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「菊乃井」代表取締役・村田吉弘  世界中に日本料理を広めた〝俯瞰〟の人

  • 2024.12.10

日本のエグゼクティブ・インタビュー

「菊乃井」代表取締役・村田吉弘、世界中に日本料理を広めた〝俯瞰〟の人<br />
「菊乃井」代表取締役・村田吉弘、世界中に日本料理を広めた〝俯瞰〟の人

日本料理の「菊乃井」は、ミシュランの星がああだこうだと言わなくとも(もちろん、赤坂店は2007年以降ずっと2つ星、京都本店は09年以降で3つ星を堅持している)、押しも押されもせぬ日本を代表する料亭である。

三代目主人・村田吉弘氏は、『ほんまに「おいしい」って何やろ?』(集英社)を上梓したばかりだ。日本料理アカデミー名誉理事長など、あまたの役職を兼任する氏の多忙の間隙を捕まえて話を聞いた。何が「ほんまにおいしい」のかを知りたい方は、本書を手に取ってもらいたい。

日本料理の行く末についての危機感

「30年前の本と今の本と、同じこと書いてあるやろ(笑)」

 

 

話を伺うに当たって、30年前に出版された初期の著書『京料理の福袋』も併せて読んだ旨を伝えると、氏はこともなげにこう答えて笑った。考えてみれば、「30年前と同じ」とは、すごいことではないか。氏の様々な洞察はすでにはるか昔に、固く深く定まっていたわけだから。

とりわけ、日本料理の行く末についての危機感は、2000年の少し前から確実に抱いていた。

「ちょうど今年11月の頭に、『伝統的酒造り』がユネスコの無形文化遺産に登録されました。日本酒と日本料理は夫婦みたいなもんですから、日本料理が世界の料理になっていく大きなきっかけにもなったと思います。

 

 

いま、1億2600万人の日本人がいまして、食物自給率は37%です。50年後には人口が8000万人になっています。国力はシンガポールに負けて、隣の韓国にもタイにも負けて、日本がアジアでも有数の貧乏な国になった時に、日本の子供らは飢えへんか? という問題なんです。2004年に日本料理アカデミーを創ったのもそのためです」

菊乃井 村田氏
菊乃井 村田氏

アラン・デュカスの示唆と協力

要は日本料理を海外に普及させて、それで日本が食べて行けるようにすることだ。日本料理を世界に向けて発信することにかけて、村田氏ほど身を粉にして取り組んだ現場の料理人はいない。記憶を掘り起こせば、2013年に和食がユネスコの無形文化遺産に登録されたのは、氏の途方もない尽力があってのことだ。

「そもそもの経緯は、昔からよく知っているアラン・デュカスが、フランス料理をどこよりも先んじて文化遺産に登録した。それで、『世界広しと言えども、あと料理という形で登録できるのは日本だけだ。それはお前がやるべきだ』と私に言うわけです。

私もずっと思っていたんですが、日本では文化というのは茶道、華道、書道、その他はカッコに入れて生活文化やと。日本料理はそのカッコの中だった。食文化、食文化というのに、なんで文化の中に入れてもらえないのか。それで、日本は外圧に弱い国なんで(笑)、和食を文化遺産登録しようと思ったわけです。

実際、その実現に力を貸してくれたんが、デュカスでした。ソルボンヌ大学の学長だったジャン=ロベール・ピット先生なんかも紹介してくれて、大いにロビー活動をしたんです」

もちろん、それは成功するのだが、特に村田氏が得をする話ではない。

「自分の商売と直接は関係ないですよ。自分の店だけが忙しかったらええ、と考えるのは間違いです。しかし、日本料理という全体を考えると、全体がようなってこそ自分の店もようなるわけで」

 

 

村田氏は昔からプロデューサー的な視点を持つ〝俯瞰の人〟なのだ。

 

 

「そらまあ、学生運動やってたからとちゃいまっか(笑)」

銀座の寿司屋にモノ申す

今でこそ、有名シェフたちがこぞって生産者の元を訪ねるが、そんなことを氏は30年以上も前からやってきた。大先駆者である。

「別にそんな大層な考え方はなくて、好き勝手やっているだけですから。イヤなことは一切しませんし(笑)。しかし、料理は素材以上のものは作れないと思っていますからね。素材がようないのに、美味しいものを作れって言われても難しいですわ。素材は神様が作ったものですから」

料理の値段についても、誰もが口にしないような正論を吐かれる。例えば、「銀座で寿司を食べて、五万とか七万」したら普通の人は来られなくなると、先の本にはっきりと書いてある。

「寿司屋にエラい反感を買うてるみたいですけど。そんなん、誰に嫌われようと僕は関係ないんですけども。

 

 

だってね、コンビニのパック寿司が400円であるわけです。8万円って言ったら、その200倍ですよ。そんな食いもの、他にないでしょ。まんじゅうが200倍も値段が違ったら話にならんじゃないですか」

そういう値段の店には、ワケのわからない金持ちか外国人しか来なくなる。12万円の天ぷら屋などは、もはや狂気の沙汰だろう。

「コロナみたいなパンデミックやリーマンショックみたいなことが、なんなく起こるわけです。そしたらそういう値段の店はみんな潰れますよ。普通の人が『ちょっと贅沢やけど、ほな行こか』と行けるような値段帯にしとかへんなら全滅しますよ。私が言いたいのは、寿司も天ぷらも蕎麦も大切な日本の食の一環です。そういう文化自体がなくなってほしくないと思いますね」

料理屋、料亭は「公共」のもの

日常使いしてくれる日本人がいなければ、料理屋も育たない。それが氏の考えの根本だ。

「そういう考え方を持っているのは、長い時代を乗り越えてきた京都の料理屋だけです。豊臣の世から徳川になって、そしたら明治になり、時代はずんずんと変わる。町衆の営みは変わらんので、体制に迎合しないのが京都です。

町衆がいちばん最初に料理屋に行くのは、おばあちゃんに抱かれて宮参りの時ですよね。そして、七五三、成人式、お見合い、法事、全部、料理屋の仕事なんです。その人らが来られる値段帯で営業する、それが京都の料理屋の基本です。ウチらの本店でも二万円からやっていますし、京都のいちばん高い店で三万五千円ですかね。

京都は敷居が高いと言いますけど、東京みたいにバッチつけた先生方が悪だくみするとこみたいに思ってはるとこは全然ないですよ(笑)」

つまり、料理屋、料亭は「公共」のものだと言うのである。

「自分が経営者で自分が好きなようにやってんやから、値段も好きなようにつける。自分の店やと思うわけです。それやったら、会員制にせえと言いたい。

 

 

電話帳に名前を載せていろんなところで宣伝する限りは、『公共の施設』ですよ。経営者はどういう客層に来て欲しいのかを考えるだけです。『オレの料理』と言いますけどね、5歳の子どもも85歳のおばあちゃんも同じ料理出すのかいな。

『オレの料理が食べられへんのやったら、もう来んといて』言うんやったら、料理屋はやめたほうがいいですよ。

 

 

お客さんは人それぞれで、その人に合う料理を作るわけでしょ。90歳のおばあちゃんには薄造りにしとけという風にするのが料理屋ってもんでしょう。今やったら、ベジタリアン、アレルギーがある人、ハラールもありますしね。ウチは絶対に断らへん。

お金払う人がいちばん偉いんですよ。どんな商売でもそうです。お金を払う人の好みに合わせて物は作るんです。それをうまいこと、お客さんが言いにくいことを聞きだして、うまいこと料理をはめていくのが料理屋ってものですよ」

大坂の「食い味」と京料理の「残心」

それと、最も大事なのは料理の塩加減なのだそうだ。

「大昔ですけど、オヤジがね、『お前の料理はアカン、美味しすぎる』って言うんですよ。当時の私は、『なに言うてんのや、美味しかったらええやないか』って反発しました。美味しすぎるのは、その時に満足してしまう料理です。大阪の料理はそうでした。大阪は『食い味』って言うんですよ。

 

 

それに対して京都は『残心』、手前に止める寸止めです。例えば吸い物を飲んだ時に、『あれ?ちょっと薄い』と思っても、全部食べ終わる頃にはちょうどええ。家に帰って一晩ぐらい寝たら、『昨日の吸い物、美味しかったな』と、心が残らんと料理にはならんものです」

塩をかなり振るフランスやイタリア料理などは、さしずめ「食べ味」といったところなのだろう。冒頭で触れた、氏が立ち上げた日本料理アカデミーからは、塩に関する知見も出てきている。

「例えば青い葉ものを茹でる時に塩を入れていたんだけれども、塩は入れんでもいいことが大学の教授の研究でわかった。料理は科学で出来ていますから、科学者と一緒に勉強しなあかんということで、いまアカデミーの会員300人のうちの100人は学者です。

立ち上げた当時は、フランス料理やイタリア料理が盛んで、ちょうど日本料理が斜陽だったんです。そのことが会を創る大きな理由でもあった。日本料理がもういっぺん復活するには、料理の仕組みを科学的に検証せなあかんと思ったわけです。勘と経験だけで仕事をしていることを変えなければならない。それには学者さんが絶対的に必要でした」

ボランティアで作った「日本料理大全」

それは例えば、出汁を取るのに昆布をいくら、鰹節をいくら入れるかーー。それらを網羅したのが、書籍の『日本料理大全』である。懇切丁寧に日本料理の解説が施してあって、写真は美しいし、大変な労作だ。

「包丁の使い方や魚の捌き方から始めて、『焼き』の5冊目まできました。『炊く』『煮る』を6巻目でやって終わります」

その原資は味の素、キッコーマン、宝酒造、東京ガス、大阪ガス……等が出費した。

 

 

「僕らは事業受託金として頂戴していますので、ちゃんと決算して報告しています。一切、飲んだり食ったりはしていません(笑)。僕らも学者先生もみんなボランティです。

 

 

英語版の翻訳にはお金がかかるんですけど、『公利のために安してや』とか、『100年先もある本を作ってんやから、安くしてやって』とお願いしています(笑)」

ネットならば全巻無料で読める。

 

 

「若い子なんか一冊8000円もする本は買えないでしょ。これを読めば理屈がわかります。理屈がわかれば、その発展形ができるんです」

『日本料理大全』
『日本料理大全』は全5巻で構成された大著。写真は日本料理の技法「五法」(切る・蒸す・焼く・煮る・揚げる)の第一法である「切る」技法について「魚のおろし方」を中心に解説した『向板Ⅰ 切る技法、⿂のおろし⽅』より。デジタルブックは京都府立大学のウェブサイト内特設ページで全5巻を無料で見ることができる。京都府立大学ウェブサイト「日本料理大全/JAPANESE CUISINE 公開特設ページ」へ。

「UMAMI」を世界中に広げる

日本料理アカデミーが達成したことの一つに、「うまみ」(「UMAMI」)を世界中に広げたことがある。世界の味覚認識は、甘み、辛み、酸味、苦みの4つだった。5つ目の味覚として「うまみ」を加えさせた。そのために、世界中25カ国以上で、講習会やワークショップを敢行したのだ。

「外に出かけるだけじゃ足りませんから、味の素に『うま味インフォメーションセンター』を作ってもらって、そこに研修生を世界各国から呼びました。飛行機代以外は全部僕らが面倒をみました。今じゃ世界でも有名になった、レネ・ゼネピ、マッシモ・ボットゥーラ、マウロ・フラグレコとかいてたんですよ。その頃はペーペーでしたけど、今はみんな俺より偉うなって(笑)」

そのお蔭でプライドの高いフランスですら、「4味プラスうまみ」と認めるようになった。

 

 

「2002年に『うまみ』の受容体が舌の味蕾(みらい)の中に発見されて、認めるしかなくなったからです。でも、なんで、プラス付けんねん(笑)。5味がいまや世界共通ですよ」

ほかにも子供たちへの食育など、村田氏ほど「公利」のために活動している料理人はまたといない。

日本文化は節度と品位

最後に、村田さんが考える日本の美意識とは何だろうか?

「僕らの場合で言うと、いちばんのご馳走は何かと言われると、頭の中にあるんです。日本料理でしたら、器もその中の料理も素材も、それが季節の象徴であるものしか出て来ません。

 

 

ウチの店でしたら、今やったら錦秋椀(きんしゅうわん)といって丹波地真丈に菊の花がフワッと載っていたりします。すると、『丹波の里はもう紅葉してんやろうか』って思わすのが料理になるんです。つまり、海の近くへトリップしたり、山の中へトリップしたりさせるわけです」

それは茶室と同じだと言う。

 

 

「茶室の中は、一行文字があって、棗(なつめ)やいろんな道具があって、それらが宇宙を表していますね。頭の中は、いろんなところへトリップするわけです。要は『言わずも分かれ』という文化なんです。

満開の桜を棗に描いてあるよりも、障子を開けた時の裏に花弁が一枚ひらひらと舞っている方が春を感じる、そういう文化なわけです。何でも大声で言うたらええねんというような文化の国ではないと思います」

 

 

 

「言わな損や」という最近の風潮は日本人的ではないと続ける。

「言わんでも分かってもらったり、大声で叫ばんでもええようにせんといかんですね。日本文化が求めて来たものは節度と品位なんですから。抑制のきいた状態が節度で、それを守る上で出てくる心の緊張感が品位です。

 

 

 

日本料理がいちばん大切にしているのは節度と品位で、日本のすべてのものにおいてもその二つがすごく大事だと思いますね。ま、秘すれば花、ですな」

菊乃井村田氏とPremium Japanの島村
小林古径のお軸を拝見しながら、村田氏と。今回お伺いしたの赤坂の菊乃井は、都会の中心部にあって京都にいるような錯覚をしてしまうほどの風情と静謐さが素晴らしかった。

村田吉弘 Yoshihiro Murata

1951年京都生まれ。立命館大学在学中にフランス料理研究のため渡仏。半年後帰国。料亭で修業を積んだ後、1993年「菊乃井」三代目主人となる。2004年「赤坂 菊乃井」開店。2007年「赤坂 菊乃井」がミシュラン2つ星を獲得。2009年京都本店がミシュラン3つ星、「露庵 菊乃井」が2つ星を獲得。シンガポール航空の機内食「花ごよみ」を提供、2017年お弁当や甘味を提供する「無碍三房」を開店。2013年「和食 日本人の伝統的な食文化」のユネスコ無形文化遺産登録、および2022年「京料理」の国の登録無形文化財への登録に尽力した。「文化功労者」など受賞歴多数、「特定非営利活動法人 日本料理アカデミー」名誉理事長。

 

 

島村美緒 Mio Shimamura

Premium Japan代表・発行人兼編集長。外資系広告代理店を経て、米ウォルト・ディズニーやハリー・ウィンストン、 ティファニー&Co.などのトップブランドにてマーケティング/PR の責任者を歴任。2013年株式会社ルッソを設立。様々なトップブランドのPRを手がける。実家が茶道や着付けなど、日本文化を教える環境にあったことから、 2017年にプレミアムジャパンの事業権を獲得し、2018年株式会社プレミアムジャパンを設立。

Text by Toshizumi Ishibashi

Photography by Toshiyuki Furuya

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