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136:夢か幻か

  • 2016.2.12
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八時少し前。土曜日の空の裾が、少しずつ薄い桃色に染まり始めている。漆黒の上空の下に帯状に延びる茄子紺を背景に、ドゥオーモの尖塔が白く浮き上がってくる。
浅い春の夜明け。薄い桃色にみるみるうちに橙色が差し込み、ミラノのはるか向こうには墨黒色の三角形が連なっている。アルプス山脈だ。昨夕に疾風が吹き抜けたあと、夜半まで雨が横殴りに降り続いた。季節外れの暴風雨のおかげで、冬じゅう町に覆いかぶさっていたドス黒い雲は吹き飛ばされ、埃や汚れは地に落ち、流されて、この澄み切った朝が来た。
空を彩る春の縞模様を眺めているうちに居ても立ってもおられず、日の昇るほうに向かって車で行く。
低く薄い朝日が、高速道路の表面をなぞるようにして差し込んでくる。それを拾い上げるようにして走るうちに、左手に並ぶ山脈はいよいよ青々と映える。やがて目の高さに昇ってきた日と向かい合わせになりながら、二時間と少し。ひと山、ふた山。超えては下りて。そして、橋の袂に到着した。<自由の橋>。
渡った向こうに、ヴェネツィアがある。

晴れ晴れとしたこの町に会うのは、何ヶ月ぶりだろう。
白と緑を混ぜ合わせたいつものあの色で、中海が橋の両側に広がっている。この冬は、冠水になることが少なかったという。木の杭は、潮流で痩せ水苔に黒く染まった下方部まで水上に見せて突っ立っている。その杭の頭から頭へ、カモメが伝い飛んでいく。
橋を渡り終えてバスから降りると、そこには中世の舞踏会や宇宙、動物園や花園、神話に寓話から、さまざまな場面を切り取ってはコラージュしたような光景が広がっていた。
金糸で織った舞踏会のためのドレスがたっぷりとした裾まわりを揺らしながら、黒いビロードのマントのあとを追う。半分に体を曲げた老婆の杖から、リンリンと鈴が溢れ鳴る。深紅の巻き毛の大男を見た幼子が怯え泣く。尻尾を振る犬。フォーン、と柔らかな角笛。ふわりと鼻先に流れて遠ざかっていったのは、外套を纏った司祭の残り香だ。
どの人も、鼻頭にレース模様やカラフルな半仮面を載せている。目の穴の奥には、さまざまな色の瞳が大きく見開いたり、細まったり。その視線の先に何を見るのだろう。
今日は、この町のカーニヴァル本祭りなのだった。

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