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奇跡の88歳がお悩み解決!「シワが増えるのが不安」「コンプレックスの乗り越え方は?」

  • 2023.4.3
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なんと、今年88歳!

美容研究家

小林照子さん

コーセー退社後、娘のひろ美さんとともに美・ファイン研究所を創立。フロムハンドメイクアップアカデミー、青山ビューティ学院高等部の学園長として、美のプロフェッショナルの育成に尽力。ご自身も圧巻の美肌の持ち主。

\教えて、照子さん!/

VOCE読者の美容人生相談

小林照子さん
Q. シワが増えるのが不安で仕方がありません……
小林照子さん

A. 人はみんなミイラに向かって行進しているの(笑)。シワは表情筋の使い方で和らぎますよ


「人は必ず乾いていくものだから、大人になったら乾かさないことを一番に考える必要があります。シワは後天的要因で大きく変わるの。たとえば眉間のシワは、眉山の外側を意識すると刻まれにくい。メイク法や表情に気をつけつつ、潤し続ければ薄れていきますよ」

Q. コスメにかけるお金は限られているから、どれを使えばいいのか悩みます。何を基準に選んだらいいですか?
小林照子さん

A. どんな化粧品もきちんと使えば応えてくれる。『そのコスメに“良心”があるか』で見極めて


「高い化粧品の場合、研究費はもちろん、より企業の“力”が入っているというのはあります。ただ、基本的には日本で発売されているものは、安心で安全なコスメばかり。値段を問わず、みんなをキレイにしたいという企業の“良心”があるかを基準にして判断をしてみて」

Q. パーソナルカラー診断を受けてみたけれど、結局何が似合うのかわかりません
小林照子さん

A. 色の印象は時代とともに変わります。まずは、個性を大切に


「似合う色を見つけるのはいいことだと思います。でも色の印象は、時代背景や生活習慣で変わるもの。人の意見に左右されすぎず好きな色を選んで、自分の気分や個性を大事にしたほうがいいわよ」

Q. 鼻の高さや骨格など、努力では克服できないコンプレックスはどう乗り越えたらよいでしょうか
小林照子さん

A. 美容の力で強みに変えればマイナスじゃなくプラスになる!


「鼻がペチャンとしていれば可愛く見えるし、エラが張っていれば強く凛々しい人に見える。いろんな個性があるから、メイク法や肌の美しさで逆転させることもできます」

Q. 年を重ねたらお手入れはどう変えるべき?
小林照子さん

A. より濃厚なコスメをこまめに“倍づけ”がおすすめ


「最大の敵は乾燥。これまでと同じお手入れをしていて乾くようなら、量を増やしたり塗る回数を増やしたり、濃度を高めたりすることが大事。ずっと同じケアじゃダメですよ!」

Q. いつもキレイで、ポジティブでいるにはどうしたらよいですか?
小林照子さん

A. 私の場合、持ち前の好奇心で仕事も趣味も楽しんできました。最近はエンタメも活力に!


「面白そうだと思ったことはどんどんチャレンジすべき。最近の私は、ライブに行ったり、趣味の彫刻を楽しんだり。日々を充実させているのがいいのかもしれませんね」

ル・ジャクソンのそっくりさんと記念撮影。

有明アリーナで行われた「THE LAST ROCKSTARS」のライブにも参戦!会場ではマイケル・ジャクソンのそっくりさんと記念撮影。

Q. コンプレックスを隠そうとして、メイクがワンパターンになりがちです
小林照子さん

A. 完璧に整った理想の顔よりもちょっと標準からはずれた顔のほうが記憶に残るものよ


「コンプレックスは裏を返せば個性。あなただけが持つ魅力になるんです。“理想顔”からはずれたところをダメだと思わず、逆に強調してみたらどう? 完璧に整っていることだけが魅力じゃない。『少し変』ぐらいのほうが印象に残ってまた会いたくなるんだから」

Q. いろんなコスメを使っても、今ひとつ実感がありません
小林照子さん

A. お手入れが雑になっていたり、生活リズムが乱れたりしていないか、この機会に見直してみて!


「使用するコスメだけでなく、優しく触れる、塗り漏れをなくす、ホットタオルで蒸すなどお手入れの内容も大事です。食事や睡眠など、ライフスタイルも見直してみては?」

Q. スキンケアだけで頑張っていくか、美容医療をプラスするか迷っています
小林照子さん

A. 大人世代を乗り切るには「医療より美容」です


「医療って内科、皮膚科、眼科と人体をパーツでとらえているでしょう? それに対して血流、食事、感情、睡眠とトータルで整えることが美しさにつながると考えるのが美容。肌や気分、体調が落ち込んだときに、心まで癒やしてくれるご自身の五感を喜ばせる、毎日の“習慣美容”を極めることが、きっと救いになりますよ」

コンプレックスを逆手に取って魅力を引き出す。それが美容の力です

何事も面白がれないと前には進めません

美容研究家であり、現役のメイクアップアーティストであり、美容学校の学園長であり、経営者であり、本誌でもおなじみの美容家・小林ひろ美さんの母でもある。いくつもの顔を持つ照子さんの美容人生は、20歳でコーセーに美容指導員として入社したときから始まった。

「あの頃は、女性は結婚したら家に入るのが当たり前という時代。化粧品を扱っている会社でも、職場は完全な男性中心社会だったんですよ。そんな中で商品開発に携わることになったんですから、そりゃあもう大変でした」と笑いながら話してくれるけれど、現代以上に、女性が意見を通すのは難しかったのでは? 「お偉いさんにはメンツってものがありますからね、間違っていることでも真正面から指摘しちゃダメなのよ。こちらの意見を角を立てず通すには、やっぱり工夫が必要。どういう話し方をしたらわかってもらえるか、どう行動したらすんなりことが進むか、職場の友人とあれこれ考えるのも楽しかったのよね。大変なことも面白がれる性質なのがよかったのかもしれません。嫌だと思って逃げてしまったら、もうそこで終わりでしょう? どんなことも好奇心を持って前を向かないと先には進めないのよ」

そんな照子さんの手がけた数々の商品が大ヒットすることで、少しずつ周囲にも変化が。「私はメイクアップアーティストになりたくてこの世界に入ったので、自分が使いたいと思う化粧品をつくりたくて『もう少し保湿感を増やして』とか研究所にお願いするわけです。すると『それだと処方が全部変わっちゃうから無理だよ!』と怒られてしまう。当時、研究所は聖域でしたからね。そこにズカズカ踏み込む私みたいなのは、すごく嫌がられたの(笑)。でもね、その商品が女性たちのニーズにピッタリ合ったみたいですごく売れたのよ。『商売なんて関係ない』って言ってた研究員も、ヒット作に関わる喜びを感じることができて、少しずつ態度が軟化していったの」

「女性だから大変」ということもあったけど、好奇心があったから楽しんでやってこれたんですよ
小林照子さん
働く女性のことを考えてつくったアイテムがヒット

照子さんが手がけたヒット作のひとつが“練りファンデ”。その開発背景には、仕上がりの美しさだけでなく、使いやすさも妥協したくないという照子さんの思いがあった。「それまでファンデの主流はリキッドだったんですが、マックス・ファクターが“パンケーキ”を開発したんです。この水で溶いて使うケーキ状のファンデが、映画『風と共に去りぬ』で使用されて、炎の中で演技しても落ちなかったと世界中で話題になった。これをベースにして1960年代以降、水を含んだスポンジで取るケーキタイプのファンデが台頭したのね。でも私は、カバー力があってツヤも出せて、しかも乾かないファンデが欲しかったんです。そこで1970年代に、練りタイプのファンデの開発に着手。でもこれ、プロはともかく普通の人が使うには難易度が高かったのよ。いろいろ試行錯誤してみたら、天然ラバーのスポンジなら上手に肌に塗り広げられることに気づき、ファンデとセットで発売することを思いついたんです。でもここでまた問題発生。そもそもこのラバースポンジは工業品として自動車のクッションなんかに使われている素材だったから、小さく加工してファンデとセットで売るなんて前例がなくて。ここでも『やってください』と言う私と『原価が高くなりすぎるから絶対無理』という会社との応酬が始まったんです(笑)。スポンジをつける、つけないの大論争の末、無理を通して発売してみたら、人気が出たのよ。『120万個も売れたよ!』って言われてもピンとこなかったけど、ツールをセットにしたことで、働く女性たちが忙しい朝でも手軽にメイクできるようになって喜んでいると聞くとうれしかったですね。男性は数量で達成感を得る人が多いけど、女性は喜んでもらえたという事実そのものが喜びになるんじゃないかしら。ほかにも水あり・水なし両方で使える2ウェイファンデや、夏用のくずれにくいサマーファンデなどを開発して販売したことで、コーセーはファンデーション革命を起こした、パイオニアだと言われるようになったの」

多忙になる仕事と子育て。両立はやっぱり大変だった!

同じ頃、念願だったメイクアップアーティストとして活動を始め、女優や歌手、一般女性まで何万人ものメイクを手がけるようになる。すでに結婚されて長女のひろ美さんも誕生しているが、仕事と子育ての両立はうまくいっていたのだろうか。「もちろん大変でしたよ。個人のベビーシッターさんを頼んだり、働くお母さんに理解のある保育園に入れるためにわざわざ引っ越したりね。私、育児は時間をかければいいってもんじゃないと思うんです。一緒にいる時間は少ないかもしれないけど、ちゃんとあなたのことを考えているわよ、と伝わるように毎日お手紙を書いて机に置いたりしてました。そうやって子供を安心させてあげれば、きっとわかってくれると思った。現代の働くお母さんも、愛情が伝わるようにするにはどうしたらいいかを考えることが大事かもしれませんね」

自分の個性を引き出せれば、コンプレックスも強みになる

多くの女性にメイクするうち、日本人は“普通”を意識しすぎると実感したそう。「もともと演劇のメイクアップをしたいと思ってこの世界に飛び込んだ私は、個性を引き出すメイクが得意。だからニューヨークでメイクしたときは楽しかった。エラが張って厳つく見える女性には、あえて眉を太くしてもっと強く見えるようにしたりね。そうしたら『あなたマジシャン!?』ってすごく喜ばれたのよ。でも日本人は標準顔にこだわっていて、そこから少しでもはみ出したらコンプレックスになってしまう。あなたが嫌だと思っている部分も個性なのよ、引き出すようなメイクをすることで、もっと自信が持てるようになるわよって教えてあげたくて、1980年に書籍『ザ・ベスト・メイキャップ』を出版しました」1983年にはコーセーが開校したメイクアップスクールの立ち上げに携わって初代校長に就任し、1985年には、女性初のコーセー取締役に就任するなど、仕事面はますます充実していく。

美容の本質は自分のことを認めて褒めて慈しんで癒やすこと

取締役になって得たものは白いカバーのかかった椅子だけ(笑)

ファンデをはじめとするヒット作の開発に携わった功績が評価され、会社初の女性取締役に就任した照子さん。男女雇用機会均等法の施行は1986年。それ以前のこの人事、照子さん的にはどうだったのか。「評価してもらえたのはありがたいけど、6年間の役員生活で得たのは白いカバーがかかった偉そうな椅子だけだったわね(笑)。それより私は、メイクアップアーティストを増やしたくて、そのための学校づくりをしたかった」

56歳で独立して起業&スクールを開校

会社にも公言していたとおり、1991年に独立して「美・ファイン研究所」を設立した照子さん。その後も美容業界の経営陣と意見交換をする機会は多く、影響力は海外ブランドのコスメにまで及んでいたというから驚き! 「ソニア リキエルやアナ スイのコスメを発売するかどうかで、当時のアルビオンの経営陣が悩んでいて。だから『絶対に売れるわよ!』って太鼓判を押したの。そしたら発売後すぐに人気が出たから、『ほらね』って(笑)。ファッションとメイクアップの関係は深いと思っていたので、海外のファッションブランドにもアンテナを張っていたのよ。だからそういう情報に疎い経営陣にも、いち早くアドバイスができたのね」

独立して3年後には「フロムハンドメイクアップアカデミー」を開校。「フロムハンドは日本初の2年制メイクアップアカデミーで、卒業生はいまや2000人以上、世界中で活躍しています。そのあとに開校した青山ビューティ学院高等部と、ふたつの学校で美容の後進を育てているんです」そこまでして美容に携わる人の育成に力を入れたのはなぜ?「美容の地位をもっと押し上げたかったというのが一番の理由ですね。昔は研究員の花形といえば製薬会社で、化粧品会社はそんなに人気がなかったんですよ。いまは少しずつ変わってきて、『化粧品をつくりたい』という熱意をもって研究所に入る人も増えてきました。昔と比べて美容の価値が上がってきたのは本当にうれしいことですけど、いまだってやっぱり美容より医療のほうが上だという考えがあるでしょう? そんなことないのよ。美容と医療は対等であるべきだし、同じように考えるべきなの」

自分を認めて褒めてあげる。それが美しい人生の始まり

そして美容の本質とは、自分を慈しむことだと照子さんは言う。「人と比べて足りないところを数えるんじゃなくて、褒めてあげるところから美は生まれます。自分のことをもっと認めて可愛がってあげれば、もっと自信が持てるようになる」それは多才なスーパーウーマンの照子さんだから言えることでは……。「自分の才能を調べるテストをやってみたら、創造力はあるのに事務処理能力が皆無だったの。だからって私がいまから事務作業を覚える努力をしても、できる人には敵わないでしょう。ならば得意分野をのばせばいいと思いませんか? それが個性を活かすということで、自分のいいところを見つけて認めてあげるということ。美しく輝く人生はそこから始まります。肌に優しく触れることが大事だと昔から言ってきたんだけど、実際、触れることでオキシトシンという愛情ホルモンが出て幸せな気持ちになるんですって。みなさんも一日の終わりには、自分を癒やすつもりで慈しみながらお手入れしてね」

そんな照子さんには、ビジネスマンでありながらアーティストとしての一面もある。「75歳のときに、ネットで調べて素敵だなと思った彫刻家の先生に弟子入りしました。今年も作品をつくりたいからその時間と、絵を描く時間もすでに取ってあるの。その合間に仕事を入れるから、もう予定はいっぱいよ(笑)」

小林照子さん

照子さんを紐解くバイオグラフィー

◆マックス・ファクター氏が開発した“パンケーキ”に衝撃を受ける

ハリウッドで活躍したマックス・ファクター氏は、映画『風と共に去りぬ』の撮影でどんな環境下でもくずれないケーキファンデーションを開発。世界中で旋風を巻き起こし、照子さんの製品開発にも影響を与えた。

◆照子さんが手がけたコーセーの商品が大ヒット

リキッドファンデが主流だった時代に、練り状やパウダー状を生み出し一世を風靡。これによりコーセーは、ファンデのパイオニアとしての地位を確立した。広告のヘアメイクも照子さんによるもの。

最初期のパウダーファンデーション
「フィットオン」

フィットオン
資料提供/コーセー

“水不要”の画期的な夏用リキッドファンデーションサマード

サマード
資料提供/コーセー

水あり・水なし両用ファンデーション2ウェイケーキ

2ウェイケーキ
資料提供/コーセー
◆長女のひろ美さんが誕生!

業界屈指の美肌の持ち主であり、VOCEでもおなじみの小林ひろ美さんは照子さんの長女。旅行やライブに一緒に行く仲良し親子!

愛猫3匹も照子さん&ひろ美さんと同居!(ルルド・ラパ・ミー太郎)
◆『ザ・ベスト・メイキャップ』を出版

「欠点を正していかに理想的な美人像に近づけるか」という当時のメイク方法に異議を唱えた名著。すでにセルフプロデュースの重要性を認識し、魅力の探し方を指南。表紙のイラストも照子さんが手がけ、多才ぶりを発揮!

ザ・ベスト・メイキャップ
『ザ・ベスト・メイキャップ』/講談社
◆女性初のコーセー取締役に就任

女性が働くことも珍しかった時代に美容指導員として入社し、数々のヒット作を手がけてついに取締役に就任! まるで人生ゲームのような大出世をする。

◆学校を設立し美容の後進を育てている

1994年にフロムハンドメイクアップアカデミーを開校。2010年開校の青山ビューティ学院高等部は、高校卒業資格が取得できる通信制高校サポート校。

青山ビューティ学院高等部 東京校

■青山ビューティ学院高等部 東京校
住所:東京都渋谷区神宮前1-11-11 グリーンファンタジアビル5F
TEL:03・6721・1635

フロムハンド メイクアップアカデミー

■フロムハンド メイクアップアカデミー
住所:東京都渋谷区神宮前1-11-11 グリーンファンタジアビル5F
TEL:03・6721・1631

◆ソニア リキエルやアナ スイ

当時、世界的に人気が高かった2つのファッションブランド。そのコスメが日本から世界へ発売された背景にも、照子さんの影響があったというからビックリ!

◆75歳で彫刻家の先生に弟子入り

アカデミーの校長室に飾られた、照子さん作のハシビロコウや飼い猫の彫像。1メートルを超えるものもあり、成形から色塗りまで3~4ヵ月はかかるそう。

ハシビロコウや飼い猫の彫像

撮影/当瀬真衣(TRIVAL) ヘアメイク/遠山拓海 取材・文/穴沢玲子 構成/佐野桐子

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