1. トップ
  2. 恋愛
  3. 実家を出たくて選んだ進学先は、もうひとつのふるさとになった

実家を出たくて選んだ進学先は、もうひとつのふるさとになった

  • 2025.1.13

鎌倉で生まれ、横浜で育ち、今も横浜で仕事をしている。だけど、実はわたしにはもうひとつのふるさとがある。

地元(と言っても実家から往復3時間の)高校を卒業後、わたしは名古屋の音楽大学で3年半、本当に本当に充実した時間を過ごした。地元神奈川や東京の音楽大学ではなく母校を選んだ18歳の自分へ「よくぞここを選んでくれた」と褒めてやりたいし、18歳の娘を快く送り出してくれた両親には、感謝してもしきれない。今日はそんな「もうひとつのふるさと」名古屋で過ごした日々と、そこで出会った大事な人たちについて、お話をさせてください。

◎ ◎

実家から通える音楽大学がたくさんあるにも関わらず母校を選んだのは、正直「実家を出たかったから」だ。だからそれらしい理由をつけて親を説得し、一人暮らしをさせてもらった。突然「高校を出たら名古屋で一人暮らしをする」なんて言い出した娘に、きっと両親はなかなか困っただろう。せっかく都会で生まれ育ち、言葉通り何不自由ない生活をしていて、今後も実家にいれば何にも困ることはないだろうに、なぜこの子は自ら大変な道を選ぶのだろう、と。でも結果的に、実家を出たことも、名古屋で一人暮らしをしたことも、後悔したことはない。

名古屋と言ったらそれなりに大きな都市ではあるけど、学生の数も先生の数も地元と比べたら全然少なかった。住んだ場所も横浜と比べたら随分と田舎で、それはわたしにとって本当に魅力的だった。同じサックス専攻だけでなくさまざまな専攻の友達ができたし、規模の小さい大学だからこそ、さまざまな楽器の先生と会話ができた。他大学の音楽科の学生との交流もあったし、とにかく地元に愛される大学だった。さらに師匠を通じて卒業生と演奏させていただく機会もあって、人のあたたかさを大いに感じることができた。

◎ ◎

一人暮らしは決して楽ではなかった。実家にいればかからなかったであろうお金と心配をかけたから。実家にいれば家賃や光熱費のためのバイトはしなくてよかったかもしれないし、(一人暮らしが理由ではないかもしれないけど)体調を崩すことがなかったら休学や退学はしなくて済んだかもしれない。まぁ、高校までとは違う、門限にとらわれない自由な生活を楽しんだのも事実だけど。

実家から通えるような都心の音楽大学に行っていたら違う大学生活になって、それはそれで充実していたと思う。もっともっと真剣に音楽と向き合って、演奏家の道を志したかもしれないし、すぐに自分を見限ってもっと早くに退学していたかもしれない。こんなのたらればだ。

わざわざ都心から離れた大学に進学したり、大学を休学したり復学したり退学したり。わたしはおそらく普通じゃない経験をたくさんしたし、誰もいない家で一生付き合っていく病気と生活することは苦しかった。「こんなはずじゃなかった」という出来事もたくさんあったけど、あの日地元を出て名古屋で生活を始めたことは間違っていなかったと、胸を張れる。

◎ ◎

今でもたびたび、名古屋へ足を運ぶ。先輩方や後輩たち、お世話になった先生方、そして大好きな師匠の演奏を聴きに。「今日来たの?今日はこっちに泊まるの?え、日帰りなの?」などと驚いてくれるが、もうわたしにとって名古屋はそんなに遠い場所でもなければ、知らない街でもない。
わざわざ行くのではない。大好きな「もうひとつのふるさと」に、ただ帰るだけ。

■つっきーのプロフィール
幼い頃から夢だった「音大生」を、3年半で辞めた人。バラエティの面白さが分からない、お堅いお家で育った人。家族の顔も友達の顔も、自分の顔も分からない人。 世の中の“普通”がレベル高すぎて無理。

元記事で読む
の記事をもっとみる