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【ジェーン・スー特別寄稿】私にとって、美容は自分を取り戻すためにある

  • 2023.4.2
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私にとって、美容は自分を取り戻すためにある

人生ってやつはサービス精神が旺盛で、怖いと思えば思っただけ、恐ろしいものに仕上がると相場が決まっている。憂鬱なら憂鬱なだけ、陰気な日々が続くのもそう。嘘だと思うかもしれないけれど、残念ながら私が知る限り本当のことだ。

逆も真なりで、基本的には楽しいことが起こるものだと思えたら、毎日は楽しいものになる。たとえ嫌な目にあっても、これは例外だと自然に捉えることができる。

たとえば、「肌がきれい!」と誰かに言われたとしよう。「肌しか褒めるところが見当たらなかったんだな……」と嘆く人にとって人生は厳しいものになるし、「うれしい! じゃあスキンケアがんばっちゃおう」と喜ぶ人にとっては、そこそこ楽しいものになる。

では、楽しいことが起こると無闇矢鱈に信じれば素敵なことばかりが起こるのかと言えば、そうではない。ここがちょっと難しい。

人生に痛みはつきもの。慣れなさい

私の好きな映画のひとつに、『ロング・キス・グッドナイト』がある。1996年に公開された、少し前の作品だ。

序盤、自身がCIAの凄腕暗殺者だった記憶をすっかり喪失したジーナ・デイヴィス演じるサマンサが、娘と一緒に湖でアイススケートをする場面がある。娘は怖がり、滑り出してすぐに転んでしまう。私にはできない、もう家に帰りたいとぐずり、弱音を吐き続ける娘。するとサマンサは、娘のコートの衿をつかんで無理やり立ち上がらせ、こう言うのだ。

Life is pain. Get used to it.
人生に痛みはつきもの。慣れなさい。

まさに、これぞ真理。トライアル&エラーの繰り返しでしか、人は自分自身をつかみ取れない。

痛みを厭(いと)わず自分自身をつかみ取るなんて、大それたことのように感じるかもしれない。でも、美容医療だって広義に解釈すればそうだ。もっと身近なこともある。たとえば今シーズンの新作を使って、好きな顔になるのも自分をつかみ取るってこと。そう考えれば、誰にだって一発で正解を引き当てるのは難しいとわかるだろう。

普段は使わない冒険色ばかりのアイシャドウを買い、メイクをしたはいいが自然光でチェックするのを忘れ、似合うとは言えない顔のまま外出したとしよう。トライアルがエラーにつながる好例だ。そこで、「やっぱり普段と違うことをしたからこうなった」と嘆くか、ぎゃははと笑って「次は気を付けよう」と前を向けるかで、好きな顔に出会えるか否かが決まる。底見えしないパレットばかり捨てているなら、それは可能性を捨てていることと同義かもしれない。

人生の痛みに慣れるとは、傷ついた心と体を無視するとか、自分を慈しむ時間を持たないということではない。痛い目にあったとき、動揺しすぎないでいるということ。それでも私は大丈夫、まだやれる、次はできると信じることだ。

毎日をつつがなく紡いでいこうと努めても、嫌なことは起こる。先のことは誰にもわからない。そんなとき、「それでも私は大丈夫」と思えるのは、歩みを進めていくのになによりの強みになる。

家から一歩出た瞬間に大変な目にあうかもしれないと本気で恐れれば、誰も家からは出られない。大袈裟な話だと思うだろうか。人によっては、あなたが常に抱えている「将来への漠然とした不安」とか、「若さを失う恐怖」は、家から一歩も出られない恐怖と同じかもしれない。どうしてそんなことを恐れるの? と。捉え方を変えれば、見えてくるものが変わるのが人生だ。

例外も特別もなく「老い」の前に「老け」がくる

ある日のこと。美容関係者から、アラサーは老いることを極端に恐れていると聞いた。わからなくもないが、困った事態だなとも思う。

生きている限り、人は老いる。正確に言えば、「老い」の前に「老け」が来る。例外も特別もなく、誰にでもそれはやってくる。程度の差こそあれ、老けは平等だ。ちなみに、食べても食べても太らない子もいなくなる。

具体的な老けについてメンションしておこう。

まず、顔が下がってくる。上半分が下がって垂れ目になる人もいるし、下半分が下がってほうれい線が濃くなったり、輪郭がもっちゃりしたりする人もいる。どっちも下がる人もいる。朝起きたら顔はくすんでいるし、鼻先にしかなかった毛穴は頬にも現れる。しかも、その毛穴は丸くない。縦長の毛穴だ。最初はちょっとびっくりする。

目尻や目の下に小ジワが刻まれる人、ふっくらしたタイプのシミが出てくる人、こめかみのあたりが削げてくる人、体の線が崩れる人もいる。あとは二の腕が乾燥しやすくなったり、首に横線が入ったり、髪がやせ細って少なくなったり、とにかくいろいろある。更年期になれば生理と情緒がおかしくなるし、昔とは全然ちがう自分になっていく。

どう? 怖くなった? 人生はサービス精神が旺盛だから、怖がったら怖がっただけ、未来は恐ろしいものになってしまいます。生きることは老けること。さあ、慣れてちょうだい。

嘆きたくなる気持ちはわかる。私だって、鏡を見てゲンナリする日は週に一度や二度ではすまない。まだ食いしばりを軽減する咬筋ボトックスしかやったことはないけれど、やりたくなったらどんどん手をかけるつもり。新しいエンターテイメントに出会えたような気持ちで楽しくて仕方がない。

「おばさんになりたくない」を因数分解してみる

さて、ここで一度落ち着いて考えてみて。あなたが憧れる「美しい人」は、若く見えるから美しいのか。若く見えるから素敵なのか。それがすべてではないだろう。

私たちを包囲しているのは、若いほうが価値があるような気にさせる文化だ。でも、一回り以上年下に見られたいのなら、ちょっと考えたほうがいい。若さと美しさを混同しているし、順当に生きていればどんどん目減りする資産にすがるのは、あまり賢い戦略とは言えないから。積み重ねれば増えていくものに投資したほうが、ずっと健全だ。それは知性っていうものなんだけども。

実は、ゆるぎなく楽しそうな人は素敵に見える、という事実に気づかぬことは多い。憧れの人が常に怯え、背中を丸めて不安そうな顔をしているところをイメージしてほしい。ますます素敵だと思う人は少ないだろう。

あなたがあの人に憧れるのは、ほどよく自己受容し、しかし自分の可能性を諦めず、年齢に囚われずチャレンジを重ね、知性をもって楽しそうにしているからだ。自分を好きでいるための努力を怠らないからだ。本質的には、目元にシワが一本もないから、ではない。

おばさんになりたくない、という人がいる。その言葉を丁寧に因数分解すると、シミがひとつもない顔になりたいわけではないと思う。

可能性を諦め、チャレンジを諦め、自分を好きでいるための努力を放棄し、楽しそうには見えない人にはなりたくないという意味ではないだろうか。だとしたら、若さを失うことを恐れ、美容におぼれ、楽しそうには見えないあなたは、もう半分おばさんだ。ま、そもそも誰が決めたかわからないようなステレオタイプのおばさん像通りの人なんて、現実にはいないのだけれど。

シミを見つけたら、化粧品や美容医療で消そうとしたっていい。気に入らないところは、見た目も中身もどんどんケアしてアップデートしたほうがいい。自分のことを嫌いになるくらいなら、じゃんじゃん美容で補っていこう。

でも、それが若さを失う恐怖からくる行為なら、ちと問題だということ。なぜならその恐怖は一生取り除かれないのだから。繰り返しになるが、人は生きているだけで若さを失うし、怖がったら怖がっただけ怖くなるのが人生なのだ。

いろいろやりすぎに見える人は、やりすぎた部分に宿る不安が透けて見えるからだ。どこまで自分の顔を変えるかなんてその人の自由だが、ああはなりたくないと思うなら、なぜそう思うのかを、ちゃんと精査することをおすすめする。

美容という大海で溺れ続けないために

美容はなんのためにあるのだろう。答えは人それぞれ。私にとっては、自分を取り戻すためにある。人生に痛みはつきものだから、傷ついたとき、疲れすぎたとき、嫌な気分から抜けられないとき、それでも私は大丈夫と信じる力を取り戻すためにケアをする。自身を労わり、自分の価値を自分の手で取り戻すのだ。いまの自分を否定して、新しい自分を手に入れるためではない。

あなただって、本質的にはそうであるはずなのだ。自分を好きでいるために、美容を嗜んでいるはずだ。しかし、シミ、シワ、たるみ、くすみ、毛穴のない顔さえ手に入れば、自分を好きになれると勘違いしているのかもしれない。

老けのサインと言われるあれこれがなくなれば、自分の顔は少しのあいだ好きでいられるだろう。ただし、自分自身を好きになれるとは限らない。だって、常に不安だから不具合ばかり探すでしょう。そうしている限り、美容という大海で溺れ続けてしまう。あなたが一番言われたくないであろう「痛い」まであと一歩だ。本当は、自分のことをまるっと受容したいと切に願っているのに、見当違いの対処にやっきになっている。そして、もうひとつ年をとるのを恐れている。

とはいえ、だ。いきなり、シミ、シワ、たるみ、くすみをそのまま愛すのは難しい。そこまで飛躍しなくてもいい。ただ、向き合い方を変えてみるトライは無駄ではないかもしれない。

たとえばこんな感じはどうだろう。シミを人生の痛みと捉えるなら、いままでは
「どうしよう、早く消したい。シミがある自分の顔なんて許せない。これからもっと増えたらどうしよう」
とオロオロしていたのを、
「お、シミを見つけてしまった。少し気持ちが落ち込むなあ。さあ、私は大丈夫と思えるようにケアしよう。シミがあってもなくても私の価値は変わらないけれど、シミがない顔のほうが好きだから、私は私を諦めずに努力しよう」
という風に。

自分を取り戻すには、いつ何時(なんどき)も、自分の味方でいることが必要だ。「どうしよう!?」は、人生の舵を大海原に放り出す言葉である。

自分を不安に追い込んでいるものの正体は何?

どうしたら、この不安を感じずにいられるだろうと悩むのなら、気に入らないことをすべて書き出すことから始めてみてほしい。

見た目だけではない。性格や環境や、自分にまつわるすべてにおいて気に入らないことをぜんぶ書き出す。スマホにメモするのではなく、机に向かって紙にペンで記していく。頑張っていることではなくて、気に入らないことを綴るのだ。

出来上がったリストを見たら、相当凹むだろう。私にはいいところなんてひとつもないと思ってしまうかもしれない。

次に、書き出したリストを横に置いて、一度席を離れる。一晩寝かせてもいい。

時間を空けたら、あなたではなく、友達が自身のことを書いたリストだと思って見直してみてほしい。ずいぶんネガティブだし、言うほどひどくはないよとか、誰もそこまで見てないよと思ったら、自分を不安に追い込んでいたのは、自分自身だったということ。そんなこと一日も早くやめたほうがいいじゃない。

生きることに不安や痛みはつきものだ。慣れるしかない。でも、不安を無視したり痛みを否定したりすることは「慣れ」とは異なる。

まずは不安も痛みも受け入れて、ヨシヨシと撫でてあげなきゃ。それがスキンケアの本質であり、もっと好きな自分にしてあげるのがメイクアップだと思う。

自分を追い込むためでなく、自分を愛するために美容がある。そう腹落ちできたら、不安は少しずつ解けていくかもしれない。

◆VOCE読者にオススメの3冊
貴様いつまで女子でいるつもりだ問題/ジェーン・スー

『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』
¥1240(幻冬舎刊)
「女子」「ブス」「ババア」……できることなら見ぬふりをしていたい諸問題と向き合った珠玉のエッセイ集。足場の定まらなさにぼんやりとした不安を感じている人は自分の頭で考え、モヤモヤを払拭するための指針に。

きれいになりたい気がしてきた/ジェーン・スー

『きれいになりたい気がしてきた』
¥1540(光文社刊)
「人生の舵を自分の手から放さないために美は必須」と、アラフィフになってから美容との距離がグンと縮まった気持ちを赤裸々に綴る。羨んだり、自分ツッコミしたりして立ち止まっている背中をポンと押してくれる。

闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由/ジェーン・スー

『闘いの庭 咲く女 彼女がそこにいる理由』
¥1650(3月24日/文藝春秋刊)
齋藤薫、神崎恵、田中みな実……前人未到の地を切り拓くパイオニアたちにインタビュー。覚悟が詳らかになる闘いの記録は、「女性のロールモデルが足りない」といわれて久しい現代の灯台のよう。

【PROFILE】
ジェーン・スー コラムニスト、ラジオパーソナリティ、作詞家、プロデューサー。東京都生まれ。2013年発表の初の書籍『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』(ポプラ社)がたちまちベストセラーに。さらに第二作『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』(2014年、幻冬舎)で第31回講談社エッセイ賞を受賞。新聞や雑誌で多数の連載を持つほか、ラジオ『ジェーン・スー 生活は踊る』(TBSラジオ月~木11:00~)でラジオパーソナリティも務める。Podcast番組『OVER THE SUN』『となりの雑談』も人気。『ひとまず上出来』(文藝春秋)『おつかれ、今日の私。』(マガジンハウス)など著書多数。

イラスト/tomoko b. iwawaki

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