、会う人会う人、みな本当に素晴らしくイイ人で、見事に仕事がしやすい。一人の例外もないのは、一体なぜなのだろうとずっと不思議に思っていて、それをトップに率直に聞いてみたことがある。するとその人は、「そうでしょう、そうでしょう」と、ちょっと“したり顔”でこう答えてくれたのだ。それはね、採用の時に明快な基準を持ってきたから。女性は“頭がいいのに自己主張しないタイプ”だけを選んできたからに他ならないと……。

本来が、どちらかと言うと男性優位の企業だったから、そこに何だかちょっと“女性蔑視のニュアンス”を感じたもの。でもそれ、よく考えると単に“文句を言わない、ひたすら大人しい女の子”を選ぶだけの高圧的な発想ではない気がしてきた。あくまでも“頭がいいこと”が大前提になっている。そこには大きな違いがあるはずと。“賢いからこそ自己主張をあまりしない人”は、要するにきわめて思慮深く、冷静。もちろん心穏やかな人には違いないが、かと言ってただの“大人しさ”とは違う。芯があって、信念もあるが、自信もそれなりにあって、ゆとりがあるからこそ普段は自己主張なんていらない。つまり実際は、ちゃんと主張したいことがあるタイプ。それをイザという時に通すためにこそ、日頃は自己主張をセーブしている人もいるのかもしれないし、自分から主張なんてしなくても、自然に一目置かれて、周りが彼女の意見を聞きたがったりするのかもしれない。いずれにしても、“頭がいいから自己主張しない女性”は、女性として、人として見事に完成しているはずなのだ。

ましてや、そういうタイプほど仕事が早い。仕事がデキる。何より、周囲との無駄な軋轢がなく、どんな相手ともうまくやっていく。だいたいが、女性社員が皆そのタイプなら、職場はいかにも平和で清々しい。いいことずくめのセレクション。これは“みんなが幸せになる”素晴らしい基準であると、つくづく思った次第。 でもじゃあ、女は自己主張しちゃいけないのか? いやそんなことはもちろんなくて、上手に自己主張できるに越したことはない。でも現実には、自己主張がますます難しい時代になっている。だって思い出してもみてほしい。熊本地震で、自らが被災したことをブログで訴えた女性タレントが、いわれのない中傷を受けてしまうような世の中なのだ。 いや、それを“自己主張”というのかどうかはわからない。自宅が倒壊して途方に暮れ、「どうしたらいいの?」という言葉が出るのは当然のこと。でもおそらく、そういう悲惨な状況への想像力よりも、何かを主張する人を諌める過剰な道徳観のほうが勝ってしまうということなのだろう。今まさに幅を利かせている“不謹慎狩り”の延長なのだろうが、これでは本末顚倒。でも騒動は、主張がいかに難しいかを露骨に物語った。だから「火の国の神様、どうかどうかもうやめてください」という、やたらドラマチックな表現と、バチが当たったような言い方が「不謹慎極まりない」と、思い切り“不謹慎狩り”につかまった紀香さんのコメントは、飛んで火に入る夏の虫。 そもそもなぜ世の中がここまで“自己主張”を嫌うようになったのか? と言うなら、ひとえにSNSによって、みんなが一斉に自己主張を始めたから。今まで沈黙を余儀なくされてきたサイレント・マジョリティが、全員“表現者”となれるから。でもそれだけに、少しでもツッコミどころのある主張をしてしまうともうアウト。自己顕示欲が少しでものぞくと世間は許してくれない。言いかえれば、“自己顕示欲”が今やSNSで日々大量に垂れ流されているからこそ、“自己顕示欲狩り”がもう止められないくらい大きな流れになっている。尋常ではないくらいに今、自己顕示欲に対する嫌悪感が激化しているのだ。

自分を善い人に見せようとする自己顕示欲は許されない

じゃあ、どういう自己表現なら許されるのか? これはもう答えは簡単。誰もが納得するような完成度や、誰もが唸るようなぶっち切りの素晴らしさを持った表現であること。本物の才能が表現されれば、その自己表現は“自己顕示欲”には見えないのである。そう、今の世の中、ダテに小うるさく自己顕示欲を糾弾しているわけではない。本物でないと許されない、厳格なチェック機関が自然にできてしまったということなのだ。 ただ、震災に対してのお見舞いメッセージのようなものでも、自分はこんなメッセージを送れる慈愛と知性に満ちた人間なのだという自己アピールがわずかでものぞくと、たちまちバッシングされる。よかれと思ったことがなぜ裏目に出るのか? と本人は納得がいかないはずだが、その“よかれ”が危ないのだ。“よいことをした”という自己申告が、すべて「売名」になってしまうから。そこまで?と言うかもしないが、現実に、私生活を公開する人以上に、“偽善”を疑われる発言のほうが大きなバッシングを受けてしまうのだ。これはひとえに、人間の“裏表”や“アザとさ”を嫌いつつ、他人のウソを暴くことが何よりの快感である時代を物語る。それも、写真のウソは所詮SNS上のウソですぐバレる。しかし、自分を善い人、立派な人に見せようとする操作はわかりにくいからこそ、“匿名正義感”で諌めなければならないという使命感が働くのだろう。

でもこれも、以前よりも人々が人の心を読むテクニックを身につけたことの証。ひと昔前、“空気が読めない人”をみんなで排除しようという気運が目立ったが、この流れが人の心を読む知恵を鍛えたのは確か。ただ、“空気を読めない人”には直接迷惑を被ったが、“他人の自己顕示欲”には何ら迷惑をかけられないのに、それでも排除しようとするのが今。単に、日頃の鬱憤を晴らしているともいえるが、少なくとも理屈を超えて人をいちばんイラつかせるのが、自己顕示欲だからなのは間違いない。 そこで提案。自己顕示欲を形にせずに自己主張する方法を考えてみた。 たとえば、会議でも通常の会話でも、意見を述べるのはなるべく最後のほうに。できればみんなの意見を聞いてから。じっくり考えて“まとめ”のようなひと言を発すると、自己主張には絶対見えない上に、ずしりと重い意見に見えて、一目置かれる。結局、順番なのだ。人より早く意見を言おうとするだけで、何を言っても“自己主張”に見え、人より少しでも多く意見を言おうとするだけで、何を言っても“自己顕示欲”に見える。意見は量より質。いや、量が少ないほど、質は高く見える。自己顕示しない人ほど、主張は通るのだ。自己主張に見えない自己主張は、決して難しくないのである。 だから、賢さで自己主張を自在にコントロールできる女になるが勝ち。一目置かれて、向こうから意見や主張を求められる人の勝ち。後出し意見が物を言うのだ。ともかく、誰にも迷惑をかけない“自己顕示欲”が嫌悪され、せっかくの魅力も激減する時代であることだけは肝に銘じよう。特に、“女の自己顕示欲”が狙われているのだ。出る杭は打たれる。出ようとするだけで打たれると覚えていて。

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