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映画『イージー・ライダー』胸糞なラスト…。なぜ主人公は理不尽な目に遭うのか?<あらすじ キャスト 評価 考察 レビュー>

  • 2025.2.13
【Getty Images】

映画「イージー・ライダー」をあらすじ(ネタバレあり)、演出、脚本、配役、映像、音楽の項目で徹底解説。デニス・ホッパー監督・主演、ピーター・フォンダ、ジャック・ニコルソンら出演。曲の歌詞、バイクの種類と珠玉の音楽を解説。衝撃的なラストシーンで知られる本作は面白い? つまらない? 真の評価を多角的な視点で明らかにする。
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●映画『イージー・ライダー』のあらすじ
2人の男が大型バイクを走らせ、カリフォルニアからルイジアナ州ニューオリンズを目指す。彼らの名は、「キャプテン・アメリカ」ことワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)。

2人は麻薬の密売で一山当てたところであり、バイクのタンクには大金が隠されてある。身なりは汚く、浮浪者を思わせる。そのため、モーテルに立ち寄っても宿泊を拒否される。

野宿をしながら旅を続ける2人は、道中で出会ったヒッピーの集団と意気投合。気ままな旅を楽しむ2人だったが、小村のお祭りに許可なく参加したことをきっかけに、逮捕されてしまう…。

映画『イージー・ライダー』の撮影現場の様子【Getty Images】

本作は、“ハリウッドの異端児”とも称されたデニス・ホッパーの初監督作品。主演はホッパー自身と『木洩れ日の中に』(1997年)のヘンリー・フォンダで、1969年カンヌ国際映画祭新人監督賞を受賞し、第42回アカデミー賞で助演男優賞と脚本賞にノミネートされるなど高い評価を得た。

本作は、『俺たちに明日はない』(1967年)や『真夜中のカーボーイ』(1969年)とともに、アメリカン・ニューシネマの代表作と目されている。アメリカン・ニューシネマとは、ベトナム戦争に邁進するアメリカに対する若者の反体制的な心情を閉じ込めた映画で、ロックミュージックやヒッピーなどの当時の若者文化が多く描かれる。

主人公・ワイアットとビリーも、そんな時代の空気を背負っている。コカインの密輸で大金を手にした彼らは、ハーレーダビットソンにまたがり、カリフォルニアからルイジアナ州ニューオーリンズへ自由と解放を求めた旅へ出る。ちなみにタイトルはアメリカのスラングで、定職に就かずフラフラしている人、簡単に落とせそうな女性、性的な満足を与えてくれる人、といった意味を持っている。

名前という点で重要なのは、ワイアットとビリーが、西部劇の伝説のヒーローであるワイアット・アープとビリー・ザ・キッドに因んでいるという点である。つまり、ホッパーは当初、馬をバイクに置き換えた「現代の西部劇」として本作を構想していたのである。

制作にあたり、フランスのヌーヴェルヴァーグの影響を受けたとも公言しているホッパー。彼は、古き良きハリウッド映画とヨーロッパ映画を元に、新たなアメリカ映画の歴史を作ろうとしていたのかもしれない。

ハンセン役のジャック・ニコルソン(左)とワイアット役のピーター・フォンダ【Getty Images】

一般的なハリウッド映画とは異なり、本作にははっきりとしたストーリーが存在せず、ワイアットとビリーの放浪は即興的に描かれる。しかし、物語を通して一貫したテーマは存在している。それは、「アメリカのフロンティア精神の再発見」である。

前半では、麻薬の取引で大金を手にした二人が、1週間後に控える謝肉祭を目指し、大陸横断の旅に出る。途中、ヒッチハイカーの紹介でヒッピーのコミューンに立ち寄った彼らは、食事を共にしたり女性たちと恋仲になったりとやりたい放題。しかし、南部に入った途端、状況は一変する。パレードをバイクで邪魔したという咎で留置場に入れられてしまうのだ。

というのも、当時の南部はプロテスタントをはじめとするキリスト教信者が多く暮らし、極端なまでに保守的・排他的な地域。仏教やヒンドゥー教をバックボーンとするヒッピーたちとは、そもそも根本的に相容れない地域なのである。

地元の理解ある弁護士ハンセンのおかげで釈放された彼らだったが、周りの人々の冷たい目線は変わらない。カフェに入った彼らには住民たちの容赦ない罵声が浴びせられる。そしてそんな彼らを、なんとも残酷で理不尽な結末が待ち受ける…。

「自由」をめぐる本作のメッセージは、ハンセンが漏らす次のセリフに集約されている。「彼らは君たちを恐れてるんじゃない。君たちが象徴するもの、つまり“自由”が恐いんだ」

自由の国と謳われるアメリカ。しかし、自由は、他者にとっては排除すべきものとして映る。本作が突きつける問いをめぐる状況は、公開から50年余りを経た今でもあまり変わっていないのかもしれない。

弁護士ハンセン役ジャック・ニコルソン【Getty Images】

本作の注目といえば、なんといっても監督のデニス・ホッパーだろう。映画監督や俳優のみならず、写真家やアートコレクターとして、さまざまな顔を使い分けていたホッパー。圧倒的な才能を持ちながらも、酒と麻薬に溺れ、ときにハリウッドから干されてしまう。本作には、そんな彼の破天荒で危うい生き様がそのまま表れている。

また、W主演を務めたピーター・フォンダにも注目。ハリウッドを代表する俳優ヘンリー・フォンダを父に持つ彼は、本作では自由を謳歌しながらも育ちの良さを感じさせる品のある演技を披露している。あまりにも偉大な父の影から逃れるために、本作への出演を決めたという彼。本作が出世作となり、その後は自身の監督作『ダーティ・メリー・クレイジー・ラリー』(1974 年)や、ジョナサン・デミ監督の『怒りの山河』(1976年)などの娯楽作に立て続けに出演することになる。

そして、くせ者の弁護士ハンセン役を演じるジャック・ニコルソンの存在も欠かせない。本作でアカデミー賞助演男優賞の候補となったジャック・ニコルソンは、翌年『ファイブ・イージー・ピーセス』で主演を務める。その後は『シャイニング』などに出演し、ハリウッドを代表する名優に名を連ねている。ホッパーとフォンダ、そしてニコルソン…。のちに時代の寵児となる3人が、本作から巣立っていったのである。

ロードムービーである本作において、登場人物と同じくらいに存在感を放っているのが、彼らが乗りこなすチョッパーバイクだろう。撮影で使用された1965年型のハーレー・ダビッドソンは、映画公開から45年経った2014年にオークションに出品され、135万ドル(約1億7,600万円)で落札され話題を呼んだのは記憶に新しい。

撮影のラズロ・コヴァックスとデニス・ホッパー【Getty Images】

1960年代といえばスタジオ内での撮影が主流だが、本作ではスタジオを借りる金銭的余裕がなく、やむなくロケが行われることとなった。しかし、この選択肢が功を奏し、本作のテーマである「自由」を体現するカメラワークが可能となった。

例えば旅の冒頭、ワイアットが腕時計を投げ捨てるシーンがある。時間という権威への反発を示す象徴的なシーンだが、このカットでは、無意味に思われるほどにズームインとズームアウトが繰り返される。

また、主人公たちが夜襲をかけられるシーンでは、ハンセンが撲殺されるカットと眠りから覚めたビリーが叫ぶカットがチカチカと点滅させるようにオーバーラップされ、観客の衝撃を与えることに成功している。なお、こうしたカットの繋ぎは、ジャン・リュック・ゴダール監督の『ウィークエンド』(1967年)にも見られ、ホッパーが志向する表現表現とフランス・ヌーヴェル・ヴァーグの映画作家たちの共鳴っぷりがうかがい知れる。

なお、本作のカメラを担当したのは、ラズロ・コヴァックス。ハンガリー動乱を記録したフィルムを手に、ハンガリーからアメリカに亡命したという人物である。本作の撮影までヨーロッパ映画しか見たことがなかったというコバックス。彼とホッパーの化学反応が、アメリカ映画に新風を巻き起こしたのである。

テーマ曲「ワイルドでいこう!(ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」を手がけたバンド、スペッテンウルフ【Getty Images】

本作は、ロードムービーであると同時に、70年代のヒット曲が散りばめられた「音楽映画」でもある。しかも歌っているのはザ・バンドやジミ・ヘンドリックス、ザ・バーズ、ステッペン・ウルフ、ロジャー・マッギンなど、70年代のUSロックを代表する大物たちばかり。なんとも贅沢である。

特に有名なのは、ステッペン・ウルフによるオープニングテーマ『Born to Be Wild(ワイルドでいこう)』だろう。ハードロックの嚆矢としても知られる本曲は、本作をきっかけに若者の心を掴み、当時のビート・ジェネレーションを象徴する一曲となった。

本作で選ばれた曲は、『Born to Be Wild』に限らず、まるでこの映画のために作られたかと思うほどに作品にピッタリはまっているのも特徴である。

例えばヒッピーたちの自由への渇望をテーマとした『Wasn’t Born to Follow』では、「僕は誰かに従うために生まれてきたんじゃない」という歌詞が何度も登場し、本作のコンセプトを体現している。

また、エンディングテーマには、当初ボブ・ディランの『It’s Alright, Ma』が使われる予定だったが、権利の関係で叶わず、代わりにザ・バーズのメンバーであるロジャー・マッギンが書き下ろした『Ballad of Easy Rider(イージー・ライダーのバラード)』が使われることに。フォンダによれば、この曲もディランが書いたものの、ディランは本作のエンディングを気に入っておらず、名前をクレジットから外すように依頼したのだという。

なお、本作では、既成の音楽に合わせて映像をカッティングするという手法が用いられている。今では当たり前なものとなってしまったこの手法も、当時は極めて斬新な表現だったことを最後に付け加えておきたい。

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