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入管制度に深く切り込んだ新進気鋭監督の渾身作『イマジナリーライン』特報&ポスタービジュアル解禁

  • 2025.10.30
映画『イマジナリーライン』ポスタービジュアル (C)2024 東京藝術大学大学院映像研究科 width=
映画『イマジナリーライン』ポスタービジュアル (C)2024 東京藝術大学大学院映像研究科

東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻18期卒業制作作品として発表された坂本憲翔監督の長編デビュー作『イマジナリーライン』が、2026年1月17日より全国順次公開されることが決定。あわせて、特報とポスタービジュアルが解禁された。

【動画】文子と夢が対照的に映し出される『イマジナリーライン』特報

映画学校を卒業してまもない山本文子(中島侑香)は、アルバイトをしながら音楽好きの親友・モハメド夢(LEIYA)と一緒に映画制作を続けていた。ある日、2人で訪れた旅先で、夢が“在留資格”をもたないことが発覚し、入管施設へ収容されてしまう。残酷な運命に引き裂かれるふたり、試される友情。苦悩の末、文子と夢はわずかな希望をもとめて立ち上がる…。

主人公・文子役には、俳優・モデルとして活躍する中島侑香。文子の親友である夢を、俳優・脚本家でもあるLEIYAが演じている。坂本監督が撮影時に取り入れた即興演出は、俳優の生き生きとした演技を引き出し、本作に強靱なリアリティと緊張感を与えている。

2023年6月、入管法改正案が採択され入管制度の厳罰化がさらに進んだ。こうした状況をふまえ、本作は東京藝術大学大学院の修了制作として企画された。学生スタッフと俳優たちは、仮放免者や入管の被収容者、支援者への取材を行い、入管内部の実態にまで深く切りこんだ。

昨年の修了制作上映会での発表後、各地でティーチイン付きの上映会を開催。さらに、第21回大阪アジアン映画祭に始まり、来月開催の第19回田辺・弁慶映画祭、第26回TAMA NEW WAVEなど国内の映画祭に多数参加が決定するなど、評判を呼んでいる。

タイトルの『イマジナリーライン』とは、映像制作の専門用語で、向かい合う人物の間をむすぶ“仮想的な線”のこと。キャメラがその線を越えないことで、被写体の視線や相対的な位置関係に一貫性をもたらすことができるが、本作ではそれを人と人との間に生じる「見えない線引き」とも捉えることができる。

このたび解禁となったポスタービジュアルは、主人公・文子と、夢のワンショットを並べたもの。2人の間には白い線が引かれ、そこをまたぐ形で「境界線(イマジナリーライン)を超えて、わたしはあなたになる」というコピーが配置されている。

また、同じく解禁となった特報では、ビデオカメラ越しの文子と、夢の「明日写真撮ろうね」という何気ないやりとり、2人で写真を撮るシーンの後、突然、1人置き去りにされていく文子の姿が映し出される。さらに、安田菜津紀さんによる「恐怖や不安を燃料にする扇動的な言葉に出くわしたとき、夢のことを思い出してほしい。「彼女たち」はすでに、私たちの隣にいるのだから」というコメントが使用されている。

映画『イマジナリーライン』は、2026年1月17日より全国順次公開。

※坂本憲翔監督、中島侑香、LEIYAほかのコメント全文は以下の通り。

<コメント全文>

■坂本憲翔監督

2021年3月、名古屋入管での医療ミスにより、被収容者のウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった。それから4年以上の月日が経ち、この事件について語られることも少なくなった。その沈黙の隙間をうめるように、街には排外主義的なことばが飛びかっている。遺族、支援者、被収容者、難民申請者の方々の闘いは、今この瞬間も続いているのに。

この事件と入管制度の問題を決して風化させてはならない、これは命の問題だから。たくさんの人にこの映画を観てほしい。そしてこの国の「今」について一緒に考えてみたい。心からそう願っています。

■中島侑香(山本文子役)

私が演じた文子という役は、どこか自分と似ていました。母の死で止まっていた時間が、夢という対照的な存在によって動き出す。そんな文子が作品の中でどう生き抜いていくのかを毎日考え続け、監督と話しながら丁寧に役作りをしていきました。カメラが回る瞬間、それまで準備していた「文子」を一度脱ぎ、現場の空気に身を委ねたとき、本当に文子として生きられたような気がしました。私にとって思い入れ深いこの作品の旅立ちを、心から嬉しく思います。

■LEIYA(モハメド夢役)

映画『イマジナリーライン』で夢という役を通して、「居場所とは何か」「支え合うとはどういうことか」を深く考えました。日本とガーナにルーツをもつ私にとって、描かれる現実は決して他人事ではありません。制度や言葉の壁によって、当たり前の日常を得られない人がいる。その声に耳を澄ませ、伝えていくことの尊さを身に沁みて感じることができました。

この作品を通じて、目に見えないさまざまな「線引き」について一緒に考えていただけたら嬉しいです。

■安田菜津紀さん(Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

「日本人ファースト」というスローガンが躍る。けれどもこの映画を観て、思う。「この国はずっとそうだったじゃないか」と。入管のまなざしはどこまでも「管理」「監視」であり、収容のあり方そのものが「外国人は人間扱いしなくていい」を前提としている。内部で働く人間にまで「管理」「監視」の「部品」であることを求める。国の態度は市井の意識にもじわじわと沁み込む。主人公の文子さえ、「不法滞在者」という巨大な主語に惑わされる。今もそうだ。ありもしない「外国人問題」がわざわざ作り出され、ないはずの線が引かれていく。「ここから先は仲間じゃない、仲間じゃない存在には何があっても構わない」と。でも、この映画を観た人たちは、出会ったはずだ。夢という1人の、血の通った人間に。恐怖や不安を燃料にする扇動的な言葉に出くわしたとき、夢のことを思い出してほしい。「彼女たち」はすでに、私たちの隣にいるのだから。

映画『イマジナリーライン』特報

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