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「東京国際映画祭グランプリ受賞作『ニーゼ』監督インタビュー ~ホベルト・ベリネール 構想から13年 映画にかける思い~」

  • 2015.11.8
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1940年代、電気ショックなど非人道的な治療法が主流とされていた精神病院で、
芸術療法の導入に取り組み患者と向き合った女性医師の実話をもとに描かれた『ニーゼ』。

 

患者を異常者として取り扱う病棟の中で、人として真正面に向き合うニーゼに、
患者も彼女との出会いを通じて、眠っていたものが次第に開花されていく様子が美しく描かれている。

 

本作はドキュメンタリー出身のホベルト・ベリネール監督が13年がかりで映画化した作品だ。

 

監督自ら、撮影準備期間から精神病院で患者と寝食を共にしたというこの作品は、
ニーゼの生き方と重なって圧倒的な力強さをもつ。 

 

その映画への情熱に心揺さぶられ、ホベルト・ベリネール監督にインタビューを敢行した。

 

インタビューは、グランプリ&最優秀女優賞受賞がもたらされる前夜、
東京国際映画祭の一般上映も最終日となった10月30日。

 

13年を経てようやく完成された作品のエピソードだけでなく、自身が影響を受けた映画監督や作品、
そして今後手がける作品にまで話は及んだ…

 

 

girls Artalk(gA):

『ニーゼ』というこの映画に、13年という月日を要したその理由を教えてください。
また、彼女自身はブラジル国内では有名な方なのでしょうか?

 

ホベルト・ベリネール監督(以下ベリネール監督):

ニーゼは、医療界ではよく知られているけど、一般的にはあまり知られているわけではないんだ。
映画製作における、長い年月の中で沢山の出来事がありすぎるけど、一部話すと…彼女の人生は、
出生から亡くなる95歳まで、調べれば調べるほどドラマチックな出来事がたくさんあり、
映画としてどこにフォーカスをあてたるべきか選ぶだけで大変だった。

ニーゼのことを描いた本はあったんだけど、もともと私の友人が彼女の家に出入りしていて、
直接のつながりもあり、本には書かれていない彼女の偉業を知るにつれ、彼女の人徳、
人への貢献に人生を捧げた姿に感動し、これは世の中に伝えなければと思ったんだ。

この13年間、5本の映画を製作したけれど、『ニーゼ』は私が最も大切にしてきた作品なんだ。

 

gA:

いわば使命感ともいえるもので製作されたんですね。

撮影準備から実際の撮影における計4ヶ月間、実際に精神病棟で過ごされたとのことですが、
統合失調症の患者の方々と寝食をともにされた体験を通じて、本作品にはどのような影響を受けましたか?

 

ベリネール監督:

全てにおいて影響をうけているよ。病院スタッフと話した当初、精神病棟で患者と過ごすことは、
「そんな簡単なことではない」と言われたんだ。実際行ってみたら皆ひどい状況で汚れていた。

その中で、現実を全て受け止め、撮ったものすべてがこのフィルムに現れてる。
患者と映画スタッフ、お互いにその生活で関わったことが映像にも反映されているんだ。

途中患者にもスタッフとして手伝ってもらっていたしね。お互いが本当の意味でしっかり向き合い、
きちんと付き合った日々だったんだ。どう演じればいいかもそうした付き合いの中で学んだんだよ。

 

プロデューサーのVitor氏と監督とともに。Vitor氏もまた「多くの方々に見ていただきたい」と情熱的に語っていた。

 

 

gA:

“ニーゼ”という女性は病棟で過酷な現実と闘う女性として凛としている一方で、
旦那さんの前ではとてもチャーミングで可愛らしく二面性を持った女性ですよね。
患者の演技も演技とは感じさせない凄みがありました。
俳優にはどのような演出をしていたのでしょうか?
また、どのようにして役者の力を引き出していったのでしょうか?

 

ベリネール監督:

すごく難しい質問だね。言葉ではなかなか言い表しにくいよ。
私自身、ドキュメンタリーフィルム出身の監督だから、作られたフィクションの
キャラクターをゼロから作るわけではなく、あるものを演じてもらうものだから。
ただ言えるのは、皆違うバラバラの役柄を演じているから、
こうしたらいいという答えが全てあるわけではないし、
本当に役作りは難しいものですごく大変だった。
なかなかうまくいかないときは、俳優と一緒に飲んだり、共有しながら作業していったよ。

 

gA:

描く対象への真摯な観察眼はどのように培われたのかなという思いがあるのですが、
ホベルトさんは何をきっかけにいつから映像世界に入りましたか?

 

ベリネール監督:

78年、21歳ぐらいのときに1台のカメラを買った。まったくひとりで撮影を始めたんだ。
TVグローボ(南米最大のテレビ局)で働き始め、ミュージックビデオの監督として
(MTVでawardを獲った)キャリアをスタートさせた。

 

gA:
では、映像はどこかで学ばれたのですか?

 

ベリネール監督:

当時ジャーナリズムを専攻していたけど、撮影については学んでいないよ。

 

gA:

どんな作品に影響を受けているのでしょうか?お好きな映画監督や作品について教えてください。

 

ベリネール監督:

まさに、黒澤明監督。撮り方に影響を受けてる。

処女作はオマージュとして撮影しているし、撮影パターンやカットのあり方を自分の作品に取り入れているんだ。
最初にとった作品もそれをなくして、自分の撮影技法はない!
日本でインタビューを受けているからそういっているわけではないよ(笑)
本当のことなんだ。

 

gA:
特にお好きな作品はなんでしょうか?

 

ベリネール監督:

黒澤監督の『デルス・ウザーラ』、孤独、孤高を表していて素晴らしい作品だよね。
73年公開時には見られなくて、75年にビデオで見たんだ。10代の時に影響をうけた作品なんだよ。
あと、アン・リーの『ウエディング・バケット』も大好きだよ。

 

gA:

私も好きです!アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン』や『ラストコーション』も、素晴らしい作品ですよね。

 

gA:

そうそう。『ブロークバック・マウンテン』も美しい映画だよね!

セルジオ・レオーネ監督も好き。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』のサウンドトラックがすごく悲しい。

自作『*Born to be Blind』でも彼の映画と同じ曲を使っているよ。

◾『*Born to be Blind』:ブラジルのストリートを生き抜く盲目の3姉妹を描いたドキュメンタリー映画

 

gA:
今後はどんな映画を作りたいとお考えですか?

 

ベリネール監督:

今、テレビで13のドキュメンタリーと『アダプション』というシリーズを手がけてるんだ。
新作映画のタイトルは『コパカバーナ香港』。
まだスタートしたばかり…ブラジルではとても有名な歌手で俳優のファウスト・フォーセットが
書いた本に基づいた映画なんだよ。セックスやドラッグなどアンダーグラウンドなヘビーな内容だよ。

 

gA:

『ニーゼ』とは、全く違ったテイストの映画なんですね!

映画の現場では時折、神がかった奇跡的な瞬間が訪れます。
そのような瞬間はこれまでの作品を振り返ってありますか?

 

ベリネール監督:

面白い質問だね。
『ニーゼ』の中で、病棟でセラピーとして飼われている犬を洗うシーンがあるんだけれど、
バケツに水を用意しておかなければならないのにスタッフが用意をしていなかったんだ。
もうカメラを回すという間際にそのことに気が付いて…フィルムを無駄にするわけにはいかないし、
「どうするんだ」と緊迫した雰囲気になった。その瞬間、天から突然の雨が降ってきたんだ。
妻も娘もその場に居合わせていたんだけど、あの瞬間、誰もが、これは奇跡だと思ったね。

映画を撮るということはいつも色々ことが起きる。使うはずの水がない!といった、
小さなことから大きなことまで…いつも大変な思いをしながら、ぎりぎりでやっている。
だからこそ、奇跡が起きるんだ。

 

gA:

毎回そのような大変な思いをされても撮り続ける…映画の虜になってしまったということですよね。

そう駆り立てるものって一体なんなんでしょうか?

 

ベリネール監督:

本当はミュージシャンにもなりたかったし、ジャーナリストにもなりたかった。
最もなりたかったのはドラマー。
でも、10代の時にカメラを買って以来、撮ることに取り憑かれてしまったんだ。
撮って何か創造すること、それに尽きる。

 

映画を知って、世界を知った。取材中、映画から、サッカー、日本文化、様々なことにまで話が及んだ。

その中で、描く対象へ愛情を持ちつつも対象に溺れることなく一定の距離を保ち、
向き合うベリネール監督のまなざしは、映画のみならず日常生活においてもそうであると感じさせてくれた。

それは、ベリネール監督の優しい微笑みに象徴されている。

また今回、大変助けとなったのは、ポルトガル語を自在に操り、ブラジル事情に精通し、
文化的背景に事細かに言及してくださったケイタブラジルさんの存在が大きい。

映画祭という場が、映画のみならず、様々な人に引き合わせてくれた。

 

 

10月31日、東京国際映画祭クロージングパーティーにて、監督の奥様がいち早く私を見つけてくれ、抱きしめあった。
「(グランプリ&最優秀女優賞受賞により)これでまた映画を見てもらえる機会が増えるかもしれない」と、
ベリネール監督もふくめ3人で喜びを分かち合った。

まだ日本での公開は未定だが、この映画が多くの人に見てもらえることを願ってやまない。

 

 

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