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ザ・タイガースの脱退後21歳での決意【77歳・加橋かつみさんのターニングポイント#3】忘れられない母の言葉とは?

  • 2025.10.14

ザ・タイガースの脱退後21歳での決意【77歳・加橋かつみさんのターニングポイント#3】忘れられない母の言葉とは?

グループサウンズの全盛期を駆け抜けたザ・タイガースの元メンバー 加橋かつみさん。胸に残る「花の首飾り」は今も多くの人この心をとらえています。時代を代表する名曲を歌い上げた加橋さんの人生には、いくつものターニングポイントがありました。音楽と歩んできた道のり、そして現在について伺いました。第3回は、タイガース脱退後から今日、そしてこれから。

タイガース脱退後、21歳の挑戦

——「ザ・タイガース」を脱退してすぐに、パリで制作したアルバム『パリ1969』を発表しています。曲作りはもちろん、スタッフの手配など、1人でやるのは大変だったのでは?

自分が思ったまま、あるがままに曲を作って、作詞をして、歌う。全く大変なことではなかったですね。

——でも、当時まだ21歳でしたよね。その若さでまとめるというのは……

立場的にも自然なことでしたね。

——時期を同じくして、ロックミュージカル『ヘアー』の日本初演も実現していますね。主人公のクロード役も演じられました。

フランスで所属したバークレーレコードのディレクターから、「『ヘアー』パリ公演のリハーサルをやっているから観てきたら?」と勧められたのがきっかけです。

舞台稽古を観ていたら、いきなりステージの上からプロデューサーが「東京で『ヘアー』ができないかな?」と持ち掛けてきた。断る理由はありませんでした。

——引き受けたからには何から何まで背負わなくてはならない。それでもやろう、と決断したのはなぜですか?

まず、歌がすばらしいんです。「アクエリアス」や「Let the Sunshine/輝く星座」など、みんなが知っている有名な曲もあります。

そして、『ヘアー』は主人公の若者が自分に届いた招集令状に火をつけて焼き捨てる印象的なシーンから物語が始まります。反戦のメッセージですね。

そのころのアメリカはベトナム戦争の真っ最中。あのミュージカルを見て、若い人たちが兵役拒否を始めたら、政府は困るはずなんです。でも、アメリカの若者たちは国家権力に屈することなく、『ヘアー』をやったということに僕は感銘を受けました。

ジョン・レノンが「イマジン」という名曲を作ったのも同じことだと思います。あの曲を歌われたら、反戦のムーブメントを止めることはできないですからね。

——2010年に『ヘアー』の日本キャストが集合して開催したライブで歌う加橋さんの弾けるような笑顔が印象的でした。

『ヘアー』に関わった時間は、ほんとうに楽しかったです。そして、“LOVE&PEACE&FREEDOME”という『ヘアー』の基本理念は、僕がずっと大切にしている言葉でもあります。

忘れられない「母の言葉」

——加橋さんご自身のブログに「僕は子どもの頃から、何が真実なのか、何が嘘なのかをじっと見る子でした」という一文があります。そんな加橋さんを育てたお母さまはどんな方だったのでしょう?

母は師範学校を卒業した児童心理学の専門家で、新制高校の教師をしていました。戦地に送り出した教え子の戦死の知らせが届く、そんな時代です。

戦後は平和運動や民主教育活動に力を注ぎ、長年にわたり日本の女性による平和運動に携わっていました。

小さい頃の僕は、ふだんは物静かで大人しいんだけれど、怒り出すと手が付けられない癇癪持ちだったんです。いじめっ子を見つけては、毎日のようにケンカして帰る。すると、母は黙って菓子折りを持って謝りに歩いていました。

少し大人になってから、「なんで僕に文句を言わなかったんだ?」「叱らなかったんだ?」と聞いたら、たったひと言、返ってきた答えが「あなたのことを信じているから」。忘れられない母の言葉です。

忙しくて家にあまりいなかったのに、僕のことを見ていたんですね。

——すばらしいお母さまですね。

75歳で亡くなったんですけれど、母と僕はずっと“友達”みたいでした。何かあったときにも、相談するのではなくて、何でも話していましたね。

僕にとってはそれが当たり前だったけれど、今思うと、とても価値のあることだったんだと思います。

夜中にウォーキングで職質されたことも

——加橋さんも喜寿を迎えられ、最近ではライブ活動に重点を置いて活動されていますね。

東京の「銀座TACT」というところを中心にライブをやっています。

GSには名曲が多いんです。いまでも口ずさめる、残っているということは、名曲だということ。「ザ・タイガース」の曲やスタンダードも歌いますし、ロックンロールもやっています。

好きなのは、かまやつさんが作曲した「ザ・スパイダース」の『ノー・ノー・ボーイ』。ジョン・レノンの『イマジン』も歌っています。

——毎回、30曲ほどのセットリストをこなすには、体力維持が欠かせないと思いますが、健康に気を配っていることはありますか?

この年齢になってくると、どうしても体、というか新陳代謝のテンションが落ちてくる。それが落ちないように、夜中にウォーキングをしています。

普通のスピードで歩くのと、軽いジョギングのスピードで歩くのを交互に1時間くらい繰り返して、というのをもう何十年も続けています。黒い服を着て、ひとりで歩いていると、ときどき警官に職務質問されます(笑)。

——最後に「ゆうゆうtime」読者の50代、60代の女性たちにメッセージをお願いします。

その年齢くらいになると、自分でわかっていらっしゃるんじゃないかな。人がどうのこうのということではなく、自分がやりたいこと、自分が信じることをやられたらいいのではと思います。

「なんと言われようが、かまわない」—— 僕は若いときから変わらずに、そう思って生きてきましたから。

加橋かつみさんのターニングポイント③
「あなたのことを信じているから」——忘れられない母の言葉。「読者のみなさんも、人がどうのこうのということではなく、自分がやりたいこと、自分が信じることをやらたらいいのではと思います」

加橋かつみさん Profile

かはしかつみ●ミュージシャン ザ・タイガースの元メンバー
1948年、京都まれ。1967年にロックバンド「ザ・タイガース」のギタリストとしてデビューし、日本のグループサウンズ黄金期を代表する存在となる。リードギター、ボーカルを担当し、高い音楽性と澄んだ透明な声でファンを魅了した。タイガース脱退後はソロ活動に転じる。ヒット曲「花の首飾り」「廃虚の鳩」「色つきの女でいてくれよ」「ニルスのふしぎな旅」OP主題歌、「ひらけ!ポンキッキ」OP曲、「青い空 白い雲」ED曲、「かもめが空を」など。近年は、銀座タクトをはじめとするライブハウスで精力的にステージを重ねている。※最新のライブ情報は記事末で紹介

撮影/橋本哲

加橋かつみさん 最新ライブ情報

■「加橋かつみ LIVE in Rocky」
日時:2025年10月22日(水)
会場:ライブレストランRocky(東京・五反田)

■「加橋かつみ LIVE 2025」
日時:2025年11月7日(金)
会場:銀座TACT(東京・銀座)

詳細は、公式SNSにてご確認いただけます。
加橋かつみX 加橋かつみ Facebook

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