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生放送中に“爆睡”…当時の「オールナイトニッポン」は『えらくハードだった…』高嶋ひでたけが語る

  • 2024.12.13

ニッポン放送でお送りしている『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』。

この番組は、日本を代表する各界の著名人が毎週登場。今の日本の礎を築いた著名人たちは、何を考え、何を次世代に伝えるのか。芸能・文化・音楽・スポーツ・経済・政治など、日本を代表する各界の著名人が週替わりで登場し、自身の人生を振り返りながら、「次世代・NEXT STAGE」への提言を発信していく。なお、今回は特別番組編成のため、ネット各局のみで放送した。

高嶋ひでたけ
高嶋ひでたけ

12月12日(木)の放送では、フリーアナウンサーの高嶋ひでたけが出演。1965年、明治大学政治経済学部政治学科を卒業後、ニッポン放送に入社。 ナイターの実況中継、札幌オリンピックの実況などスポーツアナウンサーとしても名を馳せた。 また、「オールナイトニッポン」「大入りダイヤルまだ宵の口」でのパーソナリティを担当した。

一時期、高嶋はスポーツアナウンサー、そして「オールナイトニッポン」のパーソナリティの両方を担当していた。

高嶋:今の言葉で言うと二刀流になるんでしょうけど。夏はスポーツ実況、冬場はオールナイトニッポン。ボス(上司)からは「季節労働者だね」なんて言われて(笑)でも、ある時、オールナイトニッポンのほうが、面白くなっちゃって。自分で言うのもなんですけど、私の喋りも、ある程度若者に受けるようになってきた。スポーツ実況と、オールナイトニッポン。両方の仕事を天秤にかけて、僕は喋りの方がすごく楽しいから、スポーツを辞めたくなった。ある日、決意してお願いに行ったら、「お前な、そういう約束じゃなかった」って、冷たく言われたんですよ。

そこから当時の上司に何度も頭を下げて、スポーツ実況の担当を外れた高嶋。しかし、深夜1時から5時まで、計4時間の生放送。苦労も多かったという。

高嶋:最初の3時までは結構、緊張感持って。いろいろ工夫して喋る。ところが、3時過ぎると、「誰が聞いてんだよ」みたいになるわけ。ふと、睡魔が襲ってくるんですね。急に来る。当時、麻雀が好きで、しょっちゅう徹マン(徹夜の麻雀)やってましたから。もう眠気に襲われると、こらえきれない。ある時、私が3時過ぎぐらいから、寝ちゃったんです。ディレクターが、一回起こしに来たらしいんですけど、全然起きなかった。死んじゃったんじゃないかと思ったっていうぐらい。ふっと目が覚めたら、クラシック音楽がかかってたんですよ。僕が「どうしたの?」ってディレクターに聞いたら、「どうしたのじゃないよ」って言われてね。気を取り直して、あとの1時間ぐらい一生懸命喋りましたけど。当時のオールナイトニッポンは、えらくハードだったんですよ。

最後に、次の世代への提言を伺った。

高嶋:自分の好きなことをやるといい。これは、大谷翔平も、わたしも共通している。大谷翔平は小さい頃から野球をやりたかったわけでしょ。僕はガキの頃から、ラジオがやりたかった。その姿勢や目的は、大谷翔平と同じ。こっちはほとんど無一文に近いけどね(笑)でも、志は同じ。自分に一番向いているということは、競争を勝ち抜くということで一番大きいと思います。若い人に言いたいのは、『君は何をやりたいのか』それを感じて、自分のしたいことを発見する。

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