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目に見えない精神疾患がある私。優しい自分を演じるのが好きなのか

  • 2024.9.27

大事なものは目に見えない。有名な本にもある言葉だ。
私は精神疾患を持っている。違う意味だが目に見えない。

「ちゃんと働いてるじゃん」
「全然病気に見えないよ」
「すごく元気そうに見えるけど」
「シラフでそのテンションなんだね」
「健康そうな体型なのに」

違う、全部違う。働かないと自分の存在価値がなくなってしまいそうで。元気そうに見えるんじゃなくて元気に振る舞ってるだけ。そのテンションを今維持していないと壊れてしまうから。もうとっくに壊れているけど。健康そうな体型?標準体型から薬で激太りしてやっと小太りまできてボロボロになっていったのに。

◎ ◎

障害者雇用で働きたくないと思ったのは賃金が安いからではない。私はいつ眠れるかわからない。寝不足で仕事に行けない時があり結局早退してしまう。そのような雇用だと仕事時間が朝から夕方までと決まっていることが多かった。週五でそれは無理だった。精神疾患だけではなく肉体にも疾患を持っている私には高すぎるハードルだった。

健常者のように振る舞って働いていてもボロがすぐに出てくる。それでクビになることが多かった。

水商売も連勤で働いて体を壊した時や飲食で働いていて休んだ時に「その歳で責任感がない」と言われた。私は自分を責めた。しかし辛くてもそれが現実なのだ。手足があり目が見えて耳が聞こえていても私の身体には機能しないことや邪魔者が多すぎる。

同情して欲しいわけではない。それだけ私が悪いとまた自己嫌悪に陥る。
精神障害を持っているとなぜこんなに辛いのだろう。
精神に同じ疾患がある人とも会ったり話したりしたが自分の苦しみにしか視点を当てられない気がした。鬱を持っている人間が摂食障害の人のことを馬鹿にしていた。自分が辛いならなぜそこに視点を当てられないのだろう。自分が辛いなら相手を理解してあげることもできる余裕がなくなっているのだろうか。私はそうなりたくないと思ってそのような人間から離れた。

◎ ◎

健康体な人と付き合っても余計に苦しかった。同情してくれても私の中でしか解決するしかないのだ。自分が一番可愛いのだ。
ここまで書いていて読んでくださっている方もわかっていると思う。お前はどうなんだと。

私が一番可哀想なんだ。だから理解して!と言わんばかりの文章満載だし、私自身が自分をグロテスクだと思うことが多い。私も人を理解しようと思い、どれだけ辛い思いをしたか脳内で変換してみたりもした。他の人間よりも優しいと思っていた。結局優しい自分を演じている自分が好きなのではないかと思った。
直接手を差し伸べることもできない。理解していなかったのは自分だったのだ。
私が私に優しくできていないから人にも優しさを返しているフリをしているのだ。

私は死にたいとか消えたいとか一瞬でも思ったことがある人なら仲間だと思っていた。でもその根っこの心理まで分析することはできなかった。明日ご飯を食べられないかもしれない、寝るところがないかもしれない。私の病気や辛いこと以外にも着眼点を持てていなかった。なぜこんなにも残酷な人間なのだろう。この文を書いていると、懺悔して自分で自分を許してくださいと言っているような気がする。気持ちが悪い。

◎ ◎

言いたかったことは「精神疾患患者に優しくない世界」だったのに「人に優しくできていない自分」がテーマになっていた。

人に優しくなりたい。見返りを求めず。
私自身が変わらないと絶対に変えられないからそれは難しいのか。どうか病気が少しでも楽になって生きやすくなりますように。

テーマはまた決まらなくなった。
今思った。

「悩み続ける自分にはて?と思う」

自分が結局一番可愛いのは自分だった。

■岬セリカのプロフィール
毎日必死に生きています。文字を読めて文字を書けることはとても幸せなことだと実感しています。葛藤とぶつかりの中で表現できることは私に与えられた使命だと思っています。もし私の文章から何かを感じ取ってくださったら嬉しいです。

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