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『遠い山なみの光』を見る前に知ってほしい3つのこと。広瀬すずと二階堂ふみの「対決」に注目

  • 2025.9.10
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの長編小説デビュー作を映画した『遠い山なみの光』、見る前に知ってほしい3つのことを解説しましょう。(画像出典:(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners)
ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの長編小説デビュー作を映画した『遠い山なみの光』、見る前に知ってほしい3つのことを解説しましょう。(画像出典:(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners)

9月5日より、ノーベル文学賞受賞作家カズオ・イシグロの長編小説デビュー作を実写映画化した、『遠い山なみの光』が劇場公開されます。

本作のジャンルは「ヒューマンミステリー」。静謐(せいひつ)な語り口の作風であり、美しくも危うさを感じさせる画と、俳優陣の渾身の演技は、ぜひ映画館で見てほしいと強く願えるものでした。さらなる魅力と、事前に知ってほしい作品の特徴を記していきましょう。

1:終戦から間もない「薄暗い希望」の時代の物語

知識として入れておいてほしいのは、劇中の主な舞台(回想として話される出来事)が終戦から間もない1950年代の長崎であることと、1945年に長崎に原子爆弾が落とされたことです。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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劇中では戦争や原爆投下そのもののシーンや、原爆症(原爆の熱線や放射能による身体的障害や疾患)を患う主要キャラクターはほぼ登場しません。しかし、言葉の端々では「戦争と原爆投下の(比喩的な意味での)余波」を感じられます。例えば、原作小説の序盤には以下のような記述があります。

「そのころには、すでに最悪の時期はすぎていた。朝鮮で戦争がおこなわれていたのでアメリカ兵の数の多さはあいかわらずだったが、長崎では、それまでにくらべると一息ついた穏やかな時期だった。世の中が変わろうとしている気配があった。

カズオ イシグロ. 遠い山なみの光〔新版〕 (ハヤカワepi文庫) (p. 8). (Function). Kindle Edition. 」

世の中が良い方向へと変わっていて、穏やかで、人々がある程度の希望を手にしている……と思える一方、大きな戦争の名残りはあるし、別の戦争も起こっている。そんな時代背景が前提にある作品と言っていいでしょう。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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それを裏付ける、実際に長崎で生まれ、5歳のときにその地を離れたという、原作者のカズオ・イシグロの言葉も、プレス資料から引用しておきましょう。

「私が育ったイギリスでは、「長崎」と聞くと、ほとんどの人が真っ先にある出来事を思い浮かべます。それは原爆です。そして、多くの方は長崎を「死んでしまった街」として想像するようです。しかし、それは私の中の長崎の姿とは大きく異なります。私にとっての長崎は、むしろ「希望」に満ちた場所でした。幼い頃の記憶には、新しいものが次々と生まれる街の姿が深く焼き付いています。毎月のように新しい機械や建物が登場し、何かが前へ進んでいく感覚がありました。人々の中には自信と楽観が満ちあふれ、街全体がより良い未来を信じていたように思います」

太平洋戦争と、長崎に原爆が落とされたという、とてつもない悲劇があったという事実です。しかしそれだけではない希望も確かにあった時代を「体験」することは、本作の大きな意義でしょう。

そして、映画を見ると、その希望は明るいだけでなく、どこか「薄暗い光」のような、やはり不穏さに包まれているようにも思えるのです。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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実際に、翻訳者の小野寺健は訳者あとがきで、カズオ・イシグロの人生および作家性を「その人生をつつんでいる光は、強く明るい希望の光でも、逆に真っ暗な絶望の光でもなく、両者の中間の『薄明』とでもいうべきものである」と分析しています。その薄明のニュアンスが『遠い山なみの光(英題:A Pale View of Hills)』というタイトルにも表れているようにも思えるのです。

2:広瀬すずと二階堂ふみの「対決」

本作の物語の発端は、大学を中退して作家を目指す女性・ニキが、長崎で原爆を経験して戦後にイギリスに渡った母・悦子の半生を作品にしようと思いつく、というもの。そこで悦子が語り出すのは、戦後間もない長崎で出会った女性・佐知子と、その幼い娘と過ごした思い出でした。その思い出話の中で特に興味を引くのは、悦子と佐知子というキャラクターの「対比」です。悦子は結婚して妊娠中で生活も安定しており穏やかな一方で、佐知子はどうやら生活に困窮している様子。それでいて「近いうちに米兵と一緒にアメリカへ渡る予定」と明るく言い放ったりもします。

真っ当な友情を築きながらも、互いに「自分にはないものを持つ存在」として相手に嫉妬を含んだ複雑な感情を抱いている……この2人の関係のスリリングさに惹きつけられる物語なのです。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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見事なのは、そのキャスティング。常識人かつ温厚な印象が前面に出ながら、不安な感情も同居しているように思える悦子役の広瀬すず、表向きには朗らかなようで時には攻撃的で危うさを醸し出す佐知子役の二階堂ふみという、対照的な役柄にマッチした2人のやりとりは、もはや演技での「対決」とさえ言えるものでした。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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さらに、1980年代の悦子役の吉田羊はミステリアスを超えて「深淵」な印象を抱かせており、「広瀬すずの約30年後に見える」ルックスの説得力もありました。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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そして、(原作小説では冒頭で明かされていた)悦子の長女でありニキの姉・景子にまつわる悲劇や、さらには「秘められた記憶」「嘘」がミステリーになっているからこそ、展開に派手さがほとんどないにも関わらず、惹きつけられる作品になっているのです。

また、悦子の夫・二郎の父・誠二が福岡からやってきて、彼は息子と将棋をすることを楽しみにしたりする、悦子以上に穏やかな常識人に見えるのですが……実は「長崎に出てきた本当の目的」を秘密にしていたりもします。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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「終戦後に変わっていく世の中」のために苦悩する誠二を演じた三浦友和の表現力にも、ぜひ期待してほしいところです。

3:映画でも「記憶」を再現した

1950年代の長崎の光景を、「本当にその時代にいるような」画で再現したことも本作の美点であり、それこそが映画化した最大の意義と言えます。徹底的なリサーチが行われた美術や衣装、VFXで作りこんだ風景、それらを含めての「空気」さえも、実際に映像を見てみると「本物」にしか見えないのです。原作者のカズオ・イシグロは、5歳まで長崎で過ごしていたのですが、その時の記憶がないわけではなく、むしろ「心の奥に刻まれた風景や感覚は、むしろ鮮明で、今でもはっきりと思い出すことができます」と答えています。

しかも、小説『遠い山なみの光』を書き始めた最初の動機は「この記憶と想像の入り交じった日本が全て消え去ってしまう前に、小説の中に再現することで守り、大切に取っておく」ことだったそうです。映画でも同様に、作り込まれた画で、その記憶を再現することに主眼を置いているといっていいでしょう。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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しかもカズオ・イシグロは今回の映画にあたって、さまざまなアドバイスをする「メンター」であり「スクリプトドクター(脚本のお医者さん)」といえる役回りもこなしていたそうで、例えばイギリスのパートから始まる原作とは異なり、「映画では長崎のシーンを冒頭にする」のはカズオ・イシグロの発案だったのだとか。

さらに、福間美由紀プロデューサーからも、原作にない映画オリジナルの設定がいくつか提案され、チームで議論が重ねられたのだとか。それは、当時妊娠していた長崎の悦子に対するニキの関心や共感を高めるために仕掛けられた「ニキの妊娠疑惑」、そして二郎(松下洸平)を昭和の典型的な猛烈社員や妻を抑圧する夫としてではなく、戦争の傷を心身に刻み込み、屈折や哀しみを抱えた人物として描くための「二郎を傷痍軍人にする」、といったことです。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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また、戦争で右手の指を失くした二郎には、蛇腹式のバンドで、簡単に着脱できる時計を用意するという、美術でも細かい設定もされていたそうです。

そのおかげで、当時の世界への没入観や、キャラクターの豊かなニュアンス、霧が少しずつ晴れていくような(あるいは深淵に辿り着くような)ミステリー性が強く印象に残ります。福間プロデューサーが「この大切な節目に、大きな事件ではなく、あの日を生きた市井の女性たちのミステリーを通して、今の私たちにつながる物語を描けたのではないかと思います」と自信を持つことも納得の、完成度の高い作品に仕上がったと言っていいでしょう。

(C) 2025 A Pale View of Hills Film Partners
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さらに、福間プロデューサーは「戦争を実体験した人々がますますいなくなっていくこのタイミングで、戦争を知らない世代が記憶を頼りに物語を描くことがこの映画のストーリーそのものと今の時代性がリンクしていると思いました」とも語っており、まさにその通りの「今に戦争の記憶を語る」ことの意義のある作品になっています。戦後80年となる今の2025年、その意義も噛み締めながら、ご覧になってほしいです。

この記事の筆者:ヒナタカ プロフィール
All About 映画ガイド。雑食系映画ライターとして「ねとらぼ」「マグミクス」「NiEW(ニュー)」など複数のメディアで執筆中。作品の解説や考察、特定のジャンルのまとめ記事を担当。2022年「All About Red Ball Award」のNEWS部門を受賞。

文:ヒナタカ

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